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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第二章 街外れの錬金術師
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Ⅳ.女主人は強し①


 ベルツ邸に向かう馬車の中で、ウリカは少し緊張していた。

 思えばカタリーナ夫人に会うのは久しぶりだ。

 ただ久しぶりなだけなら堅くなることもないのだが……。

 彼女が夫のエーリッヒを亡くしてからはや一月(ひとつき)半――未亡人となった彼女に会うのは、今日が初めてなのである。

 もし夫人がふさぎ込んでいたら、どう(なぐさ)めればいいか、ウリカには分からない。

「心配しなくていい」

 向かいに座るユリウスに声をかけられて視線を上げる。

 人の心情を見透かすような琥珀(こはく)色の双眸(そうぼう)が、静かに従妹を見つめていた。

 いつもは憎たらしくて腹立たしいその瞳に、今はなぜだか慰められる気がした。

「母上はそれほど弱くない。いつも通り、何も考えずに甘えればいい。それで喜ぶはずだ」

 相変わらず面白味のない淡々とした口調だな――そう思いながらも、ウリカの唇が柔らかな弧を描く。

「うん。ありがとう」

 いつも通りのユリウスの態度が、ウリカの気持ちを平常(フラット)に戻してくれる。

 こんなふうに、さりげなくフォローできる従兄に、敵わないと思う瞬間である。

 ものすごく(しゃく)なことではあるけれど……。



「おかえりなさいませ、旦那様」

 ベルツ邸の屋敷に入ると、若い執事に出迎えられた。

 前伯爵が亡くなったときに代替わりしたばかりで、年齢はユリウスよりも二つ上なだけだったと記憶している。

 ユリウスに続いて屋敷に入ったウリカは、淡い水色の裾をつまみ上げて若い執事に会釈した。

「ごきげんよう、ハインリヒ」

 愛らしくにこりと微笑む子爵令嬢だったが、スカートの裾と洒落た靴が泥はねで無惨に汚れている。お転婆な少女が淑女のふりをしているようにしか見えないのが残念なところであった。

「ようこそお越しくださいました、ウリカ様」

 若い執事はちらりとも視線を動かさないまま応対する。

(見て見ぬふりが上手いわね)

 と、ウリカは変なところで感心した。

 あえて気づかないふりをしても、泥はねに一瞬くらいは目線をやってしまうものだが、この執事はひと欠片の隙も見せなかった。

 ベルツ家の執事ハインリヒ・ジークヴァルトは前任の執事の養子だと聞いている。

 長身のユリウスよりもさらに背が高く、ウリカが頑張って首を傾けても、なかなか目を合わせられない相手だ。

「大奥様が客間(サロン)でお待ちしております」

 こちらへ――と促されて、ウリカは執事についていく。

 ユリウスは興味がないらしく、さっさと屋敷の二階へと行ってしまった。

 書類仕事が溜まっているとぼやいていたから、書斎(ライブラリー)にでも向かったのだろう。

 客間(サロン)に通されると、ユリウスの母親であるカタリーナ前伯爵夫人がウリカの訪問を待ちわびていた。

 夫人はウリカの母クリスティーネのような絶世の美女ではなかったが、凛とした雰囲気が彼女の容姿を際立たせ、決して見劣りはしていない。

 きれいな蜂蜜(はちみつ)色の髪の毛は上品なシニヨンにしてあり、落ち着いた色合いの髪飾りでさりげなく(いろど)られている。これぞ大人の女性という風情だ。

「いらっしゃい、ウーリ。久しぶりね」

 ウリカを見た瞬間、暗赤色(あんせきしょく)の目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔にウリカの胸はじんわりと温かくなる。

「お元気そうで何よりです、カタリーナ様。お会いできて嬉しいです」

 無邪気に夫人の胸に飛び込んで抱きつくと、彼女は優しく抱きとめてくれた。

 前回最後に会ったとき、彼女はエーリッヒの看病で憔悴(しょうすい)しきっていた。その姿が目に焼き付いていたから心配していたのだが、今はだいぶ顔色も良さそうでちょっと安心する。

 体を離したカタリーナが、ウリカの頬を優しくなでる。

「伯母様と呼びなさい、と前にも言ったでしょう。血は繋がっていなくとも、私はいつでもあなたを本当の姪のように思っていてよ」

「はい、伯母様。ありがとうございます」

 カタリーナ夫人は、ウリカが突飛な行動を起こしても、動じることなく見守ってくれる貴重な存在だ。

 なにせ姪が剣を振りまわし始めたのを見ても、「あらあら、ウーリはお転婆(てんば)さんね」という一言で済ませた人なのである。

 偏見なくウリカ自身を見て好意を寄せてくれる。安心して甘えさせてくれる伯母が、ウリカは大好きだった。

「お茶の準備ができております」

 執事に促されて、ウリカとカタリーナが向かい合わせてソファーに座ると、二人分の紅茶とケーキがテーブルに並べられた。ケーキからオレンジの(かぐわ)しい香りが漂ってくる。

 昼食をとり損ねていたウリカにとっては恵みのおやつであった。

「ありがとう、ハインリヒ」

 満面の笑顔で礼を言うと、若い執事はちょっと首を傾げてから、気をとり直すように一礼した。

 令嬢が使用人に礼を言う姿には、さすがに意表をつかれたらしい。笑顔全開だったのも理由のひとつだったかもしれない。

 しまった。ベルツ家ではつい気を抜いてしまうな、と執事の反応を見たウリカが反省してペチペチと自分の頬をはたく。

 ハインリヒは何事もなかったような顔で部屋を出ていった。

 ひっさつ見て見ぬふり――ありがたいスキルである。

 ウリカはいったん落ち着こうと紅茶に口をつけた。

 適度な渋さとコク深い味わいが舌の上を滑っていき、特徴的な芳香が鼻腔をくすぐる。

 世界三大銘茶とも言われるこの紅茶は、今がちょうどクオリティシーズンだ。その贅沢な味わいがケーキの甘さを程よく引き立たせてくれる。

 あまりの美味しさに感動して、ウリカはお行儀悪くおやつを頬張った。

「気に入ってくれて良かったわ」と笑いながら姪を見守るカタリーナ夫人は、紅茶を飲んで満足げに頬を緩めてから、ついっとケーキの皿をウリカのほうに移動させた。

「お腹が空いているのなら、私の分も食べなさい」

「いいんですか?」

 ウリカが目を輝かせる。

「もちろん」とカタリーナは優しく笑う。

「今日はお昼が遅かったのよ。今これを食べたら夕食が入らなくなってしまうわ。だから、ウーリが代わりに食べてちょうだい」

 言ってパチリと片目をつぶる。

 伯母の気遣いがウリカには素直に嬉しかった。

「ありがとうございます」

 ありがたくケーキを受けとり、空腹の胃袋におやつを落としていく。

 嬉しそうにケーキと紅茶を楽しむ姪の姿を、カタリーナ夫人は楽しそうにニコニコと見守っていた。

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