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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第六章 引きこもり公爵 VS 元公爵
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Ⅰ.カルステンの挑発②


 さっぱりと切り揃えられた短い頭髪と黒い軍服。

 美少年然とした出で立ちのディアーナだが、艶のある唇が美しく弧を描き、嫣然(えんぜん)とした微笑みを見せると、悪魔的な美しさがあった。


「短気はダメですよ」


 夫の唇にそっと人差し指をあてて小さく注意を促す妻に呆気にとられて、カルステンは思わず黙りこむ。


 夫を呆けさせたディアーナは、何事もなかったように振り返ると、ヴァルテンベルク公ザムエルと目を合わせた。

 そして挑戦的に口を開く。


如何(いか)に年長といえども、公爵位にある者に対して言葉が過ぎるのではありませんか? 公爵……いえ、()公爵殿」


 言い直すときに含み笑いが聞こえた気がした。

 それ以上に『元』をやたらと強調してはいなかったか……。


 爵位の剥奪を言い渡された現実を突きつけられて、今やただのザムエルとなった男はひくひくと頬を痙攣(けいれん)させた。


「な、なにっ……きさ……きさま……っ!」


 茹でダコのように顔を赤くして言葉を失うザムエルをカルステンは興味深く見守った。

 冷静さを欠くと言語能力を失う人間もいるんだなぁ……と、感想を抱きながら、くすりとした笑いがもれる。


(八歳も下の妻にフォローされるとは、俺もまだまだ未熟だな……)


 胸中で独りごちるカルステンを背に、ディアーナの言葉は続く。


「正式な手続きを踏んで奏上(そうじょう)したものに異論を唱えるということは、よほどの自信がおありなのでしょう。ならば存分に主張なさいませ。その意見を参考に、我らの正当性を証明してご覧に入れます」


 ディアーナが丁寧な口調で元公爵にケンカを売ると、それに反応したのはアルフレート皇子だった。

 わずかに口角を持ち上げた皇子の表情は、どこか楽しげに見えた。


「確かに。証拠が揃っているとはいえ、一方の主張だけを聞くのでは不平等に過ぎよう。意見することを許す。主張があるなら言ってみるがいい、ザムエル・ヒルデスハイマー」

「……っ!」


 ザムエルが目を()いて言葉を失う。

 あえて『フォン』の称号を(はぶ)いて名を呼んだ皇子も、なかなかに意地が悪い。「お前はすでに貴族ではない」と、言ったようなものだ。

 とはいえ、性格の悪さで負けるつもりはないカルステンである。


「殿下は寛大な方でいらっしゃる。お言葉に甘えてはどうだ、ザムエル・ヒルデスハイマー」


 あくまで慇懃(いんぎん)さを崩さなかった妻とは違い、尊大な口調で相手を見下すと、悪意を向けられた元公爵は歯を()きだして敵意を返してきた。


 これでいい。

 ザムエルの怒りが増せば増すほど、こちらには有利になる。


 カルステンは自分たちと共にきた男――未だに(こうべ)()れている黒髪の人物を薄茶の瞳に映す。


「先ほど貴公は、私と彼が手を組んでいる、などと荒唐無稽(こうとうむけい)なことを言っていたようだが」


 ゲスの勘繰りだと言わんばかりに鼻を鳴らすと、元公爵はいきり立った。


「何が荒唐無稽か! 今ここに連れ立ってきたことがその証拠ではないか!」


 吐き捨てたあと、ザムエルがきっ、と黒ベストの男を睨みつける。


「オットマール! 雇い入れてやった恩も忘れて、とんでもないことをしてくれたな!」


 名を呼ばれた男はびくりと反応したあと、ガタガタと震え始めた。

 依然として顔は上げないまま――いや、上げられないと言ったほうが正しい。

 彼は恐怖しているのだ。権力という名の暴力に……。


 見かねたディアーナが傍らに片膝をついて、怯えるオットマールの背をさすってやる。

 カルステンも彼をかばうようにザムエルの前に立ちはだかった。


此度(こたび)の告発はオットマールから相談を受けたことに(たん)を発している。そのためこの場にも共に来てもらった」


 この場にいる者たち全員が状況を把握できるようにと、カルステンは事のあらましを説明する。


「オットマールは六年ほど前にヴァルテンベルク公爵に引き抜かれる形で、ヴァルテンベルク公爵領の領地管理人になった」


 公爵領の直轄地は他の領地に比べればさほど広くはない。だが人口密度が高いが(ゆえ)の難しさがある上、直轄地以外の領地についても、上がってくる報告書を確認して収支を精査しなくてはならない。

 その管理を任されるのは責任重大であると同時に、領地管理人にとっては名誉なことだ。


 オットマールも当初は喜び勇んで雇い入れの打診(オファー)を受け入れた。


「だが待ち受けていたのは、貪欲な公爵からの不当な命令だった……彼は半ば脅されるような形で不正の片棒を(かつ)がされることになった」


 勤勉実直な性格のオットマールには当然のように限界がきた。

 良心の呵責に耐えきれなくなった彼は、旧知の仲であったヒュッテンシュタット公の領地管理人に泣きついたのである。


「オットマールの訴えが事実であれば看過できない。しかし、疑いだけで軽率に公爵を糾弾するわけにもいかないだろう。そこで一度、公爵本人と直接話をしてみようと思い、彼の領館(りょうかん)を訪ねることにした」


 ところが、妻のディアーナと共にヴァルテンベルク公爵領を(おとな)ったカルステンに、ザムエルは何の説明もなく黙認の買収を持ちかけたのだ。


「不正の疑いを深めた私は、買収の話を断り、早急に調査を開始するため自分の領地に戻ろうとした」


 しかしヴァルテンベルク公爵領から出る直前に、ヒュッテンシュタット公爵夫妻を乗せた馬車が十数人のならず者に襲われたのである。


「以上の経緯(いきさつ)により、告発の必要性を感じた私は、訴状を提出するに至った次第だ。何か反論はあるか、ザムエル・ヒルデスハイマー?」


 カルステンは執拗(しつよう)にその名を呼び捨てる。

 ザムエルを見据える薄茶の瞳が、侮蔑を宿して鋭い光を放っていた。

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