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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第七章 若者たちの小さくて深刻な葛藤
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Ⅰ.視点を変えて①


 ウィリアム邸にユリウスが訪ねてきたのは、買い物から帰ってきたウリカが錬金術師を寝かしつけようと当人との問答を繰り返しているときだった。

 時計の針が午後一時を回ったころである。

「こんな早い時間にどうしたの?」

 ウィリアムの代わりに来客に応じたウリカは、従兄の来訪に目を丸くした。

「今日は昼で宮中での仕事が終わりなんだ」

 宮中外での仕事はまだあるけど時間的に余裕があったから、屋敷に戻る前にこちらに寄ることにした、ということだ。

 家の馬車で送らせたせいで、帰りの移動手段に困るだろうと気にかけてくれたらしい。

「今日は何時頃に帰るつもりなのか、聞いておこうと思って立ち寄ったんだが」

「来てくれてちょうど良かったわ。今日はもう帰るつもりだったから」

「そうなのか?」

 彼は少し意外そうに目を見開いた。

 そんな従兄に苦笑いを浮かべながら、ウリカは事情をざっくりと説明する。

「――で、私が帰れば、ウィリアムさんもちゃんと寝てくれるかと思って」

 肩を竦めて見せると、ユリウスが柔らかい微苦笑を浮かべた。

「そうか。面白い人だな彼は」

(はた)で見ているだけなら、そうやって笑っていられるんだけどね……」

 疲労を(にじ)ませて吐息すると、ユリウスは楽しそうに笑った。

 従兄のそんな姿を久しぶりに見る気がして、ウリカもなんだか楽しくなる。

 怪訝な表情を浮かべた錬金術師が廊下の向こうからやってきたのは、そうして二人で笑いあっているときだった。

「ずいぶんと楽しそうに話していると思ったら、来客は伯爵殿だったのか。時間的にはだいぶ早いようだが」

 半開きの眼で欠伸をこらえながら尋ねる錬金術師に、ちょっとだけ意地悪したくなったウリカが、にんまりと口元に笑みを刻む。

「ウィリアムさんの寝不足話を種に盛り上がっていました」

 邪気をたっぷりと含んで余計な説明をしてやると、寝不足の錬金術師は憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべた。

 ちょっとやり返せた気がして、ウリカの気分は上昇する。

 ウィリアムが嘆息した。

 その顔には底意地の悪い笑みが浮かんでいる。

「それで、俺を笑うためにわざわざご足労くださったわけか? 伯爵さまも大変だな」

 なんと、反撃してきたではないか。

 ひねくれ錬金術師として、言われっぱなしではいられないということだろうか。

 しかもさらっとユリウスを巻き込んでいる。

「ユリウスは私の帰宅時間を確認するために来てくれたんです」

 従兄から「巻き込まないでくれ」と言わんばかりの視線を浴びたウリカが、今度はおとなしくウィリアムの問いに答えた。

 状況を理解したウィリアムが目を細める。

「なるほど。さすがは紳士と名高いベルツ伯爵。優しい上に気が利いている」

 揶揄(やゆ)的にも聞こえる言い草だが、どうやら本気で感心しているようだった。

 それだけに返す言葉が見つからず、ユリウスは反応に困った様子で眉根を寄せる。

「そんな顔をするなよ」

 と、寝不足の顔には不釣り合いな笑みを乗せた錬金術師が、兄のような表情で言う。

「自分にそのつもりはなくても、周囲の目にそう映っているのは動かしようのない事実だ。相手の真意が何であれ、素直に褒め言葉として受けとっておけばいいんじゃないか」

 その口調に悪意や刺々しさはなかった。

 ユリウスを紳士とほめたたえる声には、やっかみによる嫌味も存在する。

 ウィリアムはそれを知ったうえで「悪意ある言葉は気にせず無視すればいい」と言っているのだろう。

 ただ、このひねくれた錬金術師の場合「悪意ある声など嫌味で叩き返してやればいい」という攻撃的な主張に聞こえてしまうのだから、残念なものだ。

 ユリウスがくすりと苦笑をもらす。

「忠告として受けとっておこう」

 あくまで善意からの忠告として受けとり、余計なことは言わなかった。

 ウィリアムは笑って肩を竦める。

 二人とも大人の対応に見えて、ウリカはなんだか一人だけ置いていかれた気分になるが、悔しいので顔には出さないように努めた。

「それで、今日は何時頃、迎えに来てもらうつもりなんだ?」

 と、ようやく話題が元の地点に戻る。

「それなんですけど、今日はもう帰ろうと思います」

 そう答えると、ウィリアムは眉尻をつり上げて不服そうな表情を見せた。

 (かたく)なにウィリアムを休ませようとする少女のしつこさに文句があるふうだ。

 しかしウリカは錬金術師に反論を許さない。

「別にこれは気遣いじゃないですよ。きちんと睡眠をとってくれないと、気になって何をするにも集中できないんです。自分がウィリアムさんの負担になるとか負い目を感じるのがイヤなだけで、今後気持ち良く錬金術を学びたいからっていう私の勝手なエゴですから、気に病まれるとかえって迷惑です」

 相手に口を挟む隙を与えないよう一気に(まく)し立てて「どうだ!」とばかりに錬金術師を見上げる。

 ウィリアムが気圧されたように一歩後退(あとずさ)った。

 勢い任せに少し詰め寄りすぎたかもしれない。

 ウリカの言い分は相手の反論をすべて封殺するものだった。

 それを勢いよく叩きつけた効果はあったらしく、ウィリアムが諦めたように吐息する。

「君の言い分はわかったから、少し待っていてくれ」

 そう言い残して、工房(アトリエ)へと戻ってしまった。

 ユリウスと二人、首を傾げて待っていると、やがて本を片手に戻ってくる。

「これを持っていけ」

 と、手にした本をウリカに差し出した。

「これは?」

「錬金術の基礎が書かれている。入門書みたいなものだ」

 本を受けとったウリカは驚きに目を丸くする。

「魔術学の基礎ができているなら、これの内容も理解できるはずだ。余剰時間にでも読んでみるといい。俺にはもう必要がないものだから、君にやるよ」

「ありがとうございます……」

 思わぬプレゼントに呆然としながらも礼を述べて、ウリカはそっと本の表紙をなでた。

 色()せ、所々が擦りきれていて、修復された跡もある。

 長い年月を感じさせるその本は、ウィリアムが子供時代から使っていたのかもしれないと想像させた。

「本当にもらってしまっていいんですか?」

 まだ信じられないという面持ちで顔を上げると、砂色の瞳と視線がぶつかる。

 ウィリアムの双眸(そうぼう)が、何かを懐かしむように揺らめいた気がした。

「構わない」と答えたときには、もういつもの無感情さに戻っていて、なぜか少しほっとする。

「それを読んで勝手に基礎を身につけてもらえれば、俺も楽ができて助かる」

 直後に吐きだした錬金術師の言葉は、いつもの皮肉屋らしい言い草であった。

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