Ⅱ.若き皇帝代理②
皇后カザリンは家柄と見目の良さだけでその座を手に入れた。そう世間では噂されている。
端麗な容姿に恵まれた彼女は、自分の美貌にしか興味がない。国政にはまるで関心を示さず、毎日着飾って遊んでいるだけで、中身のない后――人々が密かに囁く『虚飾皇后』という呼称は、彼女の人柄を指し示すものだった。
銀に輝く長い髪ときれいな菫色の瞳。母親の美貌を受け継いだ皇子は、憐れにもその内面まで似てしまったらしい。
陶器人形のような無表情が、政務への無関心さを漂わせていた。
その傍らに控える近衛騎士もまた、似たり寄ったりの雰囲気を感じさせる。
皇帝がお気に入りだった近衛騎士の息子だと聞くが「いつから近衛が世襲になったのか」と囁きかわす貴族たちも少なくない。
謁見の間に通されてから今の今まで、件の騎士は表情筋を動かすこともなく佇立していた。
まるで木偶人形のように見えて、いっそ似合いの主従かもしれない。
「此度の要請につきまして、皇子殿下には我が領土にお心を砕いていただきましたこと、恐縮に存じます」
内心の嘲弄を覆い隠して型通りの謝意を述べる。
皇子の様子を窺うと、やはり興味のなさそうな表情で、菫の瞳は光彩を欠いていた。
その双眸は、使者の男ではなく献上の品を映している。
本当に皇后とよく似ている。扱いやすくて結構なことだ。
「深謝の証に、こちらの品々を持参いたしました」
手っとり早く気を引くために話題の矛先を変える。献上品に注意を向けさせて、収支報告書のことを有耶無耶にしてしまおうという腹だ。
今回の件に関しては、おおかた宰相辺りの指摘を受けて仕方なく召喚命令を出したものと思われる。それに基づいて謁見のタイミングを計ったのは正解だったようだ。
宰相のディルクハイム侯爵が、この時間に別の公務で席を外すことは知っていた。
ぼんくら皇子と世襲騎士だけならば懐柔は容易かろう――それがヴァルテンベルク公爵の目論見である。
品物の詳細を語り始めると案の定、皇子の顔には笑みが刻まれた。その様子を盗み見ながら、献上品ひとつひとつをこと細かく説明していく。
雲行きが怪しくなってきたのは、品物の半数ほどを紹介し終えたころだった。
皇子の顔から表情が抜け落ち、退屈そうに銀髪をいじり始めたのを見て、使者の胸中には戸惑いが広がった。
(説明が長すぎて退屈させてしまったのだろうか?)
心に焦りが滲む。
「落ちつけ」と自分に言い聞かせながら、残りの説明は手短に済ませた。
しかし皇子の白けた表情を見るに、すでに手遅れだったかもしれない。
心なしか空気が重く、息苦しいような錯覚に襲われる。
男が固唾を呑むなか、若き皇帝代理はゆっくりと口を開いた。
「言い分はわかった。下がって良い」
それはあまりにもさらりとした口調だったから、とっさに反応し損ねた。
「聞こえなかったのか? 下がっていいと言ったんだ」
「はっ……しかし、公爵様にはどのようにご報告を……」
皇子の真意を測りかねて混乱した頭脳は、本来の働きを放棄してしまったらしい。その口からは間抜けな質問が転がり出ていた。
明らかに変わった場の空気が、男の肌をチリリと刺激する。
いつの間にか姿勢を正していた皇子は、威圧的な眼光で使者の男を静かに見下ろしていた。
蔑みを湛えて、玉座に座る少年は目を眇めた。
(ずいぶんと舐められたものだ……)
自分が周囲にどう噂されているかは知っている。だがこうもあからさまに馬鹿にされては、やはり癇に障るというものだ。
だからというわけでもないが、アルフレート皇子はできの悪い生徒を見るように使者の男を見下した。
(公爵にどう報告すればいいか――それを考えるのも使者の仕事だろうに)
嘲笑を内心にとどめて、皇子は男に教えてやる。
「ありのままを伝えてやれ。皇帝の名に於ける呼び出しに対して公爵自身が赴くこともなく、穢れた舌と金品によって皇家への礼を失した事実は拭い難い。申し開きがあるなら、公爵自らが足を運び、自身の舌で己を弁護するがいい」
淀みなく言い放つ皇子に、気負った様子はない。ごく自然に威圧してくる気配に男は思わず息を呑む。
自分たちが如何に甘い考えだったか、使者の男は今さらながらに思い知った。
現皇帝ウィルヘルム・オットー三世は、人が良いだけで政治的才覚に欠ける、と噂されている。
だがこの皇子は違う。父母のどちらにも似ていない。
若年にして王の威厳を纏う皇子に、苛烈さを思わせる瞳で冷たく見据えられて身が竦む。
沈黙を保ったまま微動だにしない近衛騎士が、主と同種の表情を浮かべていることに気づいて怖気を震った。
「賄賂によって買えるのが別種の関心であることも分かったであろう。それを肝に銘じ、即刻、公爵領へ戻るがいい。数日のうちに公爵自身の弁明がなければ、この件はこちらで処理させてもらうことになる」
菫色の眼光に射竦められて、ひっと咽喉の奥が震える。
「イ……イエス・ヤー・ハイネス」
辛うじてそれだけ吐きだすと、使者の男はふらつく足どりで謁見の間から退出した。