2.偽装婚約
その三日後。
かねてより予定されていた王太子主催の舞踏会に、セドリックはシャロンをパートナーとして伴って出席していた。
「急にすまない」
「構いませんわ、わたくし達の仲睦まじい姿を見せつけることが出来ますもの」
本来であれば王太子付きの近衛騎士である彼は、出席者としてではなく護衛として主人の傍に控えていた筈だったが、婚約の噂を知ったその主人であるところの王太子・オズワルド殿下がわざわざ招待状をセドリックとシャロンへの連名でゴールドン伯爵家に送ったのだ。
面白がって。
「いやだって、社交界の高嶺の花と謳われるシャロン嬢とうちの堅物近衛騎士が婚約! だろう? そんな面白いこと、砂被り席でインタビューしたいに決まってるじゃないか」
「まぁ。王太子殿下は本当に洒落のお好きな方ですこと」
快活に笑うオズワルドに、ホホホとシャロンは美しく笑う。
実際彼女の姿を見慣れた筈のセドリックにとっても、今宵のシャロンは美しかった。
ストロベリーブロンドの髪は複雑に結い上げて真珠の髪飾りが彩り、白い肌を浮かび上がらせるような光沢のある深い青地のドレスは、彼女の瞳の色。そして短く刈ったセドリックの黒髪と、黒に近い緑の瞳にもよく映えた。
近衛騎士の正装は華美な白服に金の刺繍がなされているので、その装いにも上品に華を添えるシャロンの衣装はさすが「社交界の高嶺の花」だった。
「しかしいつまで経っても相手を決めない朴念仁かと思えば、こんなに美しい人を射止めたとは、セドリック。さすが俺の近衛だ、鼻が高いぞ!」
ばしばしと、オズワルド殿下は上機嫌でセドリックの背中を叩く。
それにビクともすることなく、セドリックは一時とはいえ主を騙していることに申し訳なさを覚えた。
シャロンを守る為とはいえ、偽りの婚約には後ろめたさが付きまとう。
「鼻が高いのはわたくしの方ですわ。殿下の剣と盾、誉高き近衛騎士の彼と婚約出来たことは、わたくしの一生分の幸福を使い果たしたといっても過言ではありません」
シャロンはにこやかにそう返す。
ほんのりと頬を赤く染めた笑顔は完璧で、偽装婚約を持ち掛けられていなければ当のセドリックすら、シャロンの言葉を信じてしまいそうな程だった。
「さっそく惚気られてしまったな! そうだシャロン嬢、今度オーウェンの使節団が我が国を訪れるのは知っているか」
「はい。父から聞いております」
シャロンは頷く。
外交官のコフィ子爵は当然その情報を知っていたし、王女の訪問に際して何かと準備を任されていた。
「それはいい。使節団には、オーウェンのベアトリス王女も同行している。シャロン嬢に、我が国の文化を王女に説明する役を頼めないか?」
流行に詳しく、外交官を父に持つシャロンはオーウェンの言葉も堪能だ。当然の抜擢ともいえたが、シャロンは瞳を大きく見開く。
「まぁ……わたくしがそんな大役を……?」
オズワルドの突然の提案に彼女は不安そうに手で口元を覆い、形の良い眉は僅かに寄せられ瞳も僅かに揺らいでいた。
そんな風に不安を押し殺す彼女のことが心配で、セドリックはつい口を挟む。
「殿下、その際に俺も婚約者としてシャロンの傍にいても構いませんか?」
「おお? 堅物がいっちょ前に婚約者の心配か。いいぞ、今夜と同じく舞踏会の席での話し相手として、シャロン嬢にはオーウェンの王女を接待して欲しかったんだ。婚約者が共にいることに、何も問題ないだろう」
「ありがとうございます、殿下」
「俺が以前オーウェンに行った時にベアトリス王女とは交流もあったし、既知がいる方が彼女も寛げるだろう」
オズワルドの返事に、セドリックは胸を撫で下ろす。
確かに以前王太子の護衛としてオーウェンには同行していて、その際にベアトリス王女に挨拶をしたことがあった。気の強い才気に溢れた女性で、セドリックは幼馴染を思い起こさずにはいられなかった覚えがある。
傍らのシャロンを覗き込むと、彼女は真っ直ぐにセドリックを見つめてにっこりと微笑んだ。
「嬉しい。どうかわたくしのお傍を離れないでくださいませね、セドリック様」
*
その翌日。
セドリックの屋敷を訪れたシャロンは、また勝手に応接室でお茶を飲みながら深い溜息をついた。
「女性の勘って、侮れませんの」
「……うん?」
今日の土産は、芋を油で揚げて蜂蜜をかけた菓子だ。上品にナイフで一口サイズに切り分けたシャロンは、小さな口にそれを放り込む。
「これはバニラアイスが絶対に合いますわ。ケイト、この屋敷の厨房にバニラアイスはありまして?」
「すぐにお持ちします!!」
お茶のカップをテーブルに置いたメイドは、素早く敬礼をして部屋を出て行く。待て、この屋敷の主はセドリックである。その筈、である。
「お塩をかけても美味しいと聞きましたわ」
紅茶のカップを手にとってシャロンは満足の溜息をつくと、ついでのように言う。セドリックは紙箱の中に並ぶ細長い揚げた芋を皿に移し、蜂蜜や砂糖、ミルクと一緒に置かれた塩の小さな壺を傾けて芋に降り掛けた。
「……うん。酒に合いそうだな」
「んもぅ、殿方はすぐにお酒と合わそうとなさるんですから」
シャロンは桃色の唇を尖らせて、文句を言った。
ミルクも砂糖もいれずストレートで紅茶を飲んでから、セドリックは先程の話を繋げた。
「それで、女性の勘とは?」
「朴念仁のセディには思いもよらないことかもしれませんが、オーウェンの王女の前でわたくしとあなたが婚約者として振る舞うには、まだ準備不足だと思いますの。あなたと面識があるのなら、尚更」
「…………うん?」
シャロンは微笑んだままセドリックの手の甲を抓った。地味に痛い。
「痛いぞ」
「痛いなら痛いお顔をなさいませ。つまり、わたくし達、愛し合う婚約者としてはまだ余所余所しいと申し上げてますの」
シャロンが深刻なことのように告げるものだから、セドリックは拍子抜ける。
「まぁ、愛し合う婚約者じゃないしな……」
「もう片方の手もお寄越しなさいな、セディ」
「嫌だ、痛いだろう」
さっと抓られていない方の手を遠ざけると、シャロンは唇をまた突き出した。桃色のそれは蜂蜜で艶と輝いている。
「……分かった。つまり、どうすればいいんだ」
「こんなありきたりの提案をするのは、わたくしも業腹なのですけれど」
「うん?」
セドリックは首を傾げる。自他ともに認める朴念仁なので、ストレートに言って欲しいのだ。
「……親しくみせる為に、常日頃から共に出掛けるなどして物理的な距離を近くしておく必要があると思いますの」
つまりは、偽装の為の偽装に、デートを強要されているのだった。