Ⅳ.女主人は強し②
「伯母様は伯爵領に行っていらしたと聞きましたが、いつこちらに戻ってらしたんですか?」
人心地ついたウリカは、カタリーナ夫人にそう尋ねた。
大好きな伯母と久々に再会し、さらにおやつで空腹が満たされたことで、浮かれていたのである。
「昨日戻ってきたばかりよ。久しぶりに一人で羽を伸ばすことができたわね」
(しまった……)
ウリカは早々に失敗を悟った。
カタリーナは変わらぬ笑顔のまま優しく返答してくれたが、言葉通りのわけはない。
ユリウスはここ最近、仕事や家督相続に忙殺され続けて余裕がなかった。だから代わりに、領地の様子をカタリーナ夫人が見に行っていたはずである。
ベルツ家では家族そろって領地視察へと赴くことも多かった。それが今回はカタリーナ夫人ひとりだけ。前向きな気持ちでいられたはずがない。
夫を失った事実を嫌というほど実感させられたことだろう。政略結婚ではあったものの、夫婦仲は良好だったのだ。
辛くないはずはないのに、それをおくびにも出さないのはウリカを心配させたくないからだ。
余計な気を遣わせてしまった。
(話題選び、失敗しちゃった……)
反省と同時に、馬車の中でユリウスに言われたことを思いだす。
何も考えずに甘えろ――あの従兄はそう言った。だからそうだ。自分の話をしよう。
「そういえば今日、錬金術師の家に行ったんですよ」
少し強引にだが話題を転換してみる。
「錬金術? 幼い頃からやりたい、とずっと言っていたわね」
幸いにも夫人は興味を示してくれた。
ほっとして、ウリカは声を弾ませる。
「はい。伯母様だけですよ、いつもその話を真剣に聞いてくださるのは」
カタリーナ夫人は暗赤色の目を細めてくすりと笑った。
「この話のときは、他と熱意が違うもの。真剣に聞くのは当然でしょう?」
「あれ? そんなに違いましたか?」
伯母の発言に意表をつかれて、ウリカは目を丸くする。自分ではそんな自覚がまるでなかったからだ。
「あら、自分で気づいていない?」
カタリーナ夫人の唇がいたずらっぽく弧を描いた。
「あなたは唐突に何かを始めるとき、『やってみたい』って言うのよ。でもね、錬金術だけは、最初から『やりたい』って言っていたの」
ぽかんと口を開けて、ウリカが目を瞬く。
指摘されて初めて気づいた。
この二つは似ているようで、その意味合いには大きな差がある。好奇心に駆られた『やってみたい』と、明確な意志を秘めた『やりたい』の違い。夫人はよく気づいたものだ。
「伯母様はすごいなぁ。そんなことまで気づいちゃうなんて」
感嘆の吐息を洩らすと、カタリーナが口元に人差し指をあててにこりと笑う。
「ウーリはユリウスと違って、何ごとにも積極的だから、見ていて気持ちがいいわ。応援しがいがあるのよね」
わざわざユリウスを引き合いに出したのは、何事にも淡泊な息子に少し不満があるのかもしれない。
「それで? 錬金術師に会って、弟子入りはさせてもらえそうなの?」
「それが……断られちゃいました。好奇心や興味本位で中途半端に関わってほしくないって言われちゃって」
「そう。専門家としてのこだわりをお持ちなのね、きっと。でも、そういう方に弟子入りできれば、そこで学んだことは身になるでしょうね」
穏やかな口調で、否定するでも肯定するでもなく感想を述べる。
夫人の思慮深さが窺えるのはこういうときだ。
「私もそう思います」
ウリカは嬉しそうに伯母の意見に同調して、両の掌を合わせた。
「私の言い分に納得できれば話を聞いてくれると言っていたので、頑張って考えてみようと思います」
「そうね。頑張りなさい。例えどんな結果になっても、そうして考えたことは、決して無駄にならないはずよ」
「はい。伯母様が良いヒントをくださったので、きっといい答えが見つけられると思います」
「あら、力になれたのなら、私も嬉しいわ」
優しく背中を押してくれる伯母に屈託ない笑顔を返すウリカは、すっかり肩の力が抜けていた。
そうなると明るい話題がするすると出てくるのだから不思議なものである。
二人の話は尽きることがないまま、気づけば夕刻が近づいていた。
「名残惜しいけれど、そろそろ帰してあげないと、あなたのお父様が拗ねてしまうかもしれないわね」
カタリーナ夫人が冗談めかしてそんなことを言う。
だがあの父親の性格を考えると、あんまり笑えない。
「伯母様はこれからしばらく、こちらにいらっしゃるんですか?」
「そうね。ユリウスの様子も気になるし、そうするつもりよ。だから、いつでも遊びにいらっしゃい」
カタリーナ夫人に温かく見送られて、ウリカはベルツ邸をあとにした。
気分がだいぶすっきりしたような気がする。
(伯母様は太陽みたいな人だなぁ……)
明るく温かく安心させてくれる存在。
なんだかもらってばかりいるな、と別れ際に見た伯母の顔を脳裏に浮かべた。
嬉しそうな微笑みが本心からのものなのか、ウリカには判断がつかなかった。
だってあの伯母は表情を隠すのが上手いのだ。ウリカごとき小娘に、簡単に本音を悟らせてはくれない。
けれども――
(本心から出た笑顔であればいいな……)
そんなことをぼんやりと願いながら、ウリカは家路についたのである。