Ⅲ.興味の矛先①
一見そこは殺風景な室内だった。
錬金術師を名乗る男が『工房』と呼ぶ部屋。
壁際には多数の棚が並んでいるが、中央には何もないだだっ広い空間が横たわっている。
シンプルすぎて部屋の用途が分からない。
「調合の準備をするから手伝ってくれ」
ぽかんと首を傾げるジルケには構わず、錬金術師が子爵令嬢に声をかける。
ここに来たときから感じてはいたが、どうやらこの男には貴族を敬う気がないらしい。
それがジルケには異質に見えた。
この国で貴族といえば、建国王の血を継ぐ存在であり、その命は尊いものとされている。恐縮する庶民は多い。
異国の人間だからだろうか。この国の人間とは肌感覚が違うのかもしれない。
(いや、だとしてもだ……仮にもスポンサーの娘だという相手に、あんな態度で良いのか?)
ジルケは首をひねる。
このウィリアムという男の言動は、敬意を払うどころか横柄にすら見える。
特に肩肘を張るでもなく自然体だ。
(まあ、子爵令嬢のほうも大概だが……)
ちらりと視線を移した先では、ウリカが素直に錬金術師の指示に従い、ちょろちょろと室内を移動している。
たいそう変わり者の令嬢がいるらしいという噂を耳にしたことがあるが、もしや彼女がその当人なのだろうか。
だとすれば噂にも納得だ。まさに彼女は天然ビックリ箱のような令嬢だった。
変わり者同士で似合いの師弟になるのではなかろうか。
そんなことを一人でぼんやりと考えている間に、室内はすっかり様変わりしていた。
壁際の棚に寄り添うように置かれていた縦長の白いテーブル――錬金術師が『作業台』と呼ぶそれが部屋の中央に移動している。
作業台の片隅にはなぜか小さなクッションがひとつ鎮座していた。
「それは適当に作業台の近くに置いといてくれ」
「はい」
ウィリアムの指示でウリカが円筒状の台のようなものを作業台の周囲へと運ぶ。同じような物がいくつかあり、その大小はさまざまだった。
作業台にも円筒にもキャスターがついていて、力がなくても楽に動かせそうだ。
さして時間がかからないうちに、気づけば部屋は雑多な印象へと変わっていた。
珍妙な、と思うジルケの目の前で、錬金術師は円筒のひとつに手を伸ばす。
円筒の頭の部分を両手で挟むように掴んで持ち上げると、その上部だけがパカッと外れた。台ではなく箱だったらしい。
中からは鉄製の台座のようなものが出てきた。
ぱっと見はただの置物に見える。
「それは何だ?」
作業台に置かれるそれを凝視しながら尋ねると、錬金術師はあからさまに面倒くさそうな表情をこちらに向けた。
オブラートというものを知らない男だ。
「これは天秤よ」
ジルケの質問には子爵令嬢が答えてくれた。
さっそく師匠をフォローしようということだろうか。ウィリアムの言葉通り、確かに気が利いているようだ。
ジルケは首を傾げる。
「天秤? 私が知っているものとは違うようだが」
棒の両端に皿を釣り下げた形のものなら見たことがある。商人がよく使う道具だ。
だが目の前にあるこれは鉄の台座の上に二つの皿が乗った形のものだった。
本当にこれで物の重さが分かるのかと疑問に思う。
「糸でお皿を釣り下げてあるものが一般的だものね。私も初めて見たときは不思議に思ったわ。でもこれもこの板の真ん中を支点にしていて、釣り下げ式のものと原理は同じなんだそうよ」
子爵令嬢が丁寧に説明してくれた。
「なるほど……だが重量があって持ち運びには向かないように見える。利点はあるのか?」
「お皿からはみだすような大きさの物でも釣紐が邪魔をしないから、錬金術の作業にはこのタイプのほうが向いているらしいわ」
質問を重ねても即座に明瞭な回答を得られるのは気持ちがいいものだ。
好奇心を刺激されたジルケが質問を追加する。
「そもそも錬金術とは何なのだ?」
実はそれがずっと気になっていたのだ。
「そうね……簡単に説明すると、物質に魔力干渉することによって、まったく違うアイテムに変えてしまう技術のことよ。例えば、牛乳に魔力を加えると、発酵期間なしでチーズに変えてしまえたりね」
子爵令嬢の説明に驚いて、ジルケは身を乗りだすように彼女に詰め寄った。
「そんなことができるのか? どんな原理なのだ?」
「全ての物質は元素というもので構成されていて、水なら水、鉄なら鉄、物質によって決まった元素属性と元素濃度というものがあるの。魔力干渉によってその属性や濃度を変換して、物質そのものを変えてしまうのが錬金術よ」
「属性というのは、魔術属性と同じものか?」
「そうよ。地、火、風、水の四属性」
世界は基本の四属性で成り立っていると言われており、魔法もこの四属性に大別される。それは錬金術も変わらないということなのだろう。
「詳しいんだな。勉強したのか?」
ふいに淡泊な口調で話に割り込んできたのは、傍観を決め込んでいた錬金術師だった。