Ⅳ.苛烈の皇子②
謁見の間を目前にして、ヴァルテンベルク公ザムエルは不機嫌だった。
先日、皇子を懐柔するために派遣したはずの使者から不快な知らせが届いた。
すぐ王都に来るようにと急かす内容で、懐柔に失敗したという余計な報告つきだったのだ。
無能な部下の失態に激怒しながらも、可能な限り最速の方法で王都にたどり着いたのはいいが、王都の屋敷で待っていた使者はとにかく萎縮するばかり。その説明はどうにも要領を得ない。
仕方なく急いで謁見願いの訴状は出したものの、詳細を把握できないまま、ここまで来てしまった。
まったく……使えない部下のせいで気苦労が絶えない。
胸中で愚痴をこぼしながら、彼は謁見への門を潜ったのである。
天井の高い大広間の奥に進むと、銀髪の少年が玉座にふんぞり返っているのが見えた。
すらりと伸びた脚を組み、菫の瞳で面白くもなさそうにこちらを睨んでいる。
父親の権威を笠に着る厚顔さが、母親である皇后のカザリンを彷彿とさせた。
(一体どんなへまをすればこれの懐柔に失敗できるのだ……)
公爵は内心の苛立ちを隠して一礼した。
右拳を左の肩口に添えて頭を下げる。しかし膝をつくことはしなかった。
簡単に膝を屈することはしない。それが公爵としての矜持だと彼は信じていた。
謁見の間には皇子の他に近衛騎士と宰相、書記官など数人の官が控えている。それら他の官に対して優位性を示す行為でもあった。
「此度は火急の請願をご承認いただき、有り難く存じます」
まずは型通りに挨拶する。
皇子はこちらを睨みつけるだけで、言葉を返しもしない。
公爵は訝しげに目を眇めるが、すぐに気をとり直してとりあえず時節の挨拶に入った。
「華やかなシーズンから狩猟と収穫を迎えようかという折、殿下におかれましても、ご機嫌麗しく……」
「麗しいように見えるか?」
公爵の言葉をアルフレート皇子が遮った。
低く吐きだされた声は抑揚がなく、菫の瞳が公爵を睥睨する。
実に不快な態度だった。
(何だというのだ……この皇子、いったい何が言いたい……)
――いや、何を言わせたいのだ?
困惑するヴァルテンベルク公爵に、皇子の視線は冷たい。
皇子だけではない。傍らに控える宰相と近衛騎士までが冷めた眼を向けてくる。
「麗しいように見えるか、と訊いている。答えよ、公爵。貴公の不正を聞かされて、私が上機嫌でいられると思うその理由は何だ?」
『不正』という言葉に、公爵の頬がぴくりと震えた。
やはり呼びだしの要件はそれであったか、と胸中で舌打ちする。
同時に微かな違和感を覚えた。
最初に『不備』という名目で呼びだしておきながら、ここに至って『不正』と言いきるとは……。
公爵を糾弾しようという姿勢があきらかではないか。
堅実を常とするディルクハイム侯爵らしくないやり口だと思った。
皇子に入れ知恵した者が他にいるのかもしれない。
この期に及んでなお、皇子自身が思考力を持っているとは考えない公爵であった。
凝り固まった偏見がその可能性を排除してしまう。狭まった視野は人から選択肢を奪ってしまうものらしい。
いずれにせよ、この程度ならば、公爵にも予想はできていた。
皇子の言葉は動揺するほどのものではない。
不正告発の出所は見当がついていたからだ。
おおかた世襲騎士と繋がりのある「あの男」が持ち込んだ話を鵜呑みにしただけだろう。確たる証拠までは掴んでいないはずだ。
焦るには及ばない。
自分にそう言い聞かせて、ヴァルテンベルク公ザムエルは平静を装った。
「不正とは、穏やかではありませんな。身に覚えのないことにございます」
蓄えた脂肪で分厚くなった胸板を張り、自信たっぷりの口調で皇子を牽制する。
「側近の言葉を軽々に信じ、証拠の有無も不確かなまま他者を貶めることのなきよう、賢明なご判断を願いたいものです」
年若い皇子に老婆心を働かせるような口調で言い含める。
玉座に身を沈めた少年が薄い笑みを顔面に貼りつけた。
「なるほど……私が身内贔屓で話を鵜呑みにし、証拠もなく他者を糾弾する痴れ者だと、貴公は言いたいのだな」
「い、いえ、決してそのようなつもりでは……」
(何なのだ、この皇子は……)
内心の嘲笑を見透かされた気持ちがして、公爵の背に冷や汗が伝う。
小さな矜持を保つためにその場をとり繕うか。
あるいは激昂するか。
どちらかの反応を期待していた。
その想定でしか対策は立てていなかった。
盛大に予想を外された公爵の目に、皇子の薄笑いが不気味に映る。
狼狽するヴァルテンベルク公を眼前に捉え、皇子は表情から笑みを追いだした。
「卿の言は尤もだ。証拠がなければ、ただの妄言と言われても反論はできない。ならば、その証拠の有無とやらをはっきりさせるとしよう」
組んでいた脚を解いて皇子が片手を上げる。それを合図に謁見の間の入り口が開いた。
扉の向こうには、三人の人物が立っていた。
ゆっくりと中に入ってきた「証人たち」に、場にいる全員の視線が集まった。