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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第八章 その告白は懺悔のように
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Ⅱ.偽りの血統①


 建国王の名を(かん)する皇宮――クリストフォルス宮殿は、千ヘクタール以上の敷地を城壁に囲まれる形で存在している。

 通常、出入りするには正面の城門を通るしかないのだが、特別に許可を得た貴族や商人向けに、馬車専用の入城門が東と西にあった。貴族は東、商人は西と決められている。

 東城門から宮殿に入ったベルツ家の馬車は、騎士と小さな少女を降ろしたあと、子爵令嬢を乗せたまま、再び城門の外へと出ていった。

 無事宮殿内に入ったジルケは、ユリウスに連れられて後宮のアルフレート皇子のもとへと向かう。

 後宮の東側へと続く廊下を進み、アルフレート皇子の自室に迫ったところで、二人はその場面に出くわした。

昨日(さくじつ)の公爵への()されようは、独善的と言わざるを得ません」

 険を帯びた声が廊下に響く。

 アルフレート皇子の自室。その扉の前に数人の人影が見えた。

 自室の扉を背に、鬱陶しそうな表情を浮かべる第一皇子アルフレート。

 それに詰め寄るような態勢で怒りを(あらわ)にする第二皇子レオンハルト。

 その後ろではレオンハルトに付き従う若い男女数名が、(あるじ)と同種の表情で眉をつり上げている。

 状況を推察するのは難しくなかった。ジルケの兄であるレオンハルトが、ヴァルテンベルク公爵に下された裁可に対して兄皇子に不満をぶつけているのだろう。

 アルフレートは皇女と騎士の存在に気づいた様子だがそれを顔には出さず、レオンハルトに対して無感動な視線を向けるだけだった。

 薄い反応が気に入らないのか、レオンハルトは眉間のシワをさらに深くして批難めいた声を上げる。

「皇帝の権力を振りかざし、公爵の地位にある者を軽々しく処断するなど、代理という身でありながら思い上がりも(はなは)だしい、あまりにも横暴な対応だったのではありませんか?」

 糾弾(きゅうだん)のごとく吐き捨てられる詰問。アルフレートはただ黙ってそれを聞く。その眼差しは呆れと(あわ)れみが半々で混じりあっていた。

 だがレオンハルトはそれに気づかぬ様子でなおも言い募る。

「お気持ちは分かりますよ。兄上にとってヴァルテンベルク公は邪魔な存在だったのでしょう」

 兄皇子の反応を待つこともなく、レオンハルトはただ一方的に(まく)し立てる。

「ザムエル(きょう)は私と懇意(こんい)にしている上、広い人脈も持っておられる方だ。適当な理由をつけてでも排除したかったのでしょうね。私情に駆られて強権を振るうなど、あまりにも短気で狭量な行いではありませんか」

「おやめください兄上!」

 それは条件反射に近かった。

 兄の言い分があまりにも聞くに堪えず、気づけばジルケはそう叫んでいた。

 ジルケたちの存在に初めて気づいたという表情で、レオンハルトが驚きを見せる。

 しかしすぐに訝しげな眼差しで妹を睨み返した。その眼光は烈気に満ちて鋭かった。

 しかしそれに(ひる)むほど、ジルケは可愛いげのある皇女(ひめ)ではない。

「昨日の謁見記録は私も確認しましたが、ザムエル卿の非は明らかでした。処罰は公正なものだったと思います」

 第三皇女の主張に、アルフレート皇子がわずかに相好(そうごう)を崩した。驚きに眉を跳ね上げて異母妹(いもうと)を見る瞳には、興味深げな色彩が濃く浮かんでいる。

 それとは対照的に、レオンハルトは怒りの形相で妹を一喝した。

「何を馬鹿なことを言っている!」

 ヒステリックな叫び声が、駄々っ子が起こす癇癪(かんしゃく)のごとく廊下に響き渡る。

 レオンハルトのことを年齢不相応に大人びていると褒める者もいるが、ジルケの目にはそう映らなかった。

 しかもレオンハルトは次の瞬間、耳を疑いたくなる発言をしたのである。

「証拠の有無も不確かなまま一方的な裁可を下したと聞いたぞ! これを皇帝権力の私物化と言わず、なんだと言うのだ!」

「聞いた……?」

 愕然とした面持ちでジルケは呟いた。

「聞いた、と(おっしゃ)いましたか?」

 訝しげに目を眇めて(たず)ねると、レオンハルトが不快げに眉根を寄せる。だが不快なのはお互いさまだ。

「兄上は謁見記録に目を通していないのですか?」

「複数の貴族たちから詳細は聞いた。それで十分だろう」

 ふん、と鼻を鳴らす兄の姿に、ジルケの失望感が深まった。

「つまり兄上は、懇意(こんい)にしている者たちからの伝聞に過ぎない情報を軽々に信じ、謁見記録の記述すら確認しないまま一位殿下を(おとし)めようというわけですね」

 無意識に拳を握りしめ、皇女は歯噛みする。

 羞恥心を隠すような心持ちで彼女は兄を睨みつけた。

「なんだと……?」

 怒りを滲ませて妹を見下ろすレオンハルトは、心外だと言いたげに目を眇める。

 ジルケは相手の怒りを反射させるように叫んだ。

「身内贔屓(びいき)で話を鵜呑(うの)みにし、事実確認もせぬまま一位殿下を糾弾(きゅうだん)する()れ者だと申しているのです!」

 兄の愚かさが、見ていて痛々しかった。

「痴れ者だと? 兄に向かって……気でも触れたかツェツィーリエ!」

 かっとなって怒鳴り散らしたレオンハルトの返答こそが、事実確認を怠っている何よりの証拠だ。

 ジルケはそれが許せない。

 自分が無知だと公言していることになぜ気づかないのか――その憤りは、数分前の自分に対して感じたものだ。だから兄の姿が自分と重なって、どうしようもなく恥ずかしい。

 しかしレオンハルトは妹の心情を知る(よし)もなく、鈍感に渋面を見せるだけだった。

 だからジルケは説明してやらなくてはならない。

「謁見記録はただの記録ではありません。その場で交わされた会話がすべて正確に書き記されたものです」

 謁見の間に複数の書記官が配置されるのはそのためだ。

 多数の官に同時に書きとらせることによって、内容の齟齬(そご)を可能な限り減らし、同時に改竄(かいざん)をし(づら)くする措置でもある。

 書記官の人数は皇帝の一存によって増減できるため、人数を減らして改竄(かいざん)の余地を残す皇帝も中にはいるだろうが、アルフレート皇子は違う。

「一位殿下は常に十人以上の書記官を配置して透明性を保とうと努めていらっしゃいます。だからここ最近の謁見記録は信頼性が高い、と私は考えます」

 ジルケが謁見記録を確認した理由がそれだ。

 そこには確かな事実が連ねてあると分かっているから、事実確認には最適だと思った。

 そんな最低限の確認努力もしないまま、自分にすり寄ってくる貴族たちの言葉を鵜呑(うの)みにした兄の迂闊さが、ジルケには歯痒(はがゆ)い。

 謁見記録に書かれていたアルフレート皇子の言葉を引用したのは、怠慢(たいまん)な兄への当てこすりだ。しかしそれは同時に、八つ当たりでもあった。

 自分もついさっきベルツ家の馬車の中で無知を晒したばかり。人のことを言えない、と自覚してはいる。でもその後悔があるからこそ、言わずにはいられなかった。

「物事は客観的事実から判断するべきです。偏った視点からの意見ばかりを真に受けていては、結果として自らの愚かさを露呈することにもなりかねません。何故それが兄上はお分かりにならないのですか」

 しかしその忠告は兄の矜持を傷つけ、怒りを煽るだけだった。

「まだ幼く(まつりごと)のなんたるかも理解していない女の身で知ったふうな口を利くな!」

 額に青筋を浮かべてジルケを睨み、吐き捨てるように第二皇子は妹を罵った。

 そして彼は、容赦なく少女の(とが)を批難する。

「だいたいにして、宮殿を抜けだして周囲に要らぬ苦労を強いているお前に言えた義理か!」

 半ば苦し(まぎ)れで放ったレオンハルトの指摘――それは妹の主張に言い返せなかった証左ではあった。しかし、その内容自体は事実に違いなく、的確にジルケの罪悪感を貫いたのである。

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