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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第五章 好奇心のはてに
43/133

Ⅲ.いじわるの理由②


  ◇◆◇◆◇


 今から十年以上も前のことです。貴族領の西南(せいなん)地区にラートブルフという男爵が住んでいました。

 賭けごとを趣味としてもつ当主と、男遊びの絶えない男爵夫人。二人の間には息子と娘、二人の子供がいましたが、自らの欲望にしか興味のない両親は、子供たちに見向きもしませんでした。

 所有する領地は管理人に任せきりで足を運ぶこともなく、男爵は日毎(ひごと)賭けごとに(ふけ)り、夫人は自分を飾り立てることに躍起(やっき)――最初のうちは人目を気にして遠慮がちだった二人の行動も、年月が経つにつれ少しずつ派手になっていきました。

 そして私が九歳になった年のことです。資産を使い(つぶ)した上に、大量に抱え込んだ借金で首が回らなくなった男爵は、家財や宝石などを売り払ってお金を工面しようとしましたが、それでも足りず、子供たちを人買いに売り渡そうと考えたのです。


  ◇◆◇◆◇


「ちょっ、ちょっと待って――売り渡そうとしたって……まさか、実の子を?」

 冒頭から、ずいぶんと破滅型の夫婦だな、とは思った。

 しかしさらに信じられない内容に発展して、ウリカは思わず口を挟んでしまった。

 穏やかさを保ったままハインリヒは答える。

「はい……見目と育ちの()い子供は、競売にかけると大変高く売れるそうです。あの男が目を輝かせながら、そう言っていたのをよく覚えています」

 ほんの一瞬、ハインリヒの瞳に殺気が走った。

 ウリカの背筋がぞくりと粟立(あわだ)つ。

 高い戦闘能力を持つ彼女だから気づいたが、ごく普通の令嬢ならば、その穏やかな笑顔に(だま)されていたことだろう。

 これは……聞いてはいけない話だったのではないだろうか……。

 ウリカは失敗を悟ったが、今さらそんな後悔はなんの役にも立たない。

 表面上は平然と、ハインリヒは話し続ける。

「より高く売るには付加価値があるほうがいいと人から聞いたらしいラートブルフ男爵は『教育を(ほどこ)す』などと言って、手始めに息子の服を無理やり脱がせようとしたのです。その瞬間、私の頭は怒りで一杯になり、気づけば無我夢中で男爵の顔を殴りつけていました」

「九歳で大の大人を? すごい話ね……」

「私は将来に(そな)えて、毎日欠かさず剣術の鍛練をしておりました。賭博(とばく)三昧(ざんまい)の不健康な生活で心身ともに(たる)みきった男を組み伏せるのは、難しくなかったのだと思います」

「思う?」

 まるで他人事のような言い方が少し気になった。

「頭に血が上っていたせいか、あまり細かいことは覚えていないのです。ただ……ふと我に返ったとき、男は右目を両手で押さえてうずくまっていました。化け物でも見たかのように奇声を上げる男の手と顔が血で汚れていて――生温(なまぬる)い感触を覚えて自分の手元を見下ろすと、その指は、血に(まみ)れていたのです」

 これは確かに不快な内容だと思った。

 何がどう不快なのかは聞く者によって異なるだろうが……。

 そこからの経緯は、結果だけを見ればごく単純なものだ。

 状況を見かねた当時のベルツ家当主であるエーリッヒが、ハインリヒの身柄を引きとった。

 人身売買に手を出そうとしたことが発覚したラートブルフ男爵は、罪に問われて投獄された。そして、その数日ののちに男爵夫人は自宅で自殺したと聞いている。

 ラートブルフ男爵が罪人として裁かれたこともあり、当時まだ成人前であったハインリヒが傷害の責任を問われることはなかった。

 ベルツ家がすんなりとハインリヒを引きとれたのはそうした事情からだ。

 ただ、その状況に持ち込むためにエーリッヒが奔走してくれたのを察するのみで、ラートブルフ男爵の罪状や今現在の生死を、ハインリヒは知らずにいる。

 若き執事から明かされた内容は、ウリカが想像した以上に重く、(ごう)の深いものだった。

 他人事のように話すハインリヒの本心は今なお見えない。

 ひとつ確かなのは、彼がラートブルフ男爵を「父」とは一度も呼ばなかったことだ。

 それだけ根が深い過去だということは分かる。

「ごめんなさい。好奇心だけで聞いていい話ではなかったわね」

 罪悪感に背中を押されてウリカは反省を口にする。

 ハインリヒは笑顔のまま首を振った。

「いえ、私のほうこそ、ご令嬢にお聞かせするような話ではありませんでした。ただ……私自身、誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれません」

 少し魔が差したようです、と言いながら、執事が立ち上がる。

「そろそろお時間のようです。馬車の準備が整っておりますので、お見送りいたします」

 ウリカが出かける時間に合わせて準備が整うよう手配済みであったらしい。

 相変わらず手抜かりのない仕事っぷりだ。

「馬車までねだる気はなかったのに……ごめんなさい。先に言っておくべきだったわ」

 やんわりと断ろうとしたが、ハインリヒはそれを受け入れなかった。

「ユリウス様から(おお)せつかっておりますので」

 主人の名前を盾に「遠慮してくれるな」と、子爵令嬢を牽制する。

 なんだかんだ、あの従兄も過保護だ。

 ウリカはくすりと笑う。

「そうね。それではお言葉に甘えるわ。断ったら、あなたがユリウスに怒られてしまうもの」

「恐れ入ります」

 冗談を言い合うように言葉を交わして二人は同時に笑った。

 ハインリヒと少し距離が近くなった気がして、なんだか嬉しくなる。

「ひとつだけ、聞いてもいいかしら?」

「何でしょうか?」

「どうしてユリウスに『いじわる』をしているの?」

 少し気になったのだ。

 彼がユリウスの名をあまりにも柔らかく口にするから、その気持ちに触れたくなった。

 ただの好奇心ではなく、確認しておくべきだと直感が(うず)くのである。

 ハインリヒが黒い瞳をわずかに細める。

「ユリウス様は私に何かしらの隠し事をしていらっしゃいます。ですが、そんなことをしておきながら、後ろめたさを感じ、お一人で勝手に気まずくなっておられる」

「あなたはそれを怒っているの?」

「いいえ」

「?」

 不可解な返答に、ウリカは思わず首をひねる。

 ハインリヒは笑みを深めて、思ってもみない理由を口にした。

「気まずそうにしながらも、私の様子を(うかが)うように視線を送ってくる――そんな姿が可愛らしくてつい」

「は?」

 完全に予想外な回答である。

 ウリカはぽかんとハインリヒを見上げた。

 執事の唇が、イタズラめいた曲線を描く。

「簡単に甘えさせてしまっては、勿体(もったい)ないではありませんか」

 忌憚(きたん)なく――()()()()()()()()告白をしたハインリヒの表情は、とても『いじわる』な雰囲気を(かも)していた。

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