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1.悪魔との契約

短編のつもりで書いていたのに、長くなったので連載形式にしていますが今日中に終わります。

6時、12時、18時に2話ずつ更新していきます。短い間ですがお付き合いいただけると幸いです!!

 

「わたくしと婚約してくださいませ、セドリック・ガーゴ」


「……なんだと?」

 突然訪ねてきてとんでもないことを言いだした幼馴染に、セドリックは眉間に深い皺を寄せて応えた。

「お耳が遠くなるには早いんじゃなくて?」

 嫌味たっぷりにそう言ったのは彼の三歳下の幼馴染、シャロン・イーストン。王都のタウンハウスのお隣さんで、外交官を務めるコフィ子爵の末娘だ。

「取り急ぎ婚約者がいないと、わたくし困りますの。その点あなたは王太子様付きの近衛騎士だし、次期伯爵、見た目はちょっと怖くて愛想がないけど……まぁ我慢いたしましょう」

 シャロンを出迎えた姿勢で直立不動のセドリックの周りをくるりと一周して、彼女はうんうんと仕方なさそうに頷いた。


「待て、何を言ってるんだ。俺と君が婚約? そんなこと、コフィ子爵が許す筈ないだろう」

「あら、お父様は近所のセディ坊ちゃんが、わたくしをもらってくれるなら大喜びなさるわ」

 シャロンはぴたりと彼の真正面で立ち止まり、両手を顔の横で重ね合わせてにっこりと微笑んだ。

 見た目だけは、ストロベリーブロンドの波打つ髪と澄んだ海のような青い瞳の、嫋やかで清楚な、美しい令嬢だ。

 だが、幼馴染のセドリックは嫌というほど知っている。

 彼女はこの見た目に反してとんだじゃじゃ馬で、自分の手を汚すことなく周囲の者を巻き込んで何もかも自分の思い通りに運ぼうとする、狡猾で抜け目のない、悪魔のような女なのだ。

「まぁセディ、怖いお顔。あ、いつもでしたわね」

 しれっとそう言った彼女は玄関脇の応接室に入ると、ソファに座り勝手知ったる様子でメイドにお茶など要求している。

「お菓子は持参したから結構よ。お茶にはミルクを添えて頂戴ね」

「はい、シャロン様」

 馴染みのメイドは元気よく頷いて、部屋を去って行く。開け放たれた扉に向こうには、まだ仁王立ちしたままのセドリックがいて、シャロンは聞き分けのない子供に見せつけるようにして、溜息をついた。

「セディ、こちらにいらして。理由を説明してさしあげるわ」

 どこまでも偉そうな女だった。


 シャロンの持参したパイは、ミートパイとレモンパイ。王都で最近流行りのパイ専門店で購入したのだという。

 メイドがお茶と共に皿を運んでくると、シャロンはさっさとレモンパイだけを皿に移して食べ始めた。彼女にお持たせという概念はない、自分が食べたいから買ってきただけなのだ。

「はぁ……このメレンゲの具合は芸術の域ですわね。さすが今王都で一番人気のお店、わたくしが褒めてさしあげますわ」

「いつも思うが、君は何故そこまで偉そうなんだ……」

「え、何故疑問に思うのです? わたくしでしてよ?」

 強い。

 堂々と言ってのけたシャロンにセドリックは愚問だったと諦めて、残ったミートパイを直接手掴みで口に運ぶ。

「お行儀の悪い方ね。わたくしの婚約者になるのだから、そういうところからビシバシ躾ていかなくては」

 ふぅ、とまたこれ見よがしに溜息をついたシャロンは、優雅に紅茶のカップを傾けた。

「あら、美味しい。マーフィのお店の新入荷の茶葉ね、ここのメイドは主と違ってセンスがいいわ」

「……君は相変わらず菓子だの茶葉だの、政治にも教養にも関係ないものばかりに詳しいな」

 せめてもの抵抗にセドリックも溜息をついて皮肉を言うと、シャロンは片眉をぴくりと器用に吊り上げる。


「あら、貴婦人の好むお菓子や茶葉や、流行のドレス、戯曲、舞台などは文化を象徴していましてよ? 戦争をしているわけでもない昨今、他国との交流に必要なものは情報。その情報の要である流行を生み出しているのは王都の貴婦人達。彼女達の好むものを知っておくことは、広義では国益となると思いませんこと、王太子付き近衛騎士のセドリック・ガーゴ」

 にっっこり。笑顔の圧が強い。

 そしてセドリックはシャロンの肺活量に関心した。

「君は……肺が丈夫だな」

「あなたはいつまで経っても朴念仁ですこと」

 しみじみとそう言った彼女はカップをソーサーに置くと、居住まいを正した。

「さて、では美味しいお菓子で場が和んだところで、理由をお話しますわね」

 一切和んでいないものの、ミートパイは美味かったのでセドリックはパイの分ぐらいは話を聞こう、と聞く姿勢を取る。

 いつもこうしてシャロンの思惑にハマっていくのだが、真面目で律儀な彼はまだ回避することに成功したことがないのだった。


 そして前置きの長さにに対して、その理由というのが何のことはない。

 現在シャロンにしつこく付きまとっている貴族の男がいて、彼を穏便に遠ざけたいからしばらく防波堤として婚約しておいて欲しい、というのだ。


 彼女は中身は悪魔だが、見た目は可憐なので昔からこういう騒ぎに事欠かない。その度に彼女の兄やセドリックが護衛をして、危機を回避してきたのだ。

「わざわざ偽装婚約などしなくても、コフィ子爵家から正式に抗議を送れば解決するんじゃないか?」

「んもぅ、前にしか進めな堅物はこれだから。出来ることならそうしてますわ、でも相手は抗議を送ればお父様のお仕事に支障の出かねない、やんごとないご身分の方ですの」

 シャロンの生家、コフィ子爵家は爵位こそ子爵位だが、代々貿易で得た財を誇る大富豪の家系だ。しかも現当主は、その貿易の手腕を買われて外交官の任に就いている優秀な人物。

 その辺をよく弁えているシャロンが、名を出さず正攻法での撃退を避けるということはかなりの地位の相手なのだろう。


「そうか……だが、相手は俺でなくてもいいんじゃないか? 君の信奉者ならば多くいるだろう」

 美しく才気に溢れ、流行に詳しく話題も豊富な彼女は社交界でもいつも人の輪の中心にいる。そんな彼女に婚約者がいないことは、逆に不思議なぐらいだった。

「セディ……確かにわたくしは若く美しく、わたくしの婚約者役を偽りでも務めたい、という殿方には事欠きませんわ」

「うん……」

 セドリックは自他ともに認める朴念仁なので、こういう時的確なツッコミが出来ない。

 シャロンは慣れているので気にしない。むしろ必要ないのだ。

「でもそんな彼らに、一時でも叶わぬ夢を叶えてあげてしまうことは酷なことでしょう……? 彼らが夢から目覚めた時、そこに美しく微笑む婚約者のわたくしはいない……そんな絶望を味わわせるような非道な真似、わたくしにはとても出来ないわ」

 そっ、とレースのハンカチで目元を拭るシャロン。この場は彼女の舞台、セドリックの下手なツッコミなど野暮なだけなのだ。

 彼はただ、彼女の望む配役で舞台に登ることだけを求められている。


「いや、でも……」

 事は婚約である。

 今までの様に護衛や恋人のフリ程度ならば、セドリックとて幼馴染の誼で引き受けたが婚約となれば話の大きさは違ってくる。

 躊躇する彼を、シャロンは涙の痕など一切ない輝く瞳で睨みつけた。

「淑女を守ることを戸惑うなんて、騎士の風上にも置けない情けない男ですわね……仕方ありませんわ、この手は使いたくなかったのですが……」

 すぅ、と彼女は息を吸い、傍らに置いていた小さなバッグから黄ばんだ紙片を取り出す。

 セドリックはそれを見て、ハッと身構えた。

 シャロンは見せつけるようにゆっくりと紙片を開く。


「こちら、あなたが十歳の時にわたくしに書いて寄越した証文ですわ」

「卑怯な……」

 セドリックは低く唸る。

「どちらがですか。騎士を目指す少年が、年下のいたいけな少女を泣かせたのです。身命を賭してわたくしを危機から救うのが、筋というものではないですか!」

 シャロンは幼い頃から狡猾な悪魔だった。

 セドリックは剣術の稽古の際に見学に来ていたシャロンの脚を誤って傷つけてしまい、その際に今後彼女が困っていることがあれば必ず力になる、という血判状を書かされていたのだ。セドリックが十歳、シャロンが七歳の折りである。

 因みに翌日、シャロンは元気にダンスのレッスンを受けていた。


「淑女の身を傷つけておきながら卑怯と罵るなんて、それが近衛騎士の誇りですか、セドリック・ガーゴ! 家紋のグリフォンが泣いていますわよ!!」

「分かった!!」

 セドリックは思わず返事をした。

 代々騎士を輩出している家系であるガーゴ家の家紋は、雄々しきグリフォン。叡智と決して屈しない強さの象徴だ。

「無駄な抵抗をせずに、最初からそう仰ればよろしいのに」

 三度、にっこり。


 こうして、ゴールドン伯爵家の長男セドリック・ガーゴと、コフィ子爵家の令嬢シャロン・イーストンが、正式な婚約証書はまだ交わしていないが恋仲ではある、と瞬く間に王都中を駆け巡った。


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