Ⅰ.カルステンの挑発①
プレスブルク皇国の貴族制度は独特だと言われている。
基本となる爵位が、侯爵、伯爵、子爵、男爵、と四段階あり、軍の階級と同じように功績や失策によって昇格ないし降格する。
この四つの爵位は家名に対して与えられ、無条件での世襲が可能となっているため『継承爵位』と総称されている。
また、こうした爵位を持つ者は『建国王』と謳われた初代皇帝の血筋にあたる証でもあるため、滅多なことでは剥奪されない。
これに対して、公爵位は性質が異なっていた。
継承爵位とは別に付与される特殊な爵位となっており、継承爵位と重複して持つことができるという特徴がある。
皇国において、公爵位は十二と定められており、爵位名と役職がセットになっている。
公爵領を統治する領主六公爵。
国軍を預かる軍部三公爵。
執政を担当する文部三公爵。
合わせて十二公爵である。
政務官府を預かる者にはシュテルンベルク公爵の称号を。
白元帥となる者にはアウエルンハイマー公爵の称号を。
ヴァルテンベルク領を統治する者にはヴァルテンベルク公爵の称号をそれぞれ付与される、といった仕組みだ。
そういったシステムであるため、統治者が変わったとしても、公爵領の名称が変わることはない。
公爵位は伯爵以上の貴族に与えられるものとされているが、実質的には侯爵家で占められるのが通例だった。
ヴァルテンベルク公ザムエルは、公爵であると同時にヒルデスハイマー侯爵家の当主でもある。つまり二つの爵位を持つ身だ。
アルフレート皇子が宣言した「全ての爵位を剥奪」とはすなわち、ヴァルテンベルク公爵の称号と、家名に対して与えられている候爵位、双方を剥奪するということになる。
そのうえ資産まで没収しようというのだ――稀に見るどころか、史上類を見ない重い処分だった。
告発した当事者であるヒュッテンシュタット公カルステンも、これには驚きを隠せなかった。
ザムエル本人に関しては自業自得だ。同情はしないし、当然の報いだとすら思う。
しかしこの裁可は、ヒルデスハイマー家全員に「路頭に迷え」と言ったも同然である。
連帯責任とするにはあまりに酷だ。
同じように考えたディルクハイム侯爵が即座に口を挟んだ。
「お待ちください、殿下。爵位を剥奪された上に資産まで失っては、これからの暮らしに差し障りがございましょう。せめてこの度のことは、伯爵なり子爵なりへの降格処分に留め置くことが最良かと存じます」
彼らしい堅実な意見ではある。
だが少々、処分内容が生温い。
皇子は納得しないだろう。
「自らの無責任が招いたことだ。再考の必要を感じない」
冷たく反射する返答に、ディルクハイム侯マリウスは小さく首を振る。
肩に落ちた深緑の長い髪が虚しく揺れた。暗緑色の瞳には諦観の色が顕著に浮かんでいる。
気苦労が絶えなさそうな姿に、白髪が増えないかと、カルステンは余計な心配をした。
一方の義理の甥にあたる近衛騎士をちらりと一瞥すると、彼は端正な顔をわずかにしかめて、何かを考えている様子だった。
さてカルステンとしても、ここで軽率に口を挟むことなどできない。だからといってこのまま傍観しているわけにもいかないのだが……。
どうしたものか――カルステンが思考を巡らせようとしたときである。
「こんな……こんな馬鹿なこと、あるはずが……」
呻くような声が二メートル前方から聞こえた。
苛烈な裁きを言い渡された公爵は、灰色の頭髪を振り乱して、落ち着きなくキョロキョロと視線を動かす。
それがある一点で止まった。
「あ、あいつだ! あいつがやったんだ! 私ではない!」
灰色の眼を濁らせて公爵が指さした先には、カルステンたちと共に入室してきた男の姿があった。
彼は未だ片膝をついて頭を下げた姿勢のまま、しかしザムエルの声にびくりと肩を震わせた。
「こやつがカルステンの小僧と組んで私を陥れようとしているのだ!」
ザムエルの言い草に、カルステンの眉間がぴくりと震えた。
五十二歳のザムエルは、四十一歳のカルステンより十歳以上も年上ではある。
だが二人は同格の公爵だ。そしてこの男は友人でも上官でもないのである。
そんな相手に呼び捨てだの小僧呼ばわりだのされる謂れはないはずだった。
かろうじて舌打ちは我慢したカルステンだが、頭に血がのぼりかけて思わず前のめりになる。
それをそっと押しとどめる手があった。
優しく添えられるように肩口に置かれた手は、見た目に反して力強かった。
意表をつかれたカルステンはぱちくりと手の主を見つめる。
引きこもり公爵の動きを牽制したのは、彼の妻――ディアーナだった。
彼女は短い金髪をさらりと揺らし、琥珀の瞳で夫の顔を覗きこむと、にっこりと美しい笑顔を浮かべたのである。