Ⅲ.孤独の皇子③
魔術学の教室から離れ、宮殿の南西に位置する魔術研究棟へと向かう道すがら、アルフレートは小さなため息をついた。
「先ほどの様子を見て分かっただろう。私とまともに向き合おうとする者など、ほとんどいないのだ」
あの場にいた者たちは、アルフレートから目を逸らし、極力関わろうとせず、嵐が去るのをじっと待っているかのようだった。
それでいて、隙あらば皇族の権威を盾にとり、気に食わない相手を糾弾しようとする者までいる始末。ほとほと呆れてしまう……。
ただ、唯一の例外を除いては――
「それでも、あのカミルという男は、私があの場にいることを疎んじながらも、目を逸らしはしなかった。他の者たちよりも幾分かはましだな」
「まし」と言いながらも、その口振りはカミルを高く評価しているように聞こえた。
「それに、軽率に見えてもばかではない。主語をぼかした物言いで私の力量を計ろうとした。あれはうまい言い回しだったな」
アルフレートが指摘するのは『矜持を保ったまま実力を示せるほど器用ではない』というカミルの発言だ。
あれは自分の矜持を保ちたいのではなく、相手の矜持を傷つけないようにするのが難しい、という趣旨の言葉だった。しかもそのあと『能力不足を嘆く』と言ったのは、不足している能力が身分であることを主張するもの。
つまり出自とそれによって被る不利益に不満をもらしての皮肉である。
カミルの発言を正しく解釈するとこうなる。
『いかに実力を示したところで、男爵家の三男でしかも庶子という立場では誰も素直に評価してはくれない。そういう連中の矜持を傷つけないように実力を示すなんて不可能ごともいいところだ。実力を無視して出自で判断されるのだから理不尽極まりない』
この真意を即座に見抜いて切り返したアルフレートを、カミルのほうでも高く評価した様子だった。
アルフレートとカミルは他者とは違う次元で会話をしていた。あの場で聞いていて、二人の会話を完璧に理解していたのは、おそらくユリウスだけだったろう。
カミルは身分による劣等性を不当なものと感じている節がある。だから身分の高さを盾にする連中を嫌っている。そういう意味では、皇族であるアルフレートとは相性が悪そうにも見えるが、アルフレートに敵意を向ける様子はなかった。
むしろ自分の境遇に不満があるという意味では共通点があるともいえる。しかも二人とも貴族社会を皮肉な目線で捉えている。
条件さえ合えば手をとりあえる二人かもしれない、という感想をユリウスは抱いていた。
「ユリウスはどうして幾度も私に話しかけようと思うのだ?」
アルフレートは足を止めて振り返る。
「父が殿下のことを気にかけていたこともありますが、私自身も幾度か殿下のお姿を拝見した折、どこか人と距離をとっていらっしゃるように見えて、気になっておりました。だから殿下のお人柄をもっとよく知りたいと思ったのです」
そう答えると、アルフレートが意地の悪い笑みを見せた。
「私のことを知りたければ噂話を拾えば良かろう。この宮中の至るところで誰もが囁いているのだから」
皇子が浮かべるほの暗い笑顔にひどく寂しげなものを感じて、ユリウスは暗澹とする。
貴族社会の闇を見ているような気分になったからだ。
だからこそ、子供だましで誤魔化しの言葉をかけてはいけないと思った。
「伝聞である以上、噂話の信憑性は低く、参考になるとは思えません。自分の目で見て判断したかったのです」
「無謀なことをする。私が噂通りの人物なら、不敬罪に問われて今頃は牢の中だったかもしれないぞ」
「父から殿下の為人を聞いておりましたから、大丈夫だと確信がございました」
「それとて伝聞ではないのか?」
意地悪をするように突っ込むアルフレートは、いたずらっ子のような表情を浮かべていた。だから、ユリウスもそれに合わせて笑う。
「父の人柄はよく知っております。ですから噂話とは自然と信憑性も違ってくるかと」
「理屈の多い奴だ」
「殿下が理屈を求めておいでだったようなので」
冗談めかして返すと、アルフレートが吹きだすように笑い声をあげる。しかしすぐに笑いを収めて、寂しそうな声を落とした。
「私のことなど知ってどうする? 知ったからといって、何ができるというわけでもないだろうに……」
その呟きには絶望と諦観の響きがあった。
しかしユリウスの回答には迷いがない。
「そうですね……どうするかまでは考えておりません。今はただ、貴方を知りたいと思っているだけです。それでは、いけませんか?」
その言葉の意図をアルフレートはすぐに察した。
皇子は小さく笑う。
「そうだな。知らねば考えようもない。そなたの言う通りだ。それで悪い道理はないな」
「ええ。ですから、これからも訓練場に顔を出してくださると嬉しいのですが」
ユリウスがそう懇願すると、アルフレートはようやく無邪気な笑顔を見せた。
「仕方がないな。ユリウスがそう言うのであれば、たまには様子を見に行ってやろう」
戯れごとのような言い草で約束した皇子は、ほんの少しだけ安心した表情を浮かべていた。




