Ⅰ.さわやかな朝に①
ウリカは馬を走らせていた。
王都ドルトハイムの市民街。その東側へと向かう内壁沿いの通りだ。
錬金術師の家を訪ねた翌々日の朝早く。再度の弟子入りを願いに行く。その途中のことである。
今日は馬屋番が仕事を始めようか、という時間に合わせて家を出てきた。
服装は動きやすいパンツスタイルで、髪はポニーテール。剣はホルダーで腰にぶら下げてある。
先日と違って自由度が格段に上がった格好は、ウリカの性に合っていた。
まだ人の通りが少ない朝方。軽快に馬をとばすのは気持ちがいい。
この辺りは倉庫街と呼ばれる一画で、文字通り商業用の倉庫が数多く建ち並んでいる。
明確な目的を持った者しか足を運ばない区画であるため、朝方でなくとも人気は少なく、そのぶん治安がいいとは言えない場所だ。
だからというわけではないが、ふと視界の端に引っかかった人影が気になって、ウリカは馬を止める。
耳を澄ますと、路地の向こうから話し声が聞こえてきた。
馬から降りて手近な木に手綱を括りつけたウリカは、声のする路地へと向かった。
馬を走らせていた通りの南側に広がる商店通り――そこへとつながる細い道の一角である。
少女が一人に、体格のいい男が二人。何やら言いあいをしている姿がそこにはあった。
「……さっきも言ったように、君みたいな子供が一人でこんな場所をうろつくのは危ない。家まで送ってあげるから、どこに住んでるのか教えてくれないかな?」
男の一人が優しげな口調で少女に話しかけている。
中背だが整った筋肉の持ち主だ。迫力のある体つきをしているが、浮かべた笑顔は、いかにも人の好さそうな雰囲気をまとっている。
その隣にもう一人。ちょっと小太りな印象の男がいた。こちらも中背だが、横幅の分だけ体はひとまわり大きく見える。小太りとはいえ、動きそのものに鈍重さは感じない。
ぱっと見には、大工や鍛冶屋を連想させる二人だった。
一方の少女は、警戒心を剥きだしにして男たちを睨んでいた。
「必要ないと言っている。私に構うな!」
差しだされた男の手を払いのけていきり立つ少女は、十歳くらいだろうか。
赤みがかった紫色の頭髪は汚れもなくきれいで、服も上物の絹をまとっている。
ドレスではなく、青地のシャツと白地のスラックスを身につけていて、全体的にヒラヒラとした飾りが目につく衣装だ。
貴族か豪商の娘であるのは間違いないだろう。
勝気そうな瑠璃色の瞳で男たちを睨む姿は、外敵を前にした猫のようにも見えた。
「そうは言ってもな……お嬢さんみたいな子に何かあったら大事だよ」
目尻を下げて頭をかく筋肉質な男に同意するように、もう一人の男も優しく少女に声をかける。
「そうだよ。とりあえず貴族門まで送ってあげるから、一緒に……」
小太りなほうが少女の手を掴んだ。その瞬間である。
「放せ! 汚ない手で触れるな!」
彼女は条件反射のように激昂した。
これはまずいかもしれない……。
「なんだと……」
ウリカの予想通りに、小太りな男から剣呑な声がもれた。
少女が顔をしかめる。
男は彼女の手を離してはいなかった。怒りを滲ませた手に、必要以上の力が入ったのだろう。
こちらの男のほうは気が短かそうだ。
一触即発の空気が場を支配する。
(さすがにこれ以上は、傍観していられないかな)
観察タイムは終わりにすべきだろう――そう判断して、ウリカは彼らに歩み寄って声をかけた。
「失礼。状況を説明してもらえるかしら?」
突如場に割り込んだ明るく友好的な声は、能天気にも聞こえたかもしれない。
三人の注意が一斉にウリカのほうを向いた。
不審感を湛えた三様の視線が、得体の知れない少女の姿を映す。
腰に剣をぶら下げた令嬢――馴染みがないのは当然で、警戒するのも当たり前の反応だろう。
だからウリカは気にしない。
「突然ごめんなさい。不思議なとり合わせの人たちが、なにやら言い争いをしているように見えたものだから、気になってしまって」
変わらぬ能天気さでにこりと微笑む。
呆気にとられた小太りさんが、思わず少女から手を離した。
少女はすかさずその場から逃げだすと、ウリカのほうに駆け寄って、隠れるようにその背後に回り込む。
ウリカを『味方』と認識したらしい。助けにきた、と言った覚えはないのだが……。
「誤解しないでくれよ。俺たちは、その子が一人でうろついてたもんだから、心配になって声をかけただけなんだ」
筋肉質なほうの男が、ちょっと慌てた様子で弁解した。
無理もない。見た目だけでいえば、自分たちのほうが圧倒的に悪役然として見えるのだから。
普通の令嬢であれば、偏見で彼らを悪役と決めつける可能性が高いのは事実だろう。
「この辺りは人気もないから物騒だし、アンタも気をつけたほうがいい」
釈明のように忠告してみせる男は必死な様子だった。
確かに彼らの言い分には筋が通っている。先ほど観察した会話とも整合性はとれる。
「そうですか。心配してくださって、ありがとうございます」
無邪気に笑いかけると、男たちは不思議そうに顔を見合わせた。
(だいたい分かったかな……)
状況分析を済ませて、ウリカはひとり納得する。
しかし――
(もうひとつ、確認しておこうかな)
碧い瞳に好奇の色を宿して、子爵令嬢は薄く微笑んだ。




