Ⅱ.訳ありの少女②
シルヴァーベルヒの教育方針は他家とだいぶ違う。
知識にせよ体にせよ、鍛えなければ弱いまま。弱いままではできることも少ない。
だから学びは美徳であると教えられて生きてきた。
武器を安直に買い与えるのではなく、身につけさせる。それがシルヴァーベルヒ家での愛情のかけ方だった。
とはいえ、当主のステファンは自主性を重んじ、そこに個人の資質を見いだすタイプの男だ。
だから子供たちが自主的にやりたがらない限り、理不尽に教育を押しつけることもしなかった。
ひとえにウリカがここまでの技術を身につけたのは、彼女自身の学習意欲によるものである。
そのための環境を整えてくれた父親を評して「過保護」と言ったのだ。
固定観念に縛られる愚かさを、ウリカは男に教えてやる。
「自分の認識を常に他人と共有できるなんて思わないほうがいいわ。現にそのせいで、あなたは私の人間性と実力を見誤った」
筋肉男が図星をつかれて黙りこむ。
「聖女さまぶった貴族令嬢――その情報だけで、あなたは私がおめでたいお花畑だと思い込んだでしょう? もっと色んな可能性を考えるべきだったわね」
そう指摘するウリカ自身は、あらゆる可能性を想定して彼らに揺さぶりをかけていた。
例えば、この辺りは治安が悪い。
暴力にあふれているわけではなく、誘拐、詐欺、物とり、通り魔、といった潜むような犯罪が横行している。発見の難しいそれらは、表立った暴力行為よりも厄介だ。
人の好さそうな人間は標的にされやすく、少人数でこうした場所に来ることは滅多にないはず。だから男たちの存在をどこかチグハグに感じた。
そのため、善悪どちらの可能性も念頭に置いたうえで様子を見ようと考えたのである。
「私の『聖女さま』は鼻についたかしら? 隠しきれない苛立ちが表情に出ていて、ずいぶん分かりやすかったわ」
ウリカは右頬に手をあてて慈愛の微笑みを浮かべながら嫌味を放つ。
男は頬をひきつらせて額に青筋を刻んだ。それを見てくすりと笑う。
「知ってる? 怒りは最も人の本音が出やすいのよ」
自分はまんまと踊らされたのだ――そう悟った男が、悔しさに歯噛みする。
少し離れた場所では、派手に転倒して転がっていった小太り男がのそりと起き上がるところだった。
地面にこすったのか、額と鼻の頭がすりむけて真っ赤になっている。とても痛そうだ。
「あなたたちに選択肢をあげるわ」
ウリカは無邪気に笑いながら、人差し指をぴっと立てる。
「一、今すぐここから逃げる」
男の眉間にシワが刻まれる。どうやら『逃げる』という表現が気にくわないらしい。
ウリカは指を二本に増やす。
「二、大人しく憲兵に捕まって牢に入る」
眉間のシワが深くなった。「悪いことをしたらルールに則って罪を償いましょう」といういい子ちゃん思想が癇に障ったようだ。
聖女の言動を蔑む男なら、まあそうだろう。
「あら、どちらも気に入らない?」
わがままね――と言わんばかりに眉を持ち上げてウリカは続ける。
「なら、三……」
剣の柄に手をかけて、にやりと口角をつり上げた。
「今ここで、私に斬り刻まれて永眠する」
男たちの顔が引きつった。
実は最後に提示したこの選択肢こそがウリカの本命だ。
碧い瞳に目一杯の殺気をほとばしらせて暗く微笑む。
「どれにする?」
お気に入りのおもちゃでも選ばせるような気軽さで訊ねられて、男たちは怖気を震った。
「決められないなら、私が選んじゃうわよ」
言葉を失う男たちに焦れたのか、鬼畜な笑みを浮かべた令嬢が剣を抜こうと動きを見せた。
ひっ、と背筋を凍らせた男たちが小さな悲鳴を上げる。
「い、一にしますっ!」
男二人は脱兎のごとく逃げだした。
あれだけ脅しておけば、しばらくは大人しくしてくれることだろう。
ふうっ、と息をついたウリカは、何か忘れているような気がして辺りを見回す。
後方を振り返ったとき、地面にへたり込んだ十歳前後のお嬢さんと目が合った。
少女がびくりと身じろぎする。その身体はわずかに震え、瑠璃色の瞳は怯えの色を滲ませている。
それでも彼女は、気力を振り絞って口を開いた。
「貴族子女の皮をかぶった悪魔が徘徊しているなど……市井とは恐ろしい所だな……」
いや、案外余裕がありそうだ。
なかなか失礼なことを言ってくれるが、不思議と不快には感じなかった。
「あなた面白い子ね。名前を教えてくれる?」
手を差しのべながら笑いかけると、少女はおとなしくその手をとって立ち上がる。
男に放りだされて派手に転んだせいで、シャツの裾やスラックスが無惨に汚れてしまっていた。ウリカは少女のお尻や足元をやさしくポンポンと払ってやる。
改めて少女を見て、ふと違和感を覚えた。
しかしその正体を考える間もなく少女から返答がきたため、ウリカの思考は霧散した。
「……ジルケだ」
彼女はためらいがちに、ぼそりと名前だけを告げる。
「ジルケ、ね……家名は?」
「…………」
これは答えたくないらしい。ぷいっ、と顔を逸らされてしまった。
これでは送るべき家も、身分さえも分からない。
「そう。なら、質問を変えるわ。あの男たちの口車に乗せられないほど用心深いあなたが、どうしてこんな所に一人でいるのかしら?」
そう。男たちに対して「彼女なりに自衛の意識を高く持っているが故の言動」と言ったが、ウリカの言葉が矛盾を孕んでいたのはここだ。
本当に自衛の意識が高いのであれば、こんな物騒な所を一人でうろついているのはおかしな話だ。
「市井を……見てみたかったのだ」
ジルケの返答はなおも歯切れが悪い。
形勢不利を理解しているからだろうが、そんな回答で誤魔化せると思われるなど、心外というものだ。
「論点はそこじゃないわ。市井に来るにしても、誰かしらを伴ってくるのが当然でしょう? あなたほど自衛意識が高いのなら、余計にね……一人でこんな所まで来るなんて、無謀というものよ」
少女はまたも顔をそらした。
(やっぱり……何か訳ありか……)
この子が頭のいい子なのは分かっている。理解が早く、自身の間違った認識を即座に改めて、謝る度量も見せた。
それがこの煮えきらない態度である。
(これは……思ったより面倒事かも……)
好奇心にかられて首を突っ込んだウリカは思い知る。
『面白い』と『厄介』は共存しうるのだ――それを今、初めて明確に認識した。
とんだうっかりである。
さて、どうしたものか……しばし考えてみても妙案は浮かばない。
仕方ないか、とウリカは開き直ることにした。
「私はこれから街外れにある錬金術師の家まで行く予定なんだけど、あなたも一緒に来る?」
どうやらまだ家には帰りたくない様子の少女――とはいえ、いつまでも付き合ってあげられるほどウリカも暇ではない。
だからこれは最大限の譲歩だ。それが受け入れられないというなら、冷たいようでも見捨てるしかない。
それはちゃんと理解できているらしい。ウリカの提案に、ジルケは素直に頷いたのだった。