Ⅰ.皇女の告白③
「そうだ……今のうちにウーリに礼を言っておかねばな」
一瞬だけおかしな空気になりかけた馬車の中で、気をとり直すようにジルケが子爵令嬢に声をかけた。
ウリカが首を傾げる。
「二日だけだったが、ウーリと一緒に過ごすのはとても楽しかった。もう会う機会はないかもしれないが、そなたは私の大切な友人だ」
寂しそうな笑顔で照れくさそうに告げる皇女に、ウリカは笑おうとして失敗した。
作り笑いを形成しようとした表情が直後に歪んで、子爵令嬢は唇を引き結ぶ。碧い瞳が床へと落ちて、彼女は沈んだ声を絞り出した。
「私は……後悔しているわ」
ジルケが驚いたようにウリカを見上げた。
「面倒事に巻き込まれたくなくて、薄々あなたの正体に気づいていたくせに、見て見ぬふりをしようとした……もっとちゃんと、あなたと向き合って、話をすれば良かったわ」
ウリカは「ごめんね」と謝りながら、小さな少女の頭をそっと撫でる。
「私じゃ、あなたを助けてあげられない……」
たかが子爵家の令嬢が、皇族の問題に首を突っ込むことなどできるわけがない。
自分の無力さに歯噛みする従妹を琥珀色の双眸に映して、ユリウスは苦笑する。
昔の自分を見ているような気分になったからだ。
だからというわけではないが、ユリウスは助け船を出すことにした。
「皇女殿下のことは、一度アルフレート殿下にご相談してみようと思っています」
ウリカとジルケがそろって顔を上げ、ユリウスを見る。
「好きに出歩くというわけにはいかないでしょうが、護衛付きで城の外に出られるようにはできるかもしれません」
確実ではありませんが、とつけ足す騎士の言葉に、皇女の瞳がほんのわずかに輝いたように見えた。
しかし直後に彼女は首を振る。
「いくらなんでもそれは無理だろう。一位殿下にとって私は、政敵である第二皇子の妹だ。どれだけ広い心をお持ちでも、私を手助けしてくれるとは考えがたい。臣下の目もあるのだから尚更だ」
悲観的なジルケの意見に、今度はユリウスが首を振る番だった。
「あの方は良くも悪くも周囲の目を気にはなさいません」
それはついため息混じりの主張になってしまった。
ユリウスの主は相手の本質を見て、良し悪しを評価する。敵味方は関係ない。それが組織の内部で亀裂を生む元にならないかと心配になることがあるせいだ。
しかしだからこそ言えることもある。
「その者自身の人格と素養に重きを置かれる方ですから、貴女ご自身と二位殿下のご関係は切り離してお考えになるでしょう」
そう説明するが、ジルケは疑心暗鬼の様子で反論した。
「だからといって、私に好意的とは限らないではないか」
ジルケは頑なに否定的な態度をとる。無意識のうちに期待してしまうのが怖かったからだ。
ユリウスが小さく笑う。
「アルフレート殿下はおそらく、貴女に親近感を抱いておられるものと思われます」
予想だにしない言葉だったのだろう。ジルケが目を丸くする。
ユリウスは彼女に納得のいく理由を提示しなければならない。
「商人から買い取ったという童話の本。一目見ただけでアルフレート殿下が内容を把握できたのは何故だと思われますか?」
状況から考えて、アルフレートは表紙を見ただけで「平民の目線で書かれたもの」だと断言したはずだ。
表紙だけで本の内容を判断できた理由――それはひとつしかない。
ジルケはちょっとだけ首を傾けて考える素振りを見せてから、呆然と顔を上げる。
「一位殿下も同じものを読んだことがある……?」
自分で口にしたその内容が信じられない、という面持ちだった。
ユリウスは苦笑気味に頷く。
「アルフレート殿下もご幼少の頃は、よく後宮を抜けだして宮殿内を歩き回っていらっしゃいました。おそらく貴女と同じような経緯で、そうした本を手に入れたのではないかと」
昔、アルフレート皇子と出会ったばかりのことを思いだして、ユリウスは複雑な心境になる。
「ですから貴女の探究心には好感を持ちこそすれ、忌避されるようなことはないでしょう。相談してみる価値はあるかと存じます」
ジルケは呆然とした表情で子爵令嬢と顔を見合わせる。
ウリカがやさしく少女に微笑みかけた。
「ダメ元ってやつね。一縷の望みにかけてみる?」
冗談めかした問いかけに、つられたような笑みを浮かべてジルケが頷く。
「そうだな……期待せずに待ってみてもいいかもしれない」
すっかり子爵令嬢と打ち解けた様子で笑い合ってから、皇女はユリウスに視線を戻した。
「ひとつだけ、訊いて良いか?」
「なんでしょうか?」
「どうして一位殿下に相談しようなどと考えたのだ? 私の処遇など、伯爵にも一位殿下にも関わりのないことだろう」
問いただす皇女の目が、探るようにユリウスを見る。政敵の立場として、警戒するのは当然の反応だ。
そしてだからこそ彼の主はこの皇女を好ましく思っているのだろう。その気持ちが理解できるユリウスには、アルフレートと共通の認識があった。
その理念のもとに、正直な思いを皇女に告げる。
「学びの芽を摘みとるのは、愚かで悪辣なことだと思うからです」