Ⅱ.ちょっとの違和感①
ベルツ家の屋敷には二階に食堂がある。家族で食事を楽しむための場だ。
茶会や宴会に使う広間に比べれば部屋の規模は小さく、その内装も質素といえる。
それでも長テーブルには十脚の椅子が並び、食事時には数人の召使いが給仕に立ちまわる。
とはいえ先代当主のエーリッヒを亡くして以降、ここを使うのは母子二人しかおらず、この規模でなお空間を持て余しているのが現状でもある。
そこに、今は三人目の人物がいた。
「ウィリアムさんの工房には、とにかく色んな珍しい物があって凄いんですよ。名前や用途を覚えるだけでも、一日二日じゃ終わらなくて……」
ベルツ邸の食堂にウリカのはしゃぐ声が響き渡る。
錬金術師の家へ正式に通えることになった日から三日後の朝である。
はりきって朝早くから通い始めたのはいいが、どうやら早すぎたらしく、ウィリアムから「来るときは十時以降にしてくれ」と言われてしまった。
朝の時間を持て余したウリカは、朝食後の時間を狙ってカタリーナに会いにくることにしたのである。
そして今、食後のティータイムに混ぜてもらう形で、ここ数日の報告を嬉々として伯母に語っているのだ。
カタリーナは上機嫌でそれを聞いていた。
「ウーリが楽しめているようで良かったわ」
「えへへ、ありがとうございます」
ウリカは無邪気に笑う。
その様子を隣で見守るカタリーナはもちろんだが、対面に座っているユリウスも釣られたように笑みを浮かべていた。
「話の途中だが、そろそろ出かけなければならないな」
紅茶を飲みきったユリウスが席を立つ。
「例の公爵様の件は、どうなるのかしらね?」
息子を見上げて尋ねるカタリーナ夫人の口調は、その内容とは裏腹に何気なかった。
(例の……ヴァルテンベルク公爵の不正問題のことか……)
ウリカがすぐにそう察したのは、不正を告発した人物が自分と縁のある人物だからだ。
カタリーナが気にしたのも、おそらく同じ理由だろう。
公爵クラスの大物が不正を暴かれるなんてずい分と稀有な事態だ。公爵には真実を握り潰せるだけの権力がある。
近年――とくにここ数年は、そうした権威ある貴族たちの不正が放置されている、とステファンがぼやいていたのを思いだす。
「昨夜、公爵閣下が王都に到着して、即日の謁見を願い出たらしいので、今日のうちに処罰が下されるものと思われます」
質問に答えるユリウスの口調も母親同様に何気なかった。
「あら……」
夫人がぱらりと扇を開いて口元に当てる。
「裁きは確実にある、ということかしら」
済ました口調だが、扇の下では含み笑いが形成されているに違いない。
淑女にとって、扇子は本音を隠すための大事な仮面だ。
心を許した身内だけの場であれば必要ないが、この部屋には今、ハインリヒ以外に二人の使用人が控えている。
軽率な言動は身を滅ぼす元だということを知らないカタリーナではない。
「証拠も証人も揃っていますからね。言い逃れは許されないでしょう」
ユリウスは感情を見せないまま坦々と応じていたが、ふいに眉根を寄せて難しい表情を浮かべる。
「……もしかしたら、史上類を見ない苛烈な裁きになるかもしれません」
躊躇いがちにつけ足された言葉には憂いの色が混じっているように思えた。
夫人がすっと目を細める。
「そう……あなたから見て、一位殿下はどのような方なのかしら?」
一位殿下、というのは、第一皇子であるアルフレート・ハイムのことだ。
この国の――特に貴族社会において、皇帝とは神聖不可侵なる存在であるとされている。
そこに連なる皇族に対しても軽々しく御名を口にするなどとんでもない――そんな暗黙のルールがあるのだ。
そのため、肩書をもって呼ぶ風習があった。
その際『第一皇子殿下』では長くて呼ぶのに不便という事情から、継承順位をもって簡略化して呼ぶのが通例となっている。
アルフレート皇子から特別に名前を呼ぶことを許されているユリウスも、滅多なことではその名を口にはしない。時にそれが高官の反感を呼ぶと知っているからだ。
「聡明な方です。ですが不正を嫌うあまり、時に加減を忘れる嫌いがあります」
ユリウスが率直な意見を口にする。
率直すぎて、ウリカが内心で冷や汗をかいたほどだ。
この従兄の実直さは知っているが、もう少しオブラートに包めないものだろうか……心臓に悪い。
はらはらと状況を見守るウリカの隣で、今度はカタリーナ夫人がオブラートのお手本を披露する。
「殿下はまだお若くいらっしゃるもの。しっかり支えて差し上げるのですよ」
素直に受けとれば、単純な奨励に聞こえる。
しかしこの発言を正しく直訳すると、こうだ。
『殿下はまだ子供なんだから、ちゃんと面倒見てあげなさい』
貴族にとって、他者に足元を掬われないための心掛けは大切なことだ。
一番に気をつけるのは、言質を取られないようにすること。そのため、どうとでも言い逃れが利く言い回しで、言外に本心を隠すのである。
貴族社会で生き抜いていくための処世術で、カタリーナはそれに長けていた。
たった一つの失言でも、不敬罪に問われかねない怖い世界だ。
だからウリカなどは思う。
(お貴族様って、面倒くさい……)
うんざりとそんなことを思うウリカにとって、貴族社会は肩が凝って仕方ない。
でもだからこそ、カタリーナは良い手本として心強い存在だった。




