Ⅲ.忠誠の在り方②
アルフレートの言葉で真意を察した妹とは逆に、レオンハルトは未だピンとこない様子で不機嫌顔を浮かべている。
異母弟の愚鈍さに、嘲笑よりも憐れみを覚えた。
「分かり易くヒントを与えてやったというのに、そなたの思考は鈍重だなレオンハルト。そんなことでは妹にも負けるぞ」
「さっきから、いったい何を言いたいのですか?」
歯噛みするレオンハルトの瞳には明確な敵意が見てとれた。
敵視するあまり、その思考は兄皇子を否定する方向にしか働かない。それがツェツィーリエとの差を生んでいる。だからアルフレートは異母弟を憐れむのだ。
同時に惜しいとも思う。アルフレートの見立てでは、レオンハルトの思考能力は妹に劣っていないはずだ。
アルフレートは視線を皇女へと移す。
異母妹が正しくパズルを組み上げられたか、答え合わせを促すつもりだったが、その必要もなく、彼女はすぐに意図を察して頷いた。
「ベルツ伯爵は先程『第一皇子』と言った。そこに敬称を付けなかったのは『第一皇子』という肩書きを示したものだから――つまり、第一皇子という肩書きに対して忠誠を誓ったわけではないと言いたかったのだ」
レオンハルトがはっとしたように目を見開いた。
妹の解説でようやく意味が分かったらしい。
「そうなのであろう、伯爵?」
皇女が確認するようにユリウスを見上げると、彼は眉尻を下げて苦笑した。
第一皇子の近衛騎士は主の元に歩み寄ると、片膝をついて頭を下げる。
「ご承知の通り、我が忠誠は肩書きに依らずアルフレート様ご自身に捧げたもの。ですが、貴方にご理解いただいていることに甘え、周囲に要らぬ誤解を招いたのは我が不徳の致すところ。どうかお許しください」
懺悔のように謝罪を吐きだす騎士の姿に、アルフレートは「ああ……そうか」と安堵した。
先ほどユリウスが見せた怒りの表情――それが何に対するものだったのか分かったからだ。
同時に、胸中にちくりとした罪悪感が湧きあがって、自分自身の矮小さに自嘲する。
「私にも責任の一端はある。謝罪は不要だ」
温情などではない。後ろめたさが吐きださせた自責の念。
だがその言葉は、場にいる者たちの耳に寛大さを伴って響いた。
そのせいで、立ち上がったユリウスの表情は未だ渋いまま。それが妙におかしくて思わず笑いそうになる。それがうっかり顔に出ないようにと、いくらかの努力が必要だった。
一方のレオンハルトは、敗北感に満ちた紺碧の瞳に、恥辱を受けたことへの憎悪を込めて、近衛騎士を睨みつけていた。
「国家ではなく個人に忠誠を誓うなど、危険な思想ではないか」
それは悔し紛れで吐きだされた糾弾には違いないが、必ずしも間違った言い分ともいえない。
個人に対する忠誠心などというものが、ともすれば英雄崇拝へと直結し、権威主義を生みかねない危険性を孕んでいるのは事実だ。
権威主義的な思考に囚われれば、自己の責任感は希薄になり、視野は極限まで狭められ、倫理観や道徳心を無視した行為すらも正当化されて、自身の行動に疑問を持たなくなる。
ただ、レオンハルトの言う『国家』が皇帝そのものを指すのであれば、同様の危険性は当然ながら存在する。
だから、この問題提起を突き詰めるためには、『国家への忠誠とは何か』という別の議論が必要になってくるわけだ。
それらを踏まえた上で答えを明確に示せるのが、ユリウスという人物だった。
「国家とは国民である、と私は捉えております。国民なくして国家は存在し得ず、平民階級の働きなくして我ら貴族の生活は成り立ちません。故に、真に目指すべきは我ら貴族の安寧ではなく、それを支えている民の生活を守ることにあります」
レオンハルトが鼻を鳴らす。
「道理ではあるが、兄上にそれができる、とでも言いたいのか?」
アルフレートを見下すような第二皇子の態度に、ユリウスは感情を伏せて、あえて淡々と答えた。
「国を健全化するためには、国民に対して公正であることが求められます。だからこそ、万人に対し公正たるを旨としておられるアルフレート殿下を補佐し奉ることが、結果として国家への忠節を果たすことになると考えております」
「公正?」
レオンハルトの口から嘲笑うような吐息がもれる。
「昨日の不公正な裁可に荷担しておいて、よくそのような戯言を口にできたものだな。この主にしてこの部下ありということらしい」
どこまでも挑発的な第二皇子の言葉にも、騎士の表情は変わらない。
むしろレオンハルトが煽れば煽るほど、ユリウスの感情は平坦になっていく。
言葉を交わすごとに、この少年に対して同情心が沸き上がるからだ。
狭い視野に囚われ続ける皇子は、もっと現実を知らなければならない。だからユリウスは質問をぶつけた。
「貴方はヴァルテンベルク公爵領の現状をご存知ですか?」
「なんだと……?」
不意をつかれた第二皇子は、ただ困惑の色を瞳に浮かべるだけだった。