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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第八章 その告白は懺悔のように
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Ⅰ.皇女の告白①


 ぽろぽろ、ぽろぽろ。


 涙がこぼれ落ちて止まらない。泣くな、泣くな、と自分に言い聞かせても一向に収まる気配がなくて、ジルケは自分自身の感情に苛立った。


 取り返しのつかない間違いを犯してしまった――その罪悪感で胸が苦しい。


 止まらない涙の理由が、巻き込んでしまった者たちへの申し訳なさなのか、失態が悔しいからなのか、自分でも分からない。

 ただ、大きなショックを受けていることだけは間違いなかった。


 反動のように溢れる感情が、ジルケから思考や理性を奪って、涙を止めどないものにしている。


「焦らず、ゆっくりでいいのよ」


 だから、そんな声が頭上から降ってきたとき、ようやく小さな皇女は、自分が焦っていることに気づいた。


 ――とんでもない事態を招いてしまった。どうしよう。どうすれば……。


 そんな後悔と不安が恐怖を生んで、ジルケの心は追いつめられているのだ。


「間違いに気づいて、それをちゃんと認めることができたんだから、きっと大丈夫」


 隣に座る子爵令嬢は静かにそう言って、やさしく少女の背中をさすった。


「後悔と反省が終わったら、まず最初にやるべきことを決めるの。そして次に何をすべきか考える。そうやって、ひとつずつ課題をクリアしていけば、自ずと最後の答えも導きだせるから、焦らず、少しずつ進めばいいわ」


 ――焦らず、ひとつずつ……。


 頭の中でウリカの言葉を反芻するうちに、気づけば涙は止まっていた。


 ジルケが顔を上げると、子爵令嬢の(あお)い瞳と目が合った。

 彼女はやさしく笑って少女の頭を撫でる。その笑顔につられてジルケも泣き笑うように表情を緩めた。


「ジルケはどうして市井(しせい)を見てみたいと思ったの?」


 その問いかけは、囁くように皇女の耳へと落ちてきた。


「ただの興味本意だけで、お城を抜けだすなんて無茶をしたわけじゃないんでしょう?」


 責めるでも問いただすでもない。純粋な疑問をぶつけるような何気ない声がジルケを安心させる。


「後宮を抜けだして城内を探検していたときに……」


 だからジルケは、気負うことなく話し始めることができた。


「商業用の馬車が出入りする倉庫を見つけたんだ。そこで知り合った商人とよく会話を交わすようになったんだが……」


 自分のやんちゃな行動を告白していると、前方からくすりと吐息が聞こえた。


 顔を上げて正面を見ると、ベルツ伯爵がどこか複雑そうな微苦笑を浮かべている。

 ちょっとだけ首を傾げてから、ジルケは話を続けた。


「ある日ふと童話の話題になったんだ。同じような内容ばかりだから童話は読んでいてもつまらない、と私が言ったら、地方には多種多様な童話があって面白いのだ、と商人が教えてくれた。それ以降、面白そうな本を見つけては持ってきてくれるようになったんだ」


 強く興味を引かれたジルケは、商人が本を持ってくるたびに買い取って、地方で流行っているという童話を読み漁った。


 そうするうちに、ふとした疑問が浮かんだ。


「商人から買い取った童話の本には、皇族を悪者のように書いているものが多かったんだ。思い返してみると、私がそれまで読んできた話は皇族の目線から書かれたものが大半で、皇族の存在こそが正義だとほのめかす内容ばかりだったと気づいて、正直ぞっとした……童話に書かれたありようを鵜呑(うの)みにしていた自分自身に、私は心底ぞっとしたんだ」


 自分の愚かさを悔いるように両手を握りしめるジルケに、子爵令嬢が首を傾げる。


「それでも、自分でそのことに気づけたのは凄いんじゃない?」


 彼女はそう感心してくれたが、ジルケは苦笑気味に首を振る。


「自分で気づいたわけではない。気づかせてくれた人がいたんだ」


 皇宮の中と外――あるいは王都の中と外といえるのかもしれないが、童話における皇族への評価が百八十度違うのは何故だろう。単純に疑問を持ったジルケは、まず周囲の者たちに聞いてみることにした。


 しかし宮中にいる官は困ったように言葉を濁し、母であるフィリーネ皇妃は複雑そうに眉根を寄せるだけ。明確な答えをくれた者はいなかった。


 兄のレオンハルトに至っては「皇族を(おとし)める下劣な本だ」と激昂(げっこう)し、「下らないものを読むのはやめろ」と叱りつける有り様。


 そうして途方に暮れているところに声をかけてきたのが、誰あろうアルフレート皇子だったのである。


「珍しいものを持っているな」


 彼はジルケが抱えている童話の本を指してそう言った。


「どこで手に入れたんだ?」


 詰問する感じではなく、ただ純粋に聞いただけ。そんな雰囲気だったが、ジルケは答えなかった。

 兄の政敵である皇子。気安く口を利ける相手ではないと思ったからだ。


 しかしアルフレート皇子は特に気にするふうでもなく、言葉を重ねた。


「地方で流布(るふ)しているものは平民の目線で書かれたものも多い。視点が変われば見え方も変わるものだ。多角的に物事を捉えるには適した教材といえる。大事にするといい」


 さらりとそれだけ言って、皇子は何事もなかったように去っていった。


 しばらくポカンとその場にとり残されたジルケだったが、アルフレート皇子の言葉はどこか腑に落ちるものがあった。


 納得のいく説明がもらえた気がして、それと同時に自分の視野の狭さに気づかされて憮然としたのを覚えている。


 それからだ。物事を鵜呑(うの)みにしないようにと心がけるようになったのは。


「それ以来、平民の目線がどういうものか気になって、商業用の馬車がくるたびに商人たちを捕まえて話を聞かせてもらった」


 結果、自分がどれ程ものを知らないか――それを思い知らされたのだ。


市井(しせい)の民がどのような暮らしを送っているか、私は知らなければならないと思った。少なくとも、知らぬまま自分たち皇族の正当性を主張するのは愚かなことだと思えた。だから市井を見てみたかったのだ」


 そう告白を終えたジルケの頭をウリカがまたそっと撫でてくれる。それが何だか嬉しくて思わず顔がほころんだ次の瞬間だった。


「うきゅっ!」


 ぐいっと、すごい勢いで体を引き寄せられて、ジルケはつい変な声を出してしまった。


 気づけばいつの間にか、小さな体は子爵令嬢の腕の中に納まっていて、そのまま強く抱きしめられる。


 この令嬢、力が強すぎではないか。抵抗する暇もなかったのだが……。


「そこまで考えられるなんて立派だわ……」


 突然の奇行に文句の声を上げようとしたジルケだったが、子爵令嬢のしみじみとした呟きを聞いて動きを止める。


「私なんて、十歳の頃は庭で剣を振りまわすのに夢中で、本を読んでばかりの弟を馬鹿にしていたものよ」


 恥じ入るような令嬢の告白に、錬金術師の家で見た賢そうな赤毛の少年を思いだした。


 何でも高いレベルでそつなくこなす令嬢――ジルケの目にはそう見えていたが、どうやらあの理知的な弟に劣等感があるようだ。

 そこに妙な親近感を覚えて、くすりと笑う。


「笑い事じゃないのよ」と口を尖らせながらも、ウリカは一緒に笑ってくれた。


「ウーリは太陽のようだな」


 ぽつりと感想を洩らすと、子爵令嬢はきょとんと目を瞬いた。


「そう?」


「ああ。時に眩しくて気後れしそうにもなるが、そばにいると暖かくて安心する」


 それだけに、この温もりから離れるのは惜しいな、と思ってしまうが、ジルケは立場ある者として、責任は果たさなければならない。


「私は皇女だ。甘えてばかりもいられない」


 ジルケは子爵令嬢の腕から抜けだすと、真っ直ぐにウリカの瞳を覗きこんだ。


「逃げださずに済むように、ウーリには私の決意を聞いてほしい」


 懇願するような皇女の言葉に、ウリカはただ静かに頷いた。

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