Ⅰ.最高のプレゼント③
「木剣をなくすといけないから」と部屋にプレゼントを置きに戻ったアルフレートを見送ったユリウスが、二人のやりとりを静かに見守っていた父親に向き直る。
「此度は無理を聞いてくださって、ありがとうございます父上」
「別に無理はしていない。余計なことは気にせず、必要な時には頼りなさい」
何でもないことのように言うが、『皇帝のお気に入り』という立場を利用する行為は、本来ならエーリッヒの気性と相反するものだ。端から見ても心証のいいものではない。
それでもユリウスの思いを汲みとって頼みを聞いてくれた父には頭が上がらない思いだった。
「私はそろそろ陛下のところに戻るよ。一応護衛として来ているからね。いつまでもサボっていると叱られてしまう」
冗談めかしたその言い方には、皇帝に対する信頼が滲んでいた。
たとえ周囲が現皇帝を悪しざまに噂しようと、エーリッヒの思いが揺らぐことはない。唯一、親友であるステファンに理解してもらえないことだけが目下の悩みではあるが……。
「父上」
会場に戻ろうとするエーリッヒの背中に、ユリウスが声をかける。
「俺が来るまで殿下のお側にいてくださり、ありがとうございました」
エーリッヒは高く上げた片手をヒラヒラと泳がせるだけで、振り向きもせずに行ってしまう。
小宮殿の中庭にひとり残されたユリウスは夜空を見上げた。三日月の時期が過ぎ、丸みを帯び始めた月がぼんやりと浮かんでいる。
これまで漠然と軍人になるために剣術や戦闘術を学んできた。具体的な目標や見通しがあるわけではない。それは士官学校卒業後にゆっくり見つければいいと思っていたからだ。
それが今、明確な形を持ち始めたのを、ユリウスは胸の奥で感じていた。
「少しいいかしら」
物思いに耽っているところに数人の人影が近づいてきた。
そちらに目を向けたユリウスは、はっと目を瞠る。すぐに膝を折って頭を下げた。
銀色の髪の毛を上等な髪飾りできらびやかに結いあげ、豪奢な真紅のドレスに身を包んだ女性が、ユリウスの前で足を止めた。
扇子で下半分が隠れてはいるが、美しい容貌であることを誰もが知っている。
アルフレートの母親にして国の母たる皇后カザリン・フォン・オイレンブルク――三人の騎士を後ろに従えた皇后陛下が、菫色の瞳でユリウスを見下ろした。
「最近アルフレートと親しくしている士官学校生というのは貴方のことかしら?」
「……左様でございます」
頭を上げる許しが出ないため、頭を垂れたままユリウスは答えた。
皇后に好意的な色はなく、自然、ユリウスの口調は堅くなる。
「あの子に剣術を教えるのだと聞きました」
「はい。殿下とそうお約束しております」
「そう……」
皇后の声が一段と低くなり、ぞくりとしたものが背筋を這う。
「あの子はまだ十二歳になったばかりなのですよ。剣を習うには早すぎます」
「私は十歳の頃にはすでに剣を握っておりました。早すぎることはないかと」
萎縮しそうになる心を何とか奮い立たせて、ユリウスは反論を試みる。
剣術を教わりたいのだと、目を輝かせてわがままをぶつけてきた皇子。あの無邪気な笑顔を守るためにも、簡単に引き下がることはできなかった。
「なにか勘違いしているようね。お前の意見を聞きたいのではなく、わたくしの意見を蔑ろにしていることが問題だと言っているのです」
顔を伏せたままであるため、ユリウスには皇后の顔が見えないが、その声音からは激しい苛立ちと嫌悪、そして蔑みの感情が読みとれた。
しかし怯んではいられない。
「アルフレートの教育にあっては、母親たるわたくしの意向をまず確認すべきこと。それが筋というものです」
「恐れながら、此度のことは殿下ご自身のご意志であり、最高位たる皇帝陛下の許可を得ておりますれば、そちらのご意向が優先されるべきと存じます」
皇后が眉間のしわをいっそう深くする。
「皇后たるわたくしに楯突くとは無礼な」
「皇帝陛下の許可とはすなわち皇命と同義です。何が最優先かは明らかと申せましょう」
「おのれ! 恥を知らぬ不忠者が!」
どこまでも食い下がるユリウスの強情な態度に業を煮やした皇后が、感情を爆発させる。
「皇后のわたくしに対して不躾な発言がありました。この者を不敬罪で捕らえなさい!」
皇后の声に応えて三人の近衛騎士がユリウスをとり囲んだ。
壮年の騎士二人が威圧的にユリウスを睨んでいる。残りのもう一人はまだ年若く、少し戸惑っているように見えた。
やはり父親に迷惑をかけることになりそうだと、ユリウスが心密かに嘆息した時だった。
「お待ちください!」
焦りを滲ませた声が、ユリウスと皇后の間に割って入ってきた。