Ⅳ.意味深な二人①
市井の人々が暮らす街の東端に存在する雑木林。その中にぽつんと佇む一軒家。錬金術師が一人で生活するその家のそばには小さな馬小屋がある。
街から外れたこんな場所では馬がいないと何かと不便だからだ。ウィリアムの愛馬がそこでのんびりと水を飲んでいた。その隣に、今はもう一頭の馬が繋がれている。
ウィリアム邸で最も使用頻度が高いと思われる一室――工房として使われている部屋に、赤毛の子爵が訪ねていた。
「すまなかったね。最近予定が立て込んでいて、来るのをすっかり忘れていたよ」
シルヴァーベルヒ家の当主は悪びれもせずに謝罪した。
「とはいえ、私の訪問をカレンダー代わりにするのはやめなさい」
教師めいた口調でステファンはくすりと笑う。
「空腹と寝不足で倒れていたんだって? ウーリから聞いたよ」
空腹の原因はあくまで研究に没頭していたからではあるのだが、ウリカに指摘されるまで食材が切れかけていたことに気づかなかったのは事実だから、ウィリアムはあえて反論しなかった。
代わりに別の文句を口にする。
「あの子は大袈裟に騒ぎすぎです。一日寝食を忘れたぐらいでは栄養失調にすらなれませんよ」
「まあ、そう言わずに。あの子は優しい子なんだよ」
「知っています……そんなこと」
視線を逸らしたあと、ウィリアムはどこか気まずそうな表情を浮かべる。それから窺うようにステファンを見た。
「彼女はあの頃のことをほとんど記憶していない、と言っていましたね……実際のところ、どれくらい覚えているんでしょうか?」
「さて、ね……気になるなら、直接本人に聞いてみればいい」
「それができないから、貴方に聞いているんです」
ステファンの意地悪な返答に、拗ねるような口振りでウィリアムは反論する。
子爵は肩を竦めた。
「あの直後というと、あの子は一晩泣き通しの上、食事もまともにとってくれず、苦労させられたよ」
過去の記憶を掘り起こす素振りのステファンだが、慎重に言葉を選んでいるようにも見えた。
「いちいち大袈裟な子だ」
「それだけ大きな存在だったんだよ、『パット』と『ビル』は……」
「…………」
ウィリアムが視線を伏せて言葉に詰まる。
「まだ幼い子供だったからね。泣き通した翌日に高熱を出して数日寝込んでしまい、目を覚ました時には、君たちのことを忘れていた」
「強いストレスが原因なのでしょうか……?」
「それは分からない。ただ、辛い経験を忘れることで平常心を保とうとする防衛本能なのかもしれない……だから、そこに繋がる記憶も封印してしまっている」
ステファンの推測を交えた説明に、ウィリアムは吐息して応えた。
「それでも、余計なことだけはしっかり覚えている」
「なんだ……やっぱり気づいていたんだね。あの子が錬金術を習いたがった理由」
くすりとステファンが笑う。柔和な表情を浮かべているくせに、どこか意地悪な印象があった。
心のうちを見透かされているような居心地の悪さを感じながら、ウィリアムは言葉を返す。
「約束した相手のことは忘れてしまっているくせに……面倒なことだ」
「思い出させたくないから、遠ざけようとしているのかい?」
ステファンの問いに、ウィリアムは何かを言いかけて口を開くが、言葉が形になることはなかった。
興味深げにその様子を見ながら、ステファンは言葉を重ねる。
「あの子はもう、それほど子供ではないよ。あの頃はただ真っ直ぐに目の前の光景を見つめているだけだったが、今は真っ直ぐに現実と向き合って、受け止められるはずだ」
「思い出さないほうがいい。せっかく忘れているのだから」
自嘲したような陰りのある笑みがウィリアムからこぼれ落ちる。
「それでも、あの子はいまだに『ビル』の影を追っているよ。多分、これからも……」
なおも追い打ちをかけてくるステファンの主張に、ウィリアムの口からは深いため息がもれる。
だが反論の言葉は浮かばず、室内に沈黙が落ちかけたとき、工房へと近づく足音が聞こえてきた。