Ⅲ.錬金術師の素質①
王都ドルトハイムはミッテルラント大陸の中央に位置している。その北には皇城がそびえ立ち、南には階級を持たない人々が暮らす市民街や畑などが広がっている。
市民街の東端に茂る雑木林の奥に、ウィリアムの工房はあった。
めったに人が立ち入らず、ひとり静かに落ち着いて研究にいそしめる場所。ウィリアムにとっては聖域ともいえる場所に、今は一人の客人がいた。
こんな街の外れまで、身ひとつ(立派な長剣付き)でやってきた変わり者令嬢ウリカである。
とりあえず家に入れたのはいいが、まず真っ先に案内することになったのは食堂だった。お茶でも淹れようかと思った瞬間、彼女の胃袋が空腹を訴えて鳴いたからである。
「夜明けとともに家を抜けだしてきたから朝食を食べてなくて」
などと、特に恥じ入るでもなく言っていた気がするが、深入りしたくなかったから、詳細は聞いていない。
それはともかく、ウィリアム自身も「そういや朝食がまだだったな」というのを思いだしたため、丁度いいか、と二人分の食事を用意することにしたのだ。
スクランブルエッグとウインナーを焼いて、スライスしたチーズとトマトを添える。それを皿二つ分と、昨夜の残り物のスープを温め直してテーブルに運ぶ。
さらに向かい合わせて座る二人の中央にパンの入ったかごを置き、簡易朝食のでき上がりだ。
特に何を言うでもなく席に着いて食べ始めると、少女もそれに倣った。
食事中に弟子入りの主張や錬金術への質問が飛んでこないか、という懸念はあったが、幸いにも食事の間はおとなしかった。
押しかけてきた上に食事までねだることになって、さすがに遠慮を感じたのかもしれない。
先に食べ終わったウィリアムは、これ幸いにと、食後の片付けもそこそこに食堂を出て、一人で工房に戻った。
部屋に入ると、研究ノートといくつもの資料が散乱している光景が目に入る。
(そういえば考えが煮詰まって悩んでいた最中だったっけ……)
嫌な現実を思いだしてしまって、ちょっとだけうんざりする。
ウィリアムは散乱するそれらを一箇所にまとめて、手近な本棚に押し込めた。
研究ノートのことはひとまず置いておくことにして、必要な調合を今のうちにやってしまおうと思ったのだ。
工房は、本来なら居間だった部屋である。三〇平米ほどの広さがあり、陽当たりが良い。
飾り気がない――というよりは、飾る気のない室内。机や椅子は一切なく、代わりに作業台や多数の棚が置かれている。
キャスター付きの作業台を部屋の中心に移動させて、その周囲にこれから調合で使う機材や材料を運ぶ。
ひと通りの準備を済ませると、さっそく作業を開始した。
食事を終えた少女が工房に入ってきたのは、予定の八割ほどまで調合を終えたころだった。
そこからである。ウィリアムにとって苦悩の時間が始まったのは……。
工房に入ってすぐ、ウリカは目を輝かせた。
普段ほとんど目にする機会のないものが、この部屋にはあふれているのだろう。彼女の気持ちは分からないでもない。
そわそわと工房をうろつき始めた少女が、好奇心に駆られて質問を飛ばしてくるまでにそれほど時間はかからなかった。
「ウィリアムさん、これは何ですか?」
「それは天秤。材料やアイテムを正確に量るための道具」
「これは?」
「それはすり鉢。固形の物を粉状にするために使うものだ」
「こちらのものは?」
「それは元素測定剤。アイテムが含有する元素の属性と濃度数値を測定するときに使う。元素測定器とセットで使うものだ」
「元素測定器?」
「そっちの棚に置いてある黒い秤のことだ」
「へえ~……それじゃ、これは?」
「……いい加減にしてくれ。さっきから調合がさっぱり進まない」
ウリカは次から次へと未知の道具やアイテムを発見するらしい。いつまでたっても質問が止まらない。
「それは何ですか?」
と、今度はウィリアムの手元を覗き込みながら尋ねてくる。鮮やかに色づいた丸い球がそこにはあった。
「ああ……これは元素玉だ。錬金術では必須の材料だよ。これに込められてる魔力が元素の還元・分離を促して、新しいアイテムとして構築し直す……」
途中まで真剣に説明しかけて、ふと我に返る。
「君、いつまでいるつもりなんだ?」
聞かれると思わず答えてしまうのは悪い癖だ。自分自身の知識欲が旺盛なせいか、勉強熱心に聞かれるとつい応じてしまう。
「弟子にしてもらえるまで、帰るつもりはありません」
「言ったろう。君には向いていないって」
「どうしてですか?」
不服そうな表情で少女は正座する。妙なところで行儀がいいな、と変な感想を抱いてしまった。
覚悟していたことではあるが、やはりお茶を出しただけでは帰ってくれないらしい。面倒なことだ。
ひとつ大げさに息を吐きだして、ウィリアムは少女を見下ろした。
「君は文武に秀でているらしいな。今朝見せられた剣もそうだし、学校でも、理解が早いと評判だと聞いた」
「学校のことに関しては、もともと家にある本で、ある程度の基礎は身についているので、特に褒められるようなことではないですけど……あ、でも、他の子に教えるのが上手だって言ってもらえたことはあります」
嬉しそうに答える子爵令嬢に、ウィリアムは器用に片眉だけ跳ねあげて物問いたげな視線を向ける。
しかし特には言及せず、話を続けた。
「君は大抵のことは器用にこなせてしまう。そして好奇心が強い。それ自体は悪いことじゃないが、何をやっても適度にこなせてしまうから、興味が離れるのも早い」
ずばりと事実を言い当てられて、ウリカは言葉に詰まる。
ウィリアムはそのまま畳みかけるように追い返す口実を少女に突きつけた。
「俺は中途半端な興味だけで、続けられもしない錬金術に手を出してもらいたくはない」
「でも私は、好奇心だけで錬金術を学びたいと思っているわけじゃないです」
「問題はそれだけじゃない」
とっさに反論した少女の主張をウィリアムは即座に遮った。
言葉の続きを聞きたくなかったのだ。
「錬金術を学ぶにあたって、才能や知識は不可欠なものだ。研究を続けていくためには好奇心もないと困る。でも、それ以上に大切な素質がある」
ウリカは不満げに眉を逆立て、挑むような碧眼を錬金術師へと向ける。
「私にはそれが決定的に欠けていると、ウィリアムさんは考えているんですね」
やはり彼女の思考力は鈍くない。
ならば、かえって好都合だ。
「錬金術の研究を続けていく上で最も重要なもの――それは、根気だ」
ウリカがぎくりとした様子で目を見開く。
何を指摘されるか、予想がついたのだろう。話が早くて助かる。
「錬金術で新しい物を創るというのは、実験と失敗の繰り返しだ。失敗から多くのことを学びとれるのが錬金術。つまりそれだけ失敗する覚悟が必要になる。だから、根気がないと続かない。君のようにすぐに興味が他へ移ってしまう人間に、錬金術師の道が向いているとは思えない」
ウィリアムの言葉には実は矛盾がある。だからこれは詭弁だ。
だがそれを見破れない人間であれば、やはり錬金術を学ぶなど夢のまた夢だ。ここで追い返されたとしても、文句を言う資格もない。
「これに正しく反論して俺を納得させられない限り、錬金術を教えてやることはできない」
言いたいことだけ言って、ウィリアムは調合作業に戻る。
しかし、
(少し甘かったかな……)
わざわざヒントまでくれてやる必要はなかったのに、と心の中で苦虫を噛み潰した。
余計な希望を持たせてどうする――そうは思うのだが……この少女に対して、どうしても冷淡になりきれない感情があった。
ウリカは黙り込んで、何かを考え始める。碧い瞳は静かに光を湛えていた。
そのまま場は静かになる。
ウィリアムは少女を追いだすことはしなかった。
ただ、その存在を完全に無視するように、以降は作業に没頭したのである。