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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第四章 思わぬ拾いもの
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Ⅱ.錬金術師への反論②


 ウリカは膝の上で両手を握りしめる。


 ウィリアムが納得してくれるか、自信はなかった。

 だがこれ以上言えることもない。


 口を閉じて数十秒。錬金術師からの反応はない。


 ジルケは一人もくもくとお茶菓子を頂いている。


 室内にしばしの沈黙が落ちた。


 静寂に()えきれずちらりと視線を上げたときである。

 顔をうつむかせていた錬金術師がふはっ、と息を吐いた。その肩は小刻みに震えている。


「ふっ、くくく……」


 一瞬なにごとかと思った。


「はは、はははっ……!」


 ウリカが唖然と、ジルケがぽかんと見守るなか、ウィリアムの声は高くなっていく。


「ははは、ははははっ……!」


 笑っていた。これまで澄ましたような表情しか見せなかった男が、どうやら全力で笑っている。


 そんなに面白いことを言っただろうかとウリカは首をひねる。あまりにも予想外な反応に戸惑いしかない。

 事情を知らないジルケに至っては、珍妙なものを見る目で錬金術師を眺めていた。


 やがて、満足したのか笑いを収めたウィリアムは、砂色の目を細めて、どこか複雑そうな表情を見せた。


「まったく……いつも想定の斜め上をいくな、君は……」


 困ったように眉根を寄せたあと、ウィリアムは軽く息をついて姿勢を戻す。

 そして今度は呆れ顔で目を眇めた。


「下手な理屈をこねまわしてくるようなら正論で叩きのめしてやろうと思っていたが、驚くほどの直球でくるとはな……しかも、計算した上での直球勝負だろう?」


 ぎくり。


 ウリカは鼓動がわずかに跳ね上がるのを感じた。


 計算した上で誠実さを全面に押しだす、という矛盾した行為をこれほど容易に見破られるとは正直予想していなかったのだ。


 とっさに誤魔化しの言葉を探すが、焦りを帯びた思考回路では、どんなに脳細胞を全力(フル)回転させても何も浮かんではこない。

 そもそも言い訳が通用する相手とも思えない。


 背筋に冷や汗をたらしながら反応し損ねていると、ウィリアムは意外な言葉を口にした。


「さすがはステファン(きょう)の子だ。血は争えないということか」


 ふいに出てきた父親の名前に意表をつかれて、ウリカはぱちくりと目を瞬かせた。


「父を知っているんですか?」

「ステファン卿は俺のスポンサーだからな」


 実にさらりと錬金術師は言い放った。


 なにそれ聞いてない……。


 寝耳に水な話に子爵令嬢は呆然とする。

 だが冷静になって考えれば、驚く話でもない。


 これだけ立派な一軒家に数々の器具。資金提供者がいないほうが却って不自然だろう。

 しかもこの国ではまだ未知ともいえる錬金術だ。()()父親が無関心でいるはずはない。


 なるほど。説得力はある。


 でもなんだか釈然としないものを感じてウリカは頬を膨らませる。


「怒るか? 黙っていたこと」


 ウィリアムにそう言われて「ああ、そうか」と思った。


 父であるステファンが資金提供者(スポンサー)だというなら、それを盾にウィリアムを脅すこともできたのだ。

 黙っていたことを「フェアじゃない」と怒るのは貴族令嬢なら自然なことかもしれない。


 だがウリカにとって矛先を向けるべき相手はウィリアムではなかった。


「いえ。文句はお父様に言うので大丈夫です」


 ここの存在を教えてくれたのはあの父親だ。なぜそのとき話してくれなかったのか――憤りがあるとすればそこである。


「それに……知っていたとしても、父の威を借りる選択肢はありえませんでしたから」


 きっぱりとウリカは言いきった。

 だって変な後腐れは作りたくない。どうせなら気持ちよく学びたいではないか。


 ウィリアムは意外そうに目を見開いたあと、ふっと笑う。


「そうか」


 それは初めて見るはずの優しい笑顔だった。


 しかしウリカは既視感めいたものを覚える。いつかどこかで見たことがあるような、(なつ)かしい感じがしたのだ。


 その正体が分からず首を傾げていると、ウィリアムは気をとり直すように表情を戻した。


「俺は今、手が放せない研究をひとつ抱えている。だから本格的な事を教えてやれる余裕はない」


 本題に戻った錬金術師の言葉は、ウリカにとって色()い返答ではなかった。


 しかし研究者というものが、ときに寝る間も惜しんで研究にいそしむ悪癖(あくへき)持ちだと知っているから、この手の反応は予想していた。

 だからウリカは悲観的に捉えたりはしない。


「では、私のことを雑用に使ってください」



 逆にそんな提案をしてみせる。


「掃除、洗濯、買い物。何でもやりますよ。その分、ウィリアムさんは研究に集中してください」


 さすがにこれは想定外だったらしく、ウィリアムは砂色の双眸(そうぼう)を見開いて子爵令嬢を見つめた。


「君はそれでいいのか?」

「いいですよ。ウィリアムさんの手が空くまでただ待っているより、そのほうが効率的ですし、雑用から学べる事だって、たくさんあるんですから」


 様々なものに見境なく手を出してきたウリカだからこその意見だったろう。

 それを自然体で言い放って無邪気に笑う少女を前に、ウィリアムは毒気を抜かれたような笑みを浮かべて吐息した。


「分かったよ、俺の負けだ。そういうことなら、今日から手伝ってもらうことにしよう。君は気が利くようだから、足手まといの心配もなさそうだしな」


 言いながら立ち上がるウィリアムを見上げて、ウリカは首を傾げる。


「私、ここに来てから気を利かせたことなんてありましたっけ?」

「先日、食事後の食器を洗ってくれただろ」

「いやいや……食事をたかってしまった手前もあるし、自分で使った食器を片づけるなんて、当たり前のことじゃないですか」


 そのついでにウィリアムが使った分も洗いはしたが、それは大した手間ではない。「気が利いている」などとは、過大評価もいいところだ。


 だがウィリアムの言い分は違った。


「それを『当たり前』だと言えるところが、君が変わり者扱いされる所以(ゆえん)だな」

「どういう意味ですか?」


 物問いたげに眉根を寄せると、錬金術師がニヤリと口の()をつり上げる。不敵さをとり戻した瞳には、皮肉の色が混じっていた。


「貴族の坊っちゃん嬢ちゃんにとっては、自分で片付けるなんて恥でしかない。それは貧乏貴族という証だからな。雑用を使用人に任せられるのは、貴族や大商家のみに許された贅沢で、それが彼らにとっての矜持(きょうじ)でもある。自ら雑事を行うことを『当然のこと』などと言えてしまう貴族令嬢は普通ではない、ということだ」


 その言い草にウリカはちょっとだけムッとする。


「もしかして、私を(けな)してます?」


 ウィリアムがくすりと笑った。


「逆だよ。むしろ常識に縛られないタイプのほうが、錬金術には向いてる」


 思ってもみない返答に、今度はウリカが目を丸くする番だった。


 ウィリアムはテーブルに置いてある自分のコップを手に取ると、その中身を見つめてゆっくりと揺らす。


 そして、


「飲んでみるか?」


 柔らかい口調でそう聞かれてウリカは面食らった。


 穏やかに笑う錬金術師は地味ながらも整った顔立ちをしている。それが際立って見えた。


(普通にしてたらモテるんだろうな、この人……()()()()()()()()だけど……)


 意地悪くそう思いながらも、表には出さないように努めた。

 だってこのチャンスを逃したくない。


 ウリカはコクコクと自動人形のように首を上下させてコップを受けとる。

 黒色の液体はすっかり冷めていたが、鼻先を近づけると、独特の芳香は残っていた。

 もしかしたらほんの少しは認めてもらえたのだろうか……。そんな期待を抱きつつ、コクリとコーヒーを口に含んで飲み下す。


 次の瞬間、微かな苦味と強烈な酸味が舌の上を滑っていき、ウリカの背筋がゾワリと泡立った。

 残留する後味に顔をしかめながら、慌てて自分のカップに残っている紅茶を飲み干すと、涙目でウィリアムを見上げる。


 錬金術師は人を食ったような笑顔で、酷薄に子爵令嬢を見下ろした。


「冷めるとマズいんだよ、それ」


 どうやら認めてもらえたような気がしたのは幻想だったようだ。


 意地悪な錬金術師を睨みつけながら、この人が優しい笑顔を見せたときは信じないようにしよう、と固く心に誓うウリカだった。

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