Ⅳ.ジルケの正体①
「それで……この子は何者なの?」
これまでお世話になってきたのとは違う、ふかふかのクッションが敷き詰められた乗り心地のいい馬車の中で、ウリカは訊ねた。
元々貴族の馬車は揺れを軽減するような豪華な造りではあるのだが、今日のはそれに拍車がかかった内装だった。
ジルケのために用意した馬車だからだろう。
通常は長距離を移動する際に使われている馬車のはずだ。
今日に限っては、幌に魔術による防音効果まで施しており、対策は万全だった。魔術を行使したのは、いわずもがなジークベルトだろう。
ウリカの隣には、ずっと俯いたままのジルケが座っている。
「もう見当はついているはずだろう」
何を言っているやら、と言いたげに応えるユリウスは彼女たちの対面に座っていた。
確かにウリカには答えが分かっている。
これまでの経緯とユリウスの対応を見れば、ジルケの正体は自明だ。
でも見て見ぬふりをしたくなるほど、それは重い事実だったから自分の口からは言いたくなくて、つい悪あがきをしてしまったのだ。
ウリカは観念して、少女へと視線を向ける。
「あなたは……第三皇女殿下なのね?」
問いかけではなく、それは確認の言葉だった。
「何故、私がツェツィーリエだと分かった?」
ジルケは頷く代わりに、質問を返してきた。
とうに観念していたのだろう。本来の自分の名を口にだして、ユリウスに挑むような視線をぶつける。
ジルケが真っ直ぐにユリウスと向きあうのはこれが初めてだ。
皇族に仕えるユリウスが何をきっかけに正体を悟るか分からない。その恐れがあったから、これまで徹底して避けようとしていたのだろう。
ユリウスが真実に気づいたきっかけのひとつが、彼女の容姿にあるのは確かな事実だった。
「確信したのは先刻、第二皇妃殿下にお会いした際でした。アルフレート殿下に皇女殿下の行方が知れないと相談されたのがきっかけです」
「母上が一位殿下に?」
と、ジルケは目を丸くする。
第二皇妃フィリーネ・フォン・エットリンガーは第二皇子レオンハルトの母親だ。本来なら政敵にあたるはずのアルフレート皇子に自ら弱味を見せたのか、と不思議に思うのは当然だろう。
だからユリウスは「皇妃殿下は賢明な方です」と説明を加えた。
「騒ぎ立ててはならないと、よく存じていらっしゃる。そのおかげで皇宮ではこの事を知る者がまだ少人数に限られているはずです。ですがそのせいで、打つ手が見いだせずに追い詰められていたのでしょう」
慌てた様子の第二皇妃を見つけたのは、皇子とともにいたユリウスだった。
異常事態を察したアルフレートが、周囲に聞こえないよう声を低めて何事かと尋ねると、フィリーネ皇妃はわずかに逡巡したあと、意を決して事情を打ち明けたという。
切羽詰まった皇妃は、相当の勇気と決断力を絞ったに違いない。
「詳しく事情を伺ったところ、四日前にも皇女殿下は皇宮を抜けだし、厳しく叱責されたばかりだと仰っていました。それを聞き、あのとき錬金術師の家で会った少女が皇女殿下で間違いないと判断しました」
確かに四日前はジルケに初めて会った日だ。
「それだけで、確信に至ったとでもいうのか……?」
正体を暴かれた少女は訝しげに目を眇めた。
納得いかない様子で問うジルケに対して、ユリウスの態度はつとめて冷静だった。
「先日貴女にお会いした際、疑念はすでに御座いました。今日の話でそれが確信に変わったというだけのことです」
ユリウスは疑念を抱くに至った経緯を説明する。
「あの日、貴女をお送りしたのは貴族領内にある西門広場でした。その時点で、貴女が平民ないし平民を相手に商売する商家の子ではあり得ないことが分かります」
貴族領への門を通るためには資格がいる。貴族であれば家紋、出入りを許された商人であれば通行証を提示する必要がある。だから平民が簡単に入ることはできない。
あの日ジルケがそれに類するものを所持していたかは分からないが、貴族領内に行くのが当然のような口ぶりから、彼女が貴族領に入り慣れているのは容易に想像がついた。
「さらに、貴女が彼女に対してとっていた態度から、商家の娘ではないことも予想できます」
ユリウスはちらりと視線を移動させてウリカを見る。
子爵令嬢に対して敬語も使わず、許可もなく愛称で呼ぶ。貴族の令嬢にせよ豪商の娘にせよ、礼儀は厳しく躾られるものだ。目上の者に無礼を働くなどあってはならない。
だからジルケは子爵令嬢よりも上の身分にあるはずだと、ユリウスは言いたいのだ。
――ずいぶん仲良くなったんだな。
四日前のあの日、ユリウスにそう聞かれたのを思いだして、ウリカは納得した。
あれはジルケが許可を得たうえでウリカの愛称を呼んだのか、それを確認するためのものだったのだ。
さらにユリウスは、ジルケの正体を断定したもうひとつの理由を説明する。
「そして、あの日貴女が西門広場で乗り込んだ商人の馬車には、皇宮への出入りを許された証である紋章がついておりました。つまり貴女の帰宅先は皇宮の中にあった」
ジルケは返す言葉もなく、黙りこんで視線を床に落とした。
馬車はゆっくりと東門をくぐり、貴族街に入ろうとしていた。




