Ⅲ.いじわるの理由①
お茶会。楽しく茶菓子を頂きながら和気あいあいと談笑する場――そうであれば、どんなに楽だろうか。
残念ながら貴族のお茶会はそう呑気でもいられない。
有力貴族と繋ぎをとるために画策したり、情報交換という名の腹の探りあいをしたりと、なかなかに気の抜けない催しである。
カタリーナはその立ち回りが上手い。自身で言う通り、存分に『良い話』を掘りだしてくることだろう。
「見送りはあの子たちにお願いするから、あなたは来なくて結構よ、ハインツ」
部屋の隅に控える召使い二人を扇子で指し示しながら、カタリーナ夫人は執事の行動をぴしゃりと牽制した。
「あなたはウーリの話し相手をしてあげて」
「話し相手……ですか?」
ハインリヒの表情が少しだけ強張る。
ウリカとは普段あまり話す機会がない。
雑談しようにも、話題からつまずきそうな二人の関係だ。当然の反応かもしれない。
「ウーリは気にせず、ゆっくりしていってちょうだいね」
「はい。ありがとうございます」
気遣ってくれているんだな、とウリカは気づいた。
家人がいなくなってしまうのに、自分だけ居座っていては迷惑になる。時間的には少し早いが、お暇させてもらおうかと思っていたところだ。
その心情を見破られていたらしい。
「ウーリを退屈させてはダメよ」
念を押すように命じて、カタリーナはさっさと出ていってしまった。
部屋にはウリカとハインリヒだけが残される。
部屋が一瞬しんと静まり返った。
夫人が歩き去った部屋の入口を見つめて、ハインリヒは固まっている。
ウリカはひとり静かに紅茶を飲んだ。果実のような香ばしい匂いが鼻腔を通り抜ける。口当たりがマイルドで飲みやすい。
お茶を飲み干したウリカは、空のカップをソーサーへと戻した。
かちりと陶器同士のぶつかる音が静かな室内に響く。
「ごめんなさい、ハインリヒ。おかわりを頂けるかしら」
にこりと微笑んで声をかけると、執事がはっとした様子で振り返った。
「失礼いたしました。ただ今お注ぎいたします」
「ハインリヒも座って、一緒にお茶しましょう」
ハインリヒの動きがピタリと止まる。
型破りなことを言ったからだろう。使用人が貴族の茶席に着くなど通常ではあり得ない行為だ。うっかり誘いに乗って、意地の悪い令嬢にクビにされた使用人の話もあるほどだ。
無理もない反応ではあるが、それでいて笑顔を崩さないままなのが、なんともハインリヒらしかった。
「非常識を承知で言うわ。そこに座って、お茶に付きあってちょうだい。あなたの身長で立っていられると、始終首を傾けなくてはいけないもの。肩が凝ってしまうわ」
ウリカは無邪気に笑う。
下手をすれば脅し文句に聞こえかねない言葉だが、裏のない笑顔はハインリヒの警戒心を和らげるのに十分だった。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
ハインリヒが苦笑しながら対面の席に腰を下ろすと、子爵令嬢が満足げに口元を綻ばせる。
「ふふ、一度ハインリヒとゆっくりお話ししてみたかったのよね。だから嬉しいわ」
ハインリヒが意外そうに首を傾ける。
「ウリカ様が私に興味をお持ちとは、知りませんでした」
「あら。興味を持たれるのがそんなに不思議? だってハインリヒって、何でもそつなくこなして完璧なんだもの。苦手なことのひとつくらいないのかって、気になるじゃない」
「そんなに完璧に見えますか?」
「ええ。特に立振舞いに隙がないのよね。ハインリヒって貴族の出身だったりする?」
それ自体は特に珍しいことでもない。
家督を継げない次男以降の貴族子弟が、家を出たあと執事の職に就くこともままある。マナーを心得ているし、貴族社会の勝手も分かっているから、教育が最小限で済んで利便性が高いという事情からだ。
しかし――
「お察しの通り、私は貴族出身です。男爵家の嫡男として生まれました」
「えっ、嫡男?」
ウリカの予想は半分当たって、半分外れだった。
嫡男――跡取りだったはずの彼が、なぜ家督を継がずに執事などやっているのか。よほどの事情がなければ、そんなことにはならないはずだ。
軽率に立ち入ってよいものか判断に迷う。
迷うが――
「詳しく……聞かせてもらってもいい?」
好奇心旺盛なウリカが誘惑に勝てるはずもない。
若干の躊躇いを見せるも、その葛藤は短かった。
ハインリヒがくすりと笑う。
ウリカが初めて見る、とても柔らかい表情だった。
「不快な内容かもしれませんが、それでもよろしければ――」
穏やかな笑顔を浮かべてそう答える執事に、子爵令嬢はちょっとだけ戸惑う。
彼が浮かべる表情が何を意味するものか分からなかったからだ。
でも、ここで引き返すなんて、ウリカには不可能だった。
神妙な顔で静かに頷くと、ハインリヒはゆっくりと事情を語り始めた。