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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第六章 引きこもり公爵 VS 元公爵
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Ⅳ.街の有名人①


 ベルツ家の馬車で送ってもらったウリカが錬金術師の家に着いたのは、十時を十分ほど過ぎた頃だった。


 この時間なら「早い」と文句を言われることもなかろう。


 へんっ、と胸を張って呼び鈴を鳴らすウリカだったが、錬金術師の出迎えはなかった。


 調合の最中なのかもしれないと思いながら取っ手を引っ張ると、あっけなく扉が開く。


「不用心だなぁ……」


 ぼやきながらも、そっと中に入ったウリカは、なるべく音を立てないように工房(アトリエ)へと向かった。


(コソ泥になった気分……)


 とはいえ、調合に集中しているときに余計な雑音を立てると怒られるので、これは仕方がない。


 工房(アトリエ)に着くと、部屋の扉が開けっ放しになっていた。

 ますます不用心だな、と思いながら中を覗くと、目を見張る光景がそこにはあった。


「大丈夫ですかっ!?」


 ウリカが血相(けっそう)を変えたのも無理はない。


 室内は荒らされた(あと)かのように物が散乱。

 さらには部屋の中央に据えられた作業台のすぐ横に、ウィリアムが倒れていたのだ。


 ウリカは急いでうつ伏せた状態の錬金術師に駆け寄った。

 しかし助け起こす寸前で、はっと動きを止める。


 もし頭を打っていたらという思いが()ぎったからだ。

 迂闊に身体を動かさないほうがいいかもしれない。

 そう思って、ウィリアムの背中を軽く揺するのにとどまった。


「大丈夫ですか、ウィリアムさん?」


 おそるおそる声をかけると、ウィリアムの体がぴくりと動き、直後にその頭がゆっくりと持ち上がった。


 虚ろな砂色の瞳が少女へと向けられる。


「一体、何があったんですか? 誰がこんなひどいこと……」


 状況から見て、賊でも入ったのでは……。

 そう思って問いかけるウリカに、ウィリアムは弱々しく息を吐きだした。


「は……」

「は……?」

「はら……へった……」

「へ?」


 ぱたり、とウィリアムが再び突っ伏す。


 思ってもみなかった珍回答に、ウリカの思考はしばし沈黙したのであった。




(しん)っじられない!」


 ウィリアム邸の食堂(ダイニング)に、事の次第を聞いたウリカの感想が響きわたる。


 言葉はシンプルだが、その声は呆れと怒りが半々に入り交じっていた。


 ウィリアムの説明はこうだ。


  ◇◆◇◆◇


 昨夜ずっと研究に没頭していたら、いつの間にか明け方近くなっていたんだ。

 さすがに少し休もうと寝室に向かったんだが、ベッドに入る直前に思いついたことがあってな、それを確認するために急いで工房(アトリエ)に戻ったんだよ。ああ、急いでいたからドアを閉め忘れたかもしれない……。


 だが、いざ調合を始めてみると、想定したように上手くはいかなくて苦戦した。

 それでも諦めきれなかったんだ。


 何度も失敗を繰り返している(うち)に光明が見えた気がして、気持ちが先走ってしまったんだろう……道具を取ろうと急激な方向転換をしたのがいけなかった。


 眩暈を自覚したときにはもう、体のコントロールが利かなくなっていたよ。


 そこから記憶がはっきりしないから、多分そこで気を失ったんだろうな……。


 目を開けたとき、君の顔が見えて、眩暈の原因に思い至ったんだ。そういえば一昨日(おととい)君と一緒に食事をとって以降、何も食べていなかった気がするなぁ……と。


  ◇◆◇◆◇


 要約すると、空腹と寝不足で倒れただけ、ということらしい。


 ウィリアムの胃袋は空腹になっても『ぐう~』とは鳴いてくれない欠陥品であるようで、丸一日食事を忘れることも珍しくはないという……。


 今回は寝不足も重なったのが不幸だった、と自己分析している錬金術師の姿を見れば、誰だって呆れるというものだ。

 よく今まで一人でやってこられたものだと、逆に感心する。


 ちなみに部屋が散らかっていたのは、倒れたときに作業台にある道具をひっくり返してしまったから。

 さらに、玄関の施錠(せじょう)を忘れるのはもはや日課、だそうだ。


 惨状を目にしたとき、卑劣な賊をどうやって探しだして捕まえるべきか半ば本気で考えたというのに、とんだ肩透かしである。


 当の本人は少女の叫びなどどこ吹く風でオムレツを堪能していた。


「君、オムレツ作るの上手いな」


 そう。ウリカが作ったオムレツである。

 手っとり早く用意できるものをと思って、オムレツとサラダを作ってあげたのだ。

 幸い昨日ウリカが昼食用に買ってきたパンが残っていたので、それも一緒に出してある。

 ウィリアム愛用のコーヒーは淹れ方が分からないので、そこは紅茶で我慢してもらった。


「オムレツは卵料理の基礎ですから、みっちり練習しました。当家自慢の腕利きシェフ直伝です」


 ふふん、と得意気に胸を張る。

 練習に練習を重ねて習得したとろとろフワフワな絶品オムレツだ。

 努力の成果を褒められて悪い気はしない。


 だが、上げた直後に落とすのがウィリアムという人間だった。


「腕のいいシェフになれそうだ、と市井(しせい)の子相手なら言えるところだが、さしあたって貴族の令嬢には必要ない技術(スキル)だな」


「今! (まさ)に! 役に立っています!」


 ダン! とテーブルに拳を叩きつけてウリカは反論する。


 この人はどうしていつも余計な一言を付けるのか、と(あお)い瞳で睨みつけるも、彼は意に介した様子もなく嘆息した。


「君が変わり者で助かったよ。九死に一生を得た気分だ」

「こんなことで窮地に陥らないでくださいよ……」


 なんだか脱力感に(さいな)まれて、ウリカは怒る気力をなくしてしまった。


「お願いですから、食事と睡眠の両方を忘れるなんてことがないように、気をつけてください」

「どうして?」


 ごく常識的な忠告を飛ばしただけなのに、心底不思議そうに首を傾げるのはやめてもらいたいものだ。


「あまり人に心配をかけるものではないと思うんですけど」

「俺を心配する人間なんていないよ」

「ここにいます。私が心配なんです」

「ああ……錬金術を習うには、俺にいなくなられると困るからな」

「どうしてそんな刺のある言い方ばかりするんですか?」

「気にするな。君に対してだけじゃない」


 どこまでも淡泊な応答に、ウリカは追及するのがバカらしくなって話題を変えた。


「それはそうとウィリアムさん。冷蔵庫の中がほとんど(から)でしたけど」


 オムレツにした理由はそこにもある。どんな料理にしようかと悩めるほどには材料がなかったのだ。


「そういえば、そろそろ月末か……今月中にもう一度来てくれるように言ったのに……」


 少女の報告に、ウィリアムが何やらぶつぶつと独りごちる。


「どうかしたんですか?」

「いや……すまないが、家に帰ったらステファン(きょう)に伝えてくれないか。近日中に来てほしい、と」

「分かりました。今夜、伝えておきます」


 スポンサーだから契約に関する話か何かがあるんだろう。

 そう思って、ウリカは深く考えずに返事を返した。


 食事を終えたウィリアムが立ちあがる。


「それじゃあ、今日は買い物に行くか」


 寝不足のはずの錬金術師はさらりとそんなことを言って、子爵令嬢を戸惑わせるのだった。

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