Ⅳ.苛烈の皇子①
「宰相になる気はないか?」
宮殿に赴いたユリウスが、開口一番に聞いたアルフレートの言葉がそれだった。
皇子の自室の前で、虚をつかれて主を見る。
「もちろん私が正式に国政を継いでからの話になるが」
気が早い話ではある。
現皇帝ウィルヘルム・オットー三世はまだ四十五歳で、その治世があと数十年は続くと言われている。
皇位継承者が早いうちに宰相を選定しておくこと自体は珍しくない。
だがアルフレートはこれまで、そうした話を意図的に避けていたところがある。それだけに、ユリウスにとっては降って湧いたような話だった。
「私が玉座を継ぐ頃には、お前も侯爵になっているはずだ。伯爵でありながら宰相に抜擢された者の例もあることだし、何も問題はなかろう」
ユリウスに何かしらの功績を立てさせて侯爵に昇格させる。前々からその腹づもりなのは知っていた。
アルフレートの立場を考えれば、そうするほうがいいのも分かっているから、そこに異論はない。
だが問題は大いにある。
「それは、近衛騎士の任を他の者に継がせる、ということでしょうか?」
「お前以上に優秀な騎士など知らん」
アルフレートの返答はさらりとしていた。
つまりこれは「宰相と首席近衛を兼任せよ」と言っているのだ。
「悪い話ではないだろう?」
確かに悪い話ではない。
評価されているということは分かるし、権力欲の強い者ならすぐに飛びつきそうな話だった。
「ご信頼いただき恐悦至極に存じますが、このお話はお断りさせていただきます」
ユリウスはあえて形式ばった言い方で皇子の意向を拒絶する。
予想通りだと言わんばかりにアルフレートは嘆息した。
「何故だ? 断るという理由を聞かせろ」
ユリウスが国政に口を出そうとしない理由は、アルフレートも分かっているつもりだ。
それでも「惜しい」という思いを捨てきれない。
だから悪あがきをやめられないのだ。
ユリウスはそんな皇子の心情をほぼ正確に洞察できていた。
そしてだからこそ、一歩でも引くわけにはいかないのである。
「宰相と首席近衛はそれぞれに文と武において皇帝陛下の片腕となる存在です。権力の一元化は避けるべきかと」
「両者を兼任した者の例は少なくない」
「ですが歴史上、誰一人として正しく兼任できた者はおりません」
どちらかの務めが疎かになる者。
あるいは双方とも中途半端になってしまった者。
一手に握った権力に陶酔したあげく叛意を抱く者。
例は様々にあるが、バランスよく兼任できた者は過去ひとりもいない。
「ならばお前がその初めての例になれば良い」
「多少の野心は必要なものと自覚はしておりますが、分を越えた権力と野心を抑制する自信はございません」
「強情な奴だ」
アルフレートは無自覚な言葉を仏頂面で吐きだした。
強情なのはお互いさまだ。
こういう話をするとき、二人はいつも噛みあわない。
現状アルフレートには信頼できる人間の数が極端に少ない。
その少ない中から人材を配置しようとすれば、こういった無理がどうしても出てくる。
前々から、それがユリウスの懸念事項となっていた。
もっと人と関わりを持つべきだと思う。
だがその一方で、アルフレートの生い立ちを考えると、彼が人間不信になるのも無理はない、と分かってもいる。
いまだ解決方法の見えない大きな課題のひとつだ。
「仕方がない。お前の気が変わるまで、宰相の件は保留にしておこう」
皇子は思った以上に往生際が悪かった。
「恐れながら、宰相には現在のディルクハイム侯爵閣下でよろしいのではないかと」
「ディルクハイムか……確かに無能ではないが、広い視野と柔軟な思考に欠けるところのある男だ」
「広い視野や柔軟な思考はすでに殿下ご自身がお持ちでいらっしゃいます。それを他の者に求める必要はございません。宰相閣下にはあくまで一般的な意見を論じていただき、それを殿下の国政の参考になされるのがよろしいかと存じます。宰相閣下は忠誠心が厚く、堅実な思考をお持ちの方です。殿下の宰相を務める者には、能力以上に、そういった資質が必要かと」
「私の国政が国を乱すとでも言いたいのか?」
アルフレートはすっと目を細めて、不快を顕わにした。
菫色の眼光が騎士へと突き刺さる。
他の者であれば萎縮して反射的に謝罪を口にしたかもしれない。
しかしユリウスは、主の人柄を知っているがゆえに強気だった。
「急激な変化は新たな火種を生む元にもなりかねません」
「変化なくして進展などあり得ない。それとも、停滞したままのほうがいいとお前は言うのか?」
「おっしゃる通り、変化は必要なものと私も思います。停滞は緩やかな衰退と同義ですから。ですが先ほど申し上げた通り、火種を呼ぶ元でもあります。だからこそ、足元をしっかりと固めていただきたいのです」
アルフレートは返す言葉を失ってしばし沈黙した。
やがて短く息を吐きだすと、そのまま謁見の間へ向かって歩きだす。
納得はしていない様子だが、ユリウスの言葉を吟味しているようでもあった。




