Ⅰ.憩いのひととき②
シルヴァーベルヒ邸までの道をベルツ家の馬車がゆっくりと進んでいく。
外は少しずつ暗くなり始めていた。
「ユリウス兄さんって、ときどき強引ですよね」
馬車の中で、赤毛の少年が対面に座る従兄に複雑な眼差しを向ける。
敬愛する従兄と一緒に、のんびりと馬車に揺られるのは心地いい。
でも忙しいなかで時間を割いてもらうのは申し訳ない。
軽くいなされてしまったのがちょっと悔しい。
それらの感情が同居した末の表情だった。
「ジークは気を遣いすぎだ。そう頑なに遠慮されると、信頼されていないのかと心配になる」
「その言い方は、ずるいです……」
今度は反論を効果的に封じられてしまった。
負け惜しみのように唇を尖らせると、ユリウスは声を上げて笑った。親しい者にしか見せない砕けた表情だ。
ジークベルトも釣られて笑顔になる。
「でも本当に、もうちょっと年相応に甘えてもいいんじゃないか?」
「そうは言っても、来年は僕も成人ですし、いつまでも子供のままではいられません」
執拗に甘やかそうとしてくる従兄に、ジークベルトは反論する。
この国では十四歳になれば立派な大人だ。
ジークベルトは来年の社交シーズン中に十四歳を迎えることになる。
「魔術学校には通わないのか?」
魔術学校は皇宮内にある皇立の魔術師育成施設だ。
士官学校に並ぶ人材育成機関であり、魔術に関連した研究所も備えている。
研究所内の人事は魔術学校の卒業生が優遇されるため、研究に携わりたい者にとっては無視できない存在といえる。
ジークベルトが研究の類いを好みそうだと思っての質問なのだろう。
「そうですね……魔術自体は独学でも十分使えるようにはなるから、あえて学校で学ぶ必要はないかなと思っています。確かに、研究施設に惹かれるものはありますけど、皇立だとどうしても研究の内容や費用に制限がかかるから……それなら民間の研究施設を自分で立ち上げるほうがいいかな、と思いますし」
「自分で、か……大胆な発想だな」
感嘆の息をこぼして、ユリウスは琥珀の目を細める。
確かに十三歳の少年が語る内容ではないかもしれない。
だがジークベルトの脳内には、しっかりとした展望があった。
「立ち上げ資金と先行投資分さえ用意できれば、あとの費用はどうとでも捻出できると思うんです。大事なのは費用対効果ですから、そこさえしっかり押さえておけば、難しいことではありません。事業が軌道に乗れば少しずつ余剰の研究ができる機会も増やせるでしょうから、長い目で見れば皇立の研究施設よりも自由度は上がると思います……それに、最近は財務官府が費用を出し渋っていて、皇立は大変らしいですし」
最後は冗談めかして肩を竦める。
ユリウスは別のことに感心した。
「そんな宮中の内情まで、よく知っているな」
毎日のように皇宮に出入りするユリウスでさえ、魔術研究機関の実情はよく知らないというのに……。
一体どこでそんな情報を拾ったのかと気になったのである。
「使用人たちの噂話は、貴族たちがする噂よりもよっぽど精度が高いんですよ」
従弟の少年は何気ない口調で教えてくれた。
貴族たちは互いに牽制しあい、自分に都合のいい話だけをしたがる。その分、噂話もより歪曲しやすい。
だが、自分の屋敷ではつい気を抜いてしまうものだ。使用人を便利な駒程度にしか思っていない貴族なら尚のことである。
そういった貴族たちは、使用人が聞き耳を立てていることに気づかず、本音を吐露してしまうのだという。
使用人たちには、意外と幅広いネットワークがある。
彼らの口から口へと伝って、はるか遠い屋敷にまで情報が届いてしまうことだってあるのだ。
幅広く多人数で情報を共有する分、齟齬も少ない。
だからジークベルトは彼らに隙を見せず、かつ彼らの隙をついて情報を引きだすのである。
「そうか……意外なところに情報が転がってるものなんだな」
思案顔でユリウスは呟く。
ジークベルトがこの従兄を尊敬するのはこういうところだ。
誠実な人柄はもちろんのこと、こうした思慮深さを持ちあわせているのが大きい。
同じ話をしても、大抵の貴族は呆れて笑うか、馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけだった。
そうやって嘲笑する者のほとんどが分かっていない。
「どんな時、どんな場面でも、情報は最大の武器ですからね」
それがジークベルトの持論であり、父の背中から学んだことだ。
ステファンはとにかく情報を重視し、かつその鮮度すらも気にかける。
その姿を見続けてきたジークベルトとウリカは、自然とその重要性を学んでいった。
シルヴァーベルヒ家の子供たちが強制されなくても積極的に学問にとり組むのには、そうした背景がある。
「時々、思うことがある……」
ユリウスは眉尻を下げて従弟を見る。
「皇宮で働いているとき、側にジークがいてくれれば助かることも多いだろうな、ってね……情けない話ではあるが」
自嘲気味に肩を竦める従兄に、ジークベルトは無邪気な笑顔を浮かべた。
「ユリウス兄さんに頼ってもらえるなら、皇宮仕えも悪くないかもしれませんね」
口元を綻ばせて軽口のように答える少年は、まだ成人後の行く末を漠然としか考えていなかった。
皇宮仕え――それを明確に意識したのは、この時が初めてだったかもしれない、と後に振り返ることになるのだが、それはもう少しだけ先の話である。




