Ⅲ.怒りの矛先②
皇族専用の裏口から謁見の間を出たアルフレートは、怒りに満ちた表情で自室に向かっていた。
竜胆の花を模したボタニカル柄の壁が機械的に横移動していくのを視界の端に捉えながら、乱暴な足どりで床を弾いていく。
「お待ちください、殿下」
後ろからユリウスが追いかけてきた。
普通に歩いているくせに、早足の自分にいとも簡単に追いついてくるのが嫌味くさい。
何を言おうとしているのか想像がつくだけに、追いつかれるのは余計に気にくわなかった。
「ヴァルテンベルク公爵の処罰に関して、聞いていただきたいことがございます」
騎士の言葉を耳にして、アルフレートの足がピタリと止まる。
「お前も、俺が下した処断が不服か?」
振り返らぬまま静かに問いかける声は、思いのほか低くなった。
「不平不満の問題ではなく、もっと根本的なことです」
「何が言いたい?」
「殿下のお怒りは分かります。ですが、個人的な感情にヒルデスハイマー家の者を巻き込んではいけません」
「個人的……?」
握りしめた拳に力が入る。
向けられた言葉がひどく不快で、抑えようとしていた怒りが再び爆発するのを感じた。
「俺が八つ当たりしているとでも言いたいのか!?」
弾かれたように振り向いて、騎士の顔を睨みつける。
怒鳴りつけられたユリウスの表情は、主の感情と反比例するように落ち着いていた。
「殿下は何に対して怒っておられるのですか?」
それは思ってもみない問いかけだった。
同時に、何を当たり前のことを、と憤りも覚える。
だがアルフレートが返答するより早く、ユリウスが言葉を続けた。
「公爵の不正ですか? 彼の態度ですか? この国の体制そのものですか? ……それとも、ご自分の境遇ですか?」
アルフレートの肩が震える。
とてつもなく意地の悪い質問だった。
この騎士は回答を知った上で、あえて聞いているのだ。
それが本当に正当な怒りなのか、と……。
個人的な感情だと言われて激昂したのは、図星を指されたからに他ならない。
ユリウスはアルフレート自身が自覚していることに釘を刺そうとしているのだ。
「……あの公爵は、血によって家督を継いだだけの盆暗だ。ただ公爵家の長男に生まれただけの――」
「そうですね。殿下や私と同じように、ただ長男として生まれてきただけです」
「なっ……!」
「間違っておりますか?」
アルフレートは押し黙る。
「それが今現在の……この国の在り方です」
確かにユリウスの言う通りだ。
有能無能に関わらず、家督は長男が継ぐ。それが基本ルールだ。
「それでも、俺は納得がいかない。あんな無能で愚劣な男が公爵で、一地方を治める領主であったなどと……確かに公爵家に生まれたのは奴自身の責任ではない。だが贅沢を貪って生きてきた以上、果たすべき責任があるはずだろう!」
責任を自覚することもなく、権利ばかりを主張する。その姿勢が、身近にいる大嫌いな人物と重なって、どうしても許せなかった。
「自身の立場と責任に十分な自覚をお持ちだからこそ、殿下は誰よりも厳しくご自分を律していらっしゃいます。だからこそ、こんなところで私怨に駆られては、これまで培ってきた努力を自ら否定することになってしまいます」
辛抱強く諭し続けるユリウスの言葉が、交わす度に自分の思考に浸透していくのが分かる。
押しつけの主張ではなく、あくまで冷静に、しかし論理ではなく感情に訴えるような声音が、アルフレートの心を少しずつ脱力させていくのだ。
「……分かっている。これは俺個人の怒りで、公正なものではない」
アルフレートは深く大きな呼吸で息を吐きだした。
「感情的になって悪かった。お前の言う通り、私情を挟んで処断すれば、それはただの私刑になってしまう。危うく俺自身が大きな罪を犯すところだった。礼を言う」
間違いを認めて謝罪すると、ユリウスが安堵した様子で頭を下げた。
「とはいえ、あの男に対する処罰を変える気はないぞ」
「公爵閣下ご自身への処罰はあれでよろしいかと思われます。ただ、ヒルデスハイマー家への裁可はご再考いただきたいと存じます」
「そうだな。あとでディルクハイムにも意見を聴いておこう」
「それがよろしいかと」
諫言はしても深くまでは踏み込まない。
ユリウスの姿勢は相変わらずだ。
しかし、この頑なな線引きは、アルフレートが自分を律しようとする姿勢と、もしかしたら同じなのかもしれない。




