Ⅰ.もう一人の近衛騎士②
カミルの実力を証明する舞台。それを用意するために、アルフレートはできうる限りの根回しと情報収集を行いつつ、機会が訪れるのを待ち続けた。
アルフレートの元に有力な情報がもたらされたのは、その年の十二月下旬のことである。
国の北東にあるマンハイム公爵領。その東端に存在する山奥の豪雪地帯で反乱が起きた。
最初は地方軍が対応にあたったが、反乱軍から思わぬ反撃を受けて大きな犠牲を出し、マンハイム公爵は国に助力を求めた。
国の北側の領地において、領主の手に負えない軍事を担当するのは黒元帥ブルンクホルスト公爵である。
反乱の規模自体はそれほど大きくもなかったため、当初はブルンクホルスト公爵自身もすぐに収束できるものと楽観視していた。
しかし、山を背にした防御地形は攻めづらく、王都で常春の気候に慣れた兵士たちは冬の寒さに動きが鈍い。公爵自らが立案した作戦もうまく機能せず、最終的にブルンクホルスト公爵は「冬の間は鎮圧困難」と結論を出して、反乱鎮圧を投げだしてしまった。
これを絶好の機会と捉えたのがアルフレートである。
この件の解決を一任してもらえるよう父帝に頼み込んで許可を得ると、一足先に近衛騎士に任命してあったユリウスを作戦指揮官に、その副官としてカミルを任命。二人に派遣軍を編成させて、辺境へと送り込んだ。
この派兵に反対意見が出なかったのは、これの失敗によってアルフレートが失脚することを望む者、あるいは皇后の権威が削がれることを期待する者が大半を占めていたからである。
当の皇后はといえば、アルフレートの名を聞けば反乱兵たちも恐れおののいて自ら投降するだろう、と無邪気に信じていた節がある。
数多の思惑が交錯するなか、当時少佐の階級にあったユリウスと中尉だったカミルは、歩兵一個中隊を編成し、近接歩兵九二名、弓歩兵二八名、魔術歩兵十一名に救護隊十七名を加えた、わずか一四八名の兵を引き連れて遠征へと赴いた。
結果としては、現地に先行したユリウスとカミルが数日かけて情報収集を行い、それをもとに作戦を立案。奇策を用いてたった一日の戦闘で反乱部隊の鎮圧を成功させてしまったのである。
この功績を認められ、ユリウスとカミルはともに二階級の特進を成し遂げ、ユリウスは大佐に、カミルは少佐へと階級を進めた。さらにこの作戦において最も重要な役割を担ったとされるカミルには、新たに男爵位とディステルの家名が与えられ、改めて貴族の身分を手にすることになったという次第だ。
当然ながら、これに不平不満を抱く貴族たちは多くいたが、黒元帥であるブルンクホルスト公爵が匙を投げたほどの案件を、これほど鮮やかに解決し、しかも自軍の兵にほとんど被害を出すことさえなかったユリウスたちの功績が事実である以上、表立って文句を言える者はいなかった。
こうしてカミルは、平民の血を引く庶子でありながら異例の出世を果たし、二十歳前の若さで騎士にまでなった。
武官であれば誰もが『騎士』を名乗れるわけではない。皇軍あるいは国軍に身を置き、佐官以上の階級を持つ者だけが特別な制服の着用を許され、『騎士』と呼ばれる存在になる。それ故に騎士は武官の憧れでもあるのだ。
ただ、皇族の近衛騎士に選定された者は、武官としての武勲がなくても例外的に書類上の手続きのみで階級を与えられることもある。そうした場合、他の武官からは侮られることもしばしばであった。
カミルに関しては、それともまた性質が異なる。実力において武勲を示した上で、正式に少佐の地位を掴みはしたものの、その事実を認めたがらない者も多かった。
さらに庶子という出自は、やはり貴族たちからの偏見と侮蔑を呼ぶ。
結果として『成り上がり貴族』と『成り上がり騎士』というふたつのありがたい蔑称を周囲の貴族たちから賜るに至ったのである。
本人はそれを気にするでもなく飄々としている。
近衛騎士としての素養に不足がない限り、アルフレートにとっても不満はない。時に不躾とも思えるほど遠慮のない言葉や視線をぶつけてきたとしても、心にもない世辞を言う貴族よりはよほど気が楽だった。
とはいえ、この日はいつにも増して無遠慮な視線が送られてきた。
カミルがあまりにもまじまじと見つめてくるので、アルフレートは眉根を寄せる。
「私の顔がそんなに珍しいか?」
「そうですね」
皮肉交じりに投げかけた質問に予想外の返答がされて、アルフレートは怪訝な顔で臣下を見上げる。
「今日はいつもより顔色がいいみたいなので」
それは何気ない指摘だった。
しかしアルフレートは核心を突かれた思いで、はっと柳眉を跳ねあげた。