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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第九章 漠然とした思い
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Ⅰ.士官学校の入学試験①


  ◇◆◇◆◇


 八月中旬のある日のこと。

 アルフレートは宮殿を一人で歩き回っていた。


 まだ十一歳という成人前の皇子には(とも)が欠かせないはずだが、アルフレートは一人だった。人目を盗んで後宮を抜けだす常習犯にとっては珍しいことでもない。慣れたもので、迷うことなく目的の場所へと向かっていた。


 宮殿の敷地の中央には、本殿が偉容(いよう)を構えている。

 その東側に併設された武官育成の拠点となる東棟(ひがしとう)はこの日、落ち着きのない空気でざわめいていた。

 東棟の南にある前庭のような場所にたくさんの人が集まっているからだ。

 午後からそこで士官学校入学試験の実技テストが予定されている。


 聞いていた通りだな、と思いながら。十一歳の皇子は試験会場を見渡した。


 広場の中央付近に土を盛って作られた正方形の闘技場(とうぎば)があり、そこの上で受験者の実技を見るようだ。


 その場所を中心に、年若い受験者らしき者たちや見物に来たらしい軍関係者などの姿が確認できる。

 受験者の数は多そうだが、見物人はまばらで、みんな適当に見学場所を確保しているようだった。


 アルフレートは目立たぬ場所にちょこんと座って、試験の開始を待つことにした。

 周囲に人は多いが、召使い(フットマン)の制服を着ているから、誰も皇子とは気づかないだろう。


「今年は最年少受験者がいるって?」

「らしいな。十四歳で受験とは、大した度胸だ」


 ふと、見物人と思われる男たちの囁きが耳に入る。

 騎士隊の制服を着ているから、現役の騎士なのだろう。二人で内緒話でもしているような雰囲気だ。


「軍人の家系だというから親の命令なのかもしれないが、十四歳の身空で、急いで士官することもあるまいに……」

「若いといえば、魔術学校を首席で卒業したばかりの変わり種もいると聞いた。そっちもまだ十五、六という話だが」

「ああ、男爵家の三男坊のことだな。庶子という話だから、家を追いだされる前に実績をつくっておきたいんだろう。魔術学校と士官学校の双方で好成績を修めれば、かなりの箔がつくからな」


「アウエルンハイマー公爵のご子息もいるという話だし、今年の受験者には注目株が多いようだな」

「注目株ねえ……変わり種はともかく、他の二人はコネで通るんじゃないかとの噂もある」

「コネ合格するとしたら最年少のほうだろう。父親が今回の試験統括(とうかつ)官なんだろう?」

「らしいな。みえみえのデキレースなんて事態にならないことを祈るよ。騎士隊の権威が失墜しかねん」


 迷惑そうな声音を響かせて、男のひとりが舌打ちする。


 人はいつだって噂話が好きだ。アルフレートもこの手の話は聞き慣れている。

 どちらかというと話題の中心になりがちな皇子は、話の渦中に登場した受験者たちに同情したが、それもほんの一瞬のことだった。


 どうせ噂をする人間は、本人たちの事情も無視して好き勝手にものを言うのだ。適当に言い捨てられる言葉にいちいち惑わされていては、皇宮で正気を保ってなどいられない。気にしては負けなのだ。


 そうやって他愛ない雑談を聞き流しているうちに、試験会場の賑わいが増してきた。いよいよ実技テストが開始されるらしい。


 実技試験の内容は前半と後半に分かれている。前半戦は受験者同士の一対一による立ち合いだった。

 男たちが噂していた最年少受験者は三組目に登場した。


 十四歳にしては長身だが、顔立ちは誰より若く、体つきもまだ華奢(きゃしゃ)に見える。暗緑色(あんりょくしょく)の地味な髪色の奥で光る琥珀(こはく)の瞳がやけに印象に残った。


 対するのは、二十歳そこそこと思われるやたらと体格のいい男。服の上からでも隆々とした筋肉が見えるようだった。


 やるまでもなく結果が見えたと思える対戦。運のない少年だ、と感想が囁かれる。


 アルフレートはきょとんと首を傾げた。


 騎士たちが噂しあっていたようなコネの影響があるようには見えなかったからだ。むしろこれでは「逆コネ」ではないか……。


 しかし、いざ始まってみると、試合の内容は誰もが目を疑うものとなった。


 筋肉質で大柄な青年剣士の切っ先は、一度として少年の体を掠めなかったのである。

 攻撃の全てがきれいにかわされ、あるいは受け流されて、焦りで体勢を崩した瞬間に足元を(すく)われた青年剣士は派手に転倒する。その首筋に剣を突きつけられて、勝敗は驚くほどあっさりと決した。


 こうして最年少受験者は、この日最大の注目株となった。


 実技テストの後半は、皇軍の騎士が試験官として受験者たちの対戦相手を務める。

 対戦者として出てきた騎士は赤銅(しゃくどう)色の髪が人目を引く壮年の男だった。


 ステファン・フォン・シルヴァーベルヒ――実戦経験が豊富な騎士で、対戦相手を涼しい顔でいなしていく姿には風格があった。

 受験者のほとんどは、彼を最初の立ち位置から動かすこともできずに惨敗していく。

 半数の受験者と対戦を済ませた赤毛の騎士は、いまだに剣を鞘に納めたままだった。


 彼に剣を抜かせる受験者はいるのか――そこにも注目が集まりつつあるなか、最注目の少年に出番が回ってくる。


 注目を集めながらも顔色ひとつ変えない少年――最年少の受験者を遠巻きに見つめるアルフレートは、そわそわと妙に落ち着かない心持ちで試合の開始を待っていた。

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