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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第一章 シルヴァーベルヒ
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Ⅲ.子爵令嬢の縁談②


 三の鐘(昼十二時の報)が鳴り響くころ、応接室(ドローイングルーム)には客人が迎えられていた。


「わざわざご足労いただき大変恐縮なのですが、娘が昨夜から体調を崩してしまいまして……クライルスハイム伯爵には申し訳ないのですが、今回のお話は……」


 軍人としては優秀だがそれ以外ではポンコツの世渡りべた――貴族社会でそんな風に揶揄されているステファン・フォン・シルヴァーベルヒ子爵は、眉をハの字にして気弱な謝罪を吐きだした。


「体調がすぐれないのであれば仕方がありませんよ」


 この縁談を持ちかけたクライルスハイム伯爵が、表面上は穏やかな笑みを湛えて謝罪を受け入れる。


 心の底ではなんと思っているやら、と内心で含み笑いつつ、ステファンはそれとなく伯爵を観察する。


 それなりの容姿をセンスで補っている。そんな印象だ。

 年齢は二十六歳。ウリカとは十歳以上の差があるが、貴族社会では珍しいことでもない。

 平均的な身長の持ち主で、手入れの行き届いていそうな薄黄(クリーム)色の長い髪は後ろで一本に束ねられている。色素の薄い空色の瞳は柔らかく理性的な光を浮かべていた。


 人当たりが良く、女性にモテるらしいという噂は聞いたことがある。

 その噂を証明するかのように、伯爵は柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべた。


「今回はいったん保留ということで、また次の機会にでも……」


 クライルスハイム伯爵が延期を提案しようとした瞬間、それを遮るように声が響いた。


「お父様……」


 小さく、けれどもよく通る声が、室内にいる全員の気を引いた。


 いつの間にいたのか、寝間着の上にガウンを羽織った金髪の少女が、赤毛の少年に支えられて部屋の入口に立っていた。


「いけません、お嬢様。安静にされていませんと」


 慌ててモーリッツが駆け寄る。なかなかの演技力だ。


 少女は体を支えられながらも、優雅な所作で淑女の礼をする。


「初めてお目にかかります。ウリカ・フォン・シルヴァーベルヒと申します。本日はわたくしのためにお越しいただいたにもかかわらず、このような姿での挨拶となり、申し訳なく思っております」


 弱々しい声で挨拶する少女は、顔色悪く目を伏せる。


「噂に(たが)わぬ美しいお嬢さんだ……」


 伯爵は素直な感想を口にしたあと、すぐにとり繕うような憂い顔を見せた。


「無理を押して会いに来てくださったことは嬉しく思いますが、体調がすぐれない時はきちんとお休みなさい。ご家族が心配されるでしょうし、私も心配になってしまいます」


 優しい声で諭す伯爵の言葉を聞き流しながら、ステファンは『娘』の様子を見守った。


「……お気遣い、ありがとうございます」


 顔をうつむかせて目を伏せたまま発する声は、心なしか暗く沈んで聞こえる。


 伯爵はそれに気づいているのかいないのか、変わらぬ調子で『子爵令嬢』に語りかけた。


「今日のところは仕方がありませんね、とお父上とお話ししていたところです。後日また、日を改めて――」

「うっ……」


 またしても伯爵が延期を切りだすのを見計らったようなタイミングで、少女が嗚咽(おえつ)を洩らした。


「どうしました? もしや気分が……」


 話を遮られたことに不快感は示さず、問いかける伯爵の声は相変わらず気遣わしげで優しい、が……。


「申し訳ありません。ずっと言おうか言うまいか迷っておりましたが、伯爵様のお心遣いに触れていますと、とても黙っていることなどできません」


 絞りだすように答える少女の頬をつっと涙が滑り落ちる。

 場にいる全員がぎょっとした顔を浮かべた。


「実はわたくしには心に想う方がいるのです。このような気持ちを抱えたまま伯爵様の求婚をお受けしていいものか……そう思い悩んでいるうちに体調を崩してしまいまして……」


 震える声で告白した少女は、その場に崩れ落ちるように上体を伏せて、(はばか)ることなく泣き声をあげ始める。


 いささか大げさに過ぎるが、あまり普通の少女らしくしても、逆に『変わり者令嬢』らしく見えないので、これで問題はない。

 要は拒絶の意思が相手に伝わればよいのだ。


「そのような事情があるとも知らず、私はあなたを苦しめてしまったのですね。申し訳ないことをした」


 期待したとおり、伯爵は気遣うように謝罪する。

 本心でどう思っていようとも、当面は『良い人』の顔を崩さないだろう。心証を良くしておくに、越したことはないからだ。


「わたくしどものほうこそ、どうか無礼の限りをお許しいただきたい」


 ステファンは狼狽(ろうばい)を前面に押しだして情けない声を響かせる。


 そして、


「ジーク、ウーリを寝室に連れていきなさい」


 慌てて付き添いの少年に声をかけた。


「はい。父上……行きましょう、姉上。無理をしてはお体に障ります」


 令嬢に弟が付き添う姿は不自然さが拭えない。本来ならメイドの役目だ。


 だがそこは変わり者令嬢を擁するシルヴァーベルヒ。不自然どんとこいである。


「まったく、こんな状態なのにひとりで部屋を抜けだすなんて無茶が過ぎますよ。僕が通りがからなかったら、どうなっていたか……」


 いかにも姉思いの優しい弟を気どった息子は、父の意を汲みとって、わざとらしい大きな声で『姉』に注意しながら退場していくのだった。


 ステファンが情けなく狼狽(うろた)えながら赤銅色の頭をかく。

『無能な当主』は息子たちを見送ったあと、(まなじり)を下げたまま伯爵に声をかけた。


「この度の非礼をお詫びいたします。昼食の準備が(ととの)っておりますので、せめてお食事だけでもお楽しみいただければ幸いです」


 クライルスハイム伯爵は珍騒動に面食らった様子で目を瞬かせていたが、子爵からの誘いを受けて、はっと我に返ると、即座に誘いに応じた。


「せっかくご用意いただいたものをお断りしては、却って失礼にあたりますね。ありがたくお(まね)きにあずかりましょう」


 変わらぬ人当たりの良さで、彼は柔らかく微笑んだ。

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