Ⅲ.騎士の朝帰り②
互いの意思と認識を確認し合った二人は、その後すっかりリラックスして他愛ない話に花を咲かせていた。
話題はもっぱらユリウスの日常に片寄っている。
アルフレートがユリウスの私生活を知りたがったからだ。
使用人として、時には友人としてユリウスを支えてくれるハインリヒとの関係。
年齢に見合わぬ知識と聡明さで絶えず刺激を与えてくれる従弟のジークベルトのこと。
自由奔放で時に予想もつかない行動をとって周囲を振り回す幼馴染みのウリカの話。
ユリウスがどんな話をしても、アルフレートは楽しそうに目を輝かせる。笑顔を浮かべる友人の姿が嬉しくて、ユリウスもつい色々と話し込んでしまった。
多岐に渡る話を深く掘り下げながら話していたせいか、ふと気づけば陽が沈んですっかり外は暗くなっていた。
「そろそろ帰らないと、ハインツが心配するな……」
七時過ぎを示す時計の針を見て、ユリウスがぽつりと洩らす。
「ハインツというのは、さっき話に出てきた執事のことだな?」
「優秀なのはいいんだが、どうにも過保護な上に口うるさくてな」
肩を竦めてぼやきながらも、ユリウスの表情は楽しげだった。
アルフレートがくすりと笑う。
「そうか。なら、そろそろ解放してやらなければ気の毒だな」
「お気遣い頂きまして、ありがとうございます」
冗談めかした遣りとりで戯れながら、二人はソファーから立ち上がった。
「明日は……」
予定を確認しようとして、アルフレートの言葉が一瞬止まる。
「お前は休みだったな……今日のこともあって疲れただろう。ゆっくり休むといい」
そう労いの言葉をかけたのに、それを見たユリウスは眉をしかめた。
「大丈夫か?」
思わぬ問いかけに、アルフレートは戸惑う。
ユリウスがその頬にそっと触れた。
「不安そうな顔をしている」
ユリウスの指摘にぎくりとする。
じわりと涙が滲みそうになってアルフレートは焦った。
不意打ちの気遣いで思わず緩みかけた涙腺をなんとか引き締めて、アルフレートはユリウスの手をやんわりと押しのける。
「何でもない」
そう答えるが、ユリウスは引かない。それどころか、とんでもない反論が飛んできた。
「そうやって拒絶するのは、俺を信用できないからか?」
「何を言って……?」
思いもしない言葉を浴びせられて、アルフレートは戸惑った。
それには構わず、ユリウスは険を帯びた表情で言い募る。
「友人だと言ったのは口先だけで、本当は俺を信頼していないから、本心を隠すんじゃないのか?」
「違う!」
アルフレートは思わず叫んでいた。
ユリウスらしからぬ意地悪な問いかけが、まるで自分の気持ちを否定されたように聞こえたからだ。
それでもやはり、正直な告白はできなかった。
「これは俺の個人的な問題だ。そんなもので、お前を煩わせたくない」
だがユリウスはなおも食い下がる。
「つまり俺のことを、友人の悩みに対して迷惑で煩わしいと考えるような人間だと、お前は思っているんだな」
「なんでそうなる……?」
ユリウスのしつこ過ぎる追及は、もちろん狙いがあってやっているものだ。
先程のアルフレートの発言でも分かるように、この皇子はなにかと一人で抱え込んで他人と距離をとろうとする癖がある。だがそれでは今までと同じだ。わざわざ互いの意思を確認しあった意味がない。
だから無理矢理にでもアルフレートを追い込んで本音を引き出そうとしているのだ。
そしてユリウスの狙い通り、アルフレートが弱々しい声を絞りだした。
「俺はただ……一人を実感するのが、怖いだけだ……」
「一人を実感する?」
アルフレートは観念して肩を落とした。
「夜。この部屋で一人になると、どうしようもなく喪失感に襲われることがある。まるでこの世界に自分一人しかいないような錯覚に囚われて、そういう日は決まって悪夢を見るんだ。そして目を覚ました瞬間、不安に駆られる。お前に出会ってからの日々が、すべて夢だったんじゃないかと思えて恐ろしくなるんだ……」
一種の強迫観念のようなものかもしれない。
アルフレートは生い立ちも含めて常に厳しい立場に縛られている。長年一人で背負い続けてきた重圧に苛まれて、眠れなくなることがあっても不思議ではない。
いつもとは明らかに違う怯えるような表情が、小さかった頃の姿と重なったせいか、ユリウスは反射的にその体を抱き寄せていた。
そのまま落ち着かせるように頭を撫でると、アルフレートは縋るようにユリウスにしがみついて、微かな泣き声をもらした。
一度は堪えようとした涙が、もはやタガが外れてしまって抑えようがなかった。
それでも隠すように顔をユリウスの体に押しつけて、必死に声を押し殺そうとする姿が見ていて痛々しい。
五年前、アルフレートを子供扱いしてはいけないと思ったことがある。それは間違いだったのではないか、と今にして思うユリウスだった。
本当はもっと甘やかしてやるべきだったのかもしれない。長い間、他者に対して心を閉ざしてきたアルフレートは、甘え方を知らずにここまで来てしまった。
「ずっと一人で耐えていたんだな」
自分のあまりの不甲斐なさに、ユリウスは懺悔のような言葉を吐きだす。
「気づいてやれなくて、悪かった……」
アルフレートの口からはついに嗚咽がもれた。
氾濫する川のように押し寄せる感情――それに身を任せるようにして、アルフレートは泣きじゃくる。
この孤独な皇子を守っていかなければと、改めて決意を固めて、ユリウスは友人の背中をさすり続けた。