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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第七章 若者たちの小さくて深刻な葛藤
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Ⅰ.視点を変えて③


 ユリウスは(そむ)けていた目線を正面に戻した。

 なにやら納得顔を浮かべる従妹の言葉に、むしろユリウスは納得がいかない。

 ハインリヒの気持ちが分かった――なぜそう思ったのか……それをウリカは、不満げに眉根を寄せる従兄に説明しなければならない。

「ユリウスが独断で引き抜きの話を断ったのは、それだけハインリヒを手放したくないと思ったからでしょう? ハインリヒがもしその事実を知っていたんだとしたら、安心してユリウスに『いじわる』ができるんじゃないかと思ったのよ」

「ハインツが隠し事の内容まで知っていると言いたいのか?」

「可能性は十分(じゅうぶん)にあるんじゃないかしら。優秀とはいっても、まだ年若い執事を侯爵家が引き抜こうとするなんて、それほど頻繁(ひんぱん)にあることではないもの。噂になっていてもおかしくないと思うけど」

 先日ジークベルトから聞いた話を思いだす。

 使用人の噂話は広がりやすい上に、その精度も高い、と……。そうであるならば、確かにハインリヒの耳に入っていても不思議はないかもしれない。

 それでも釈然としないものを感じて、ユリウスは尋ねた。

「ウーリはどうして、隠し事の内容をハインツが知っていると思ったんだ?」

 彼女がしたのはあくまで可能性の話だ。だがその割に「ハインリヒの気持ちが分かる」と言ったその口調が確信めいて聞こえたのである。

「勘といえば勘なんだけど……知っていないと、あんな笑い方はできないんじゃないかと思うのよね」

 一体どんな笑い方をしたのやら……。

 呆れた気分でそう思うものの、ウリカの観察力は信頼できる。

「そうか……なら、隠し続けたところで意味はないな……正直に話してしまったほうが良さそうだ」

 もはや諦観(ていかん)の境地で開きなおりの姿勢を見せると、ふふっ、とウリカが笑う。

「ユリウスにも子供っぽいところがあるのね」

 年下の幼馴染みに子供扱いされた気がしてむっとするが、まったくの事実だから否定はできない。

「悪かったな……そう簡単に大人になれるものなら、誰も苦労はしない」

 拗ねたように口を尖らせると、少女は微笑みを加速させた。

「ふふ、ふふふっ……ごめんね。でもなんか安心しちゃって」

「安心?」

「だって、ユリウスばっかりどんどん成長して、置いていかれるような気持ちだったんだもん」

 眉をハの字にして告白したウリカは、複雑そうな表情を浮かべている。

 彼女がそんなふうに劣等感を抱えているとは思ってもみなかった。

 どんなことも器用にこなし、人懐(ひとなつ)こく、常に前向きな姿勢を崩さないこの従妹は、ユリウスにとっては脅威ですらある。

 むしろ追いつかれないように必死なのは自分のほうだ。

 だから意外に思ったのだが、同時にそれは、自分がハインリヒに対して抱いている感情と似かよっている気もした。

 物事をスマートにこなし隙を見せない。その上で他者への気遣いを忘れない心の余裕もあり、人間的に優れた人物――それがハインリヒへの印象と評価だ。

 誇らしいと思える一方で、たった二歳違いでしかないはずの兄貴分が手の届かない高みにいるような感覚が常にある。

 そこまで考えてふと気づいた。

「同じ……なのかもしれないな……」

 半ば無意識で独白すると、ウリカが不思議そうに首を傾げる。

「同じ? ……何のこと?」

 従妹の質問には答えずにユリウスは小さく笑った。

「ウーリのおかげで、ハインツが怒っている理由が分かったよ」

「ハインリヒはやっぱり怒っているの?」

 思い当たる節があるのか、ウリカが確認するように聞き返した。

 ユリウスは肩を竦める。

「あいつの怒り方は粘着質で意地が悪い」

 ため息まじりに愚痴をこぼすと、ウリカはなんともいえない微妙な表情で半笑いを浮かべた。先ほど言っていた「ハインリヒの笑い方」でも思いだしているのだろう。

 立場が変われば見え方も変わる。

 追いかける側は追う相手との距離が縮まらないことに焦り、それ(ゆえ)にその相手が隙のない完璧な存在に見えてしまう。だが逆に、追いかけられる側は追いつかれまいと必死で走り続けていたりするものだ。

 少なくともユリウスはそうだった。

 立場を置き換えてみれば、ハインリヒの怒りの要因はすぐに分かった。

 同じことをされれば自分だって怒るだろう。ハインリヒのような底意地の悪い怒り方ではないにせよ……。

「俺は、引き抜きの話をハインツに伝えて、その答えを聞くのが怖かったんだ……。でもそれは結局、あいつのことを信頼してなかったことになる」

「え? どうして? 信じていても不安に駆られることは普通にあると思うけど……それこそ、大切に思ってるから余計に不安になるってこともあるんじゃない?」

「いや。それならきちんと話した上で、『行かないでほしい』と素直に伝えれば良かったんだ。立場を利用して卑怯な手段に及んだ時点で、俺はあいつを信頼せず裏切ったことになる……ハインツが怒るのは当然だ」

 懺悔(ざんげ)めいた自分の言葉に苦笑がもれる。

「なるほど……ユリウスは自分に失望しているのね。だからより一層ハインリヒに対して後ろめたさを感じている、と……」

「ああ……それでつい、よそよそしい態度をとっていたら、あいつもそれに合わせて他人行儀に接するようになったんだ」

 消極的な人物であればユリウスの態度に影響されたとも考えられるが、ハインリヒに限ってそれはない。ユリウスに当てつける目的で態度を合わせてきたことは明らかだった。

 そしてだからこそ、ハインリヒに心の(うち)を読まれていると悟ってもいたのである。

 だが、そうでありながら「ハインリヒが自分を見捨てることはない」という矛盾した自惚(うぬぼ)れが胸中にはあった。

 それが甘えとなって状況を引きのばす要因となったのは事実だ。

 そのうちに時間が経ちすぎてしまい、気づけば謝りづらい空気ができあがっていたという次第。まったくもってユリウスの自業自得なのである。

 もういい加減、決着をつけるべきなのだろう。

「今日ハインツとちゃんと話をしてみようと思う」

 腹を(くく)るようにそう宣言すると、

「そっか……仲直りできるといいわね」

 と言って、ウリカが微笑んだ。

 それは素直に可愛いと思える笑顔だった。

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