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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第二章 街外れの錬金術師
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Ⅲ.錬金術師の素質②


 四の鐘(午後三時の報)が鳴ろうかという頃、呼び鈴の音が室内に響いた。


 ウィリアムが作業の手を止めて玄関へ向かうと、そこには見慣れぬ青年の姿があった。


 見上げなければ視線が合わないほどに背が高い。暗緑色(あんりょくしょく)の頭髪に琥珀色(こはくいろ)の瞳。

 どこかで見たことがあるような、不思議な感覚にとらわれた。


 ウィリアムが首を傾げるのを見て、青年が用件を告げる。


「失礼。ユリウス・フォン・ベルツという者だが、こちらにシルヴァーベルヒ子爵令嬢がお邪魔していないだろうか」


 これは驚いた。

 いま(ちまた)で噂のベルツ伯爵ではないか。


 彼は十五歳で士官学校を卒業して最年少記録を()り替えた人物だという。しかも次席卒業というおまけつきらしい。

 さらにその翌年には第一皇子の首席近衛騎士に就任して周囲を驚かせた人物と聞いている。

 眉目秀麗(びもくしゅうれい)な容姿も手伝って女性人気が高く、市井(しせい)でも噂の飛びかう、いわば『時の人』である。


「名高きベルツ伯爵がこんな場所までお越しとは……失礼だが、ウリカ嬢とはどういった関係かな?」


 そう確認しようと思ったのは、好奇心が一番の理由ではある。


 彼のことは噂でしか知らない。ウィリアムにとっては見知らぬ相手だ。

 軽率に取り次いでいいものか判断に迷ったのがもうひとつの理由だった。


 ベルツ伯ユリウスは少しだけ眉を持ち上げて意外そうな顔を見せた。おそらくウィリアムが貴族相手に敬語を使わなかったからだろう。

 だが特に不快な様子もなく、彼は質問に応じた。


「従兄妹で幼馴染みだ。父親が友人同士だったのもあって、昔から家ぐるみで交流が多い。彼女の父親に頼まれて迎えにきた」


 過不足のない説明は『それ以上でも以下でもない』と言いたげな雰囲気を(かも)していた。


「分かった。少し待っていてくれ」


 問題はなさそうなので、ウィリアムは若き伯爵をその場に待たせて工房(アトリエ)に戻った。


 部屋を覗くと、ウリカは一人で錬金術の本を読み漁っていた。


 悩み飽きたからなのか、考えが煮詰まって一時的な逃避行動に走ったのか……。何にせよ、奔放な娘であることには違いない。


「従兄殿が迎えに来たぞ」


 声をかけると、ウリカがはっと顔を上げた。


 直後に眉をひそめる。


「ユリウスが?」


 子爵令嬢でありながら伯爵の名を呼び捨てにしているところに、二人の親しい関係性が表れている。


 しかしこの違和感は何だろうか。

 少女は心の底から不思議そうな顔をしていた。


「従兄妹で幼馴染みなんだろ? 仲良いんじゃないのか?」

「う~ん……どうなんでしょうね。普通くらいじゃないかと……」


 少女からは無関心な空気が漂ってくる。さきほどのユリウスと似た印象だった。

 なんとなく、二人の距離感が分かった気がする。


 ウリカはいかにも面倒くさそうに玄関へと向かった。


「なんでユリウスが迎えに来るの?」


 従兄と顔を合わせた直後、彼女の開口一番がそれである。


 しかしユリウスに気にした様子はない。

 これが日常と言わんばかりの空気感だった。


「ステファン(きょう)に頼まれたんだよ。それよりお前、今日が見合いの日だって忘れてただろ」

「え? 見合い……?」


 ウリカは「なんの話?」と言いたげに、ゆっくりと首を傾けていく。


 やがてぴたりと動きが止まり――


「あっ!」


 目を見開いた少女の顔がさーっと青ざめる。


「まさかとは思うが、見合いがあるのをころりと忘れてここに来た、とかいうオチなのか?」


 まさかそんなことあるわけが……と思うのだが、ユリウスは神妙に頷いた。従妹に対して、呆れというよりは(あわ)れみに近い表情を浮かべているのが、なんだか印象的だった。


「どうしよう……ウィリアムさんのことを聞いたら、どうしても会ってみたくなって、お見合いのことなんてすっかり……あれ? でも昨日ウィリアムさんのことを教えてくれたのは、お父様だったんだけど……?」


 ウリカがきょとんと首を傾げ、ユリウスはそっと視線を外す。


 何があったのかは知らないが、シルヴァーベルヒ家の腹黒当主が何かしらの画策をしたらしい、ということだけは、ウィリアムにも分かった。


 ユリウスが小さく吐息したあと、従妹に呆れ顔を向けた。


「もう少し落ち着いて行動したほうがいいんじゃないか?」

「余計なお世話よ」


 ウリカ嬢がふんっとそっぽを向いて頬を膨らませる。

 少女の言動が幼くなった印象を受けるが、おそらくこれが素なのだろう。


 貴族社会は年若い頃から大人であることを求められる面倒な世界だ。普段外向きに見せている姿は、貴族社会で生きていくための虚勢にすぎない。

 その仮面を目の前の青年が()ぎとっている。


 そんな二人の様子をウィリアムは興味深く眺めていた。


「そんなことより、私の質問に微妙に答えていないわ!」


 どうやら気をとり直したらしいウリカが、従兄に威勢よく文句をぶつける。

 都合の悪い事実は無視することに決めたようだ。


「お父様に頼まれたからって、どうしてユリウスが来るの? ジークにでも任せちゃえば済む話じゃない」

「お前は弟を何だと思ってるんだ。振り回されるジークが可哀想だろう」

「ユリウスはいっつもジークに甘い!」

「話がズレてる」


 またしても不毛な言い争いに発展しそうだったから、ウィリアムは思わず横槍を入れてしまった。


「そう! 話がズレてる」


 なんと。ズラした本人が乗ってきた。


「お前が余計なことを言うからだろう」


 疲れた表情で吐息したユリウスは、これ以上こじれないようにと詳細を説明する。


「わざわざ俺が来たのは、母上がウーリに会いたがっているからだ。そのためにステファン(きょう)から許可をもらってきたんだ」


「えっ?」と、ウリカが跳ねるように声を上げた。瞬きをした碧い瞳に輝きが宿る。


「カタリーナ様が戻ってきてるの?」


 食いつくように従兄に詰め寄った少女はどうやら、従兄よりもその母親とのほうが良好な仲であるらしい。


「そういうことなら早く行……」


 意気揚々と玄関を出ようとしたウリカは、はっと何かに気づいて動きを止めた。

 ぎぎぎ、という音でも聞こえてきそうなぎこちなさで首を回し、ウィリアムと視線を合わせる。

 どうやら一瞬だけ状況を忘れかけたらしい。


 なるほど。落ち着きが足りない。


「あの……」


 コントでも見ている気分になっていると、ウリカが遠慮がちな声を上げた。


「迷惑をかけているのは分かってます。まだ、ウィリアムさんに言われた『反論』の答えも分かりません……でも、どうしても諦めたくなくて……」


 ウリカとてかなり強引に家に上がり込んだ自覚はある。そのせいで次は入れてもらえないかもしれない。そう思うのは当然だ。

 さきほどまでの元気はどこに行ってしまったのか。少女は沈んだ表情で眉を下げる。


 変わり者令嬢には違いないが、常識知らずというわけでもないらしい。

 今朝がた剣で脅された経緯を思いだして、ウィリアムは皮肉げに口の()をつり上げる。

 つまり、それだけ本気で弟子入りを申し出ているということか……と理解した。


 厄介だな、と思いながら視線をさ迷わせたとき、ユリウスと目が合った。


 彼は困り顔で言った。


「こんなしょげ返った状態で返却されても困るんだが」

「いや……俺に言われても……」


 ずい分と無責任にものを言ってくれるな、と思ったが、ユリウスの言い分には続きがあった。


「突飛な行動は多いが、よほどのことがない限り、他人に迷惑をかけるようなことはしないはずだ。少し前向きに考えてやってもらえないだろうか」


 幼馴染みをフォローしよう、という感じではなく、ただ端的に事実を述べているだけ。そんな雰囲気だ。それだけに妙な説得力があった。


 ウィリアムは諦めたように嘆息する。


「宿題にしておこう」

「え?」


 ウリカが不意をつかれたように、きょとんと目を瞬いた。


「『反論』が見つかったら、また来なさい。その答えが納得のいくものだったら、君の話もちゃんと聞こう」


(ある種の降参宣言だな……)


 そう自覚しながらも、やはりこの少女に対して冷淡にはなりきれなかった。


 ウリカは一瞬で明るい表情をとり戻した。


「はい! 必ず答えを見つけてみせます」


 目を輝かせて答える少女は、華やかな笑顔を満面に貼りつけた。

 ずいぶんと豊かな表情筋だ。特技は百面相だろうか。


 早まったかもしれない……。


 なんだか騙された気分のウィリアムをよそに、青年と少女は満足して帰っていった。


(なんか、疲れたな……)


 そう思うと同時に、空腹を思いだしたウィリアムは、力のない足どりで台所(キッチン)に移動した。そこで、朝食の食器がきれいに片付けられているのを発見することになる。

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