Ⅱ.貴族たちの噂話①
シルヴァーベルヒ邸の一室。
屋敷の一階にある陽が当たる客間で、若き伯爵ユリウス・フォン・ベルツは沈んだ表情を浮かべる。
義理の叔父である子爵からの忠告を受け、反省の念にかられたからだ。
忠告した当人も、過去の自責を思いだしたのか、視線を落として俯いていた。
ステファンとユリウスがともに沈黙し、数秒の静寂が客間を支配する。
「驚きました」
ぽつりとした呟きでそれを破ったのは、呆然とした表情のジークベルトだった。
直後に緑の瞳をすっと半眼にして父親を見る。
「父上にエーリッヒ様以外の友人がいたんですね」
「横合いから微妙に傷つく茶々を入れないでもらえるかな、ジーク」
「先に話の腰を折ったのは父上でしょう。ユリウス兄さんと姉上がどうのとかいう非現実的な噂話と、今回の縁談がどう繋がるのか、早く説明してください。時間がもったいないです」
息子にジト目で責められたステファンは、両手を上げて降参のポーズをとる。
「悪かったよ、話を元に戻そう」
子爵の顔には皮肉げな笑みが戻っていた。
紅茶を一口味わって気分を改めたステファンが、義理の甥へと視線を戻す。
「ユリウスは今、一番の出世株として、多くの貴族たちから注目を浴びている。当然そこには多種多様な感情も集まる。嫉妬、羨望……それに、打算」
打算――それこそがこの話の焦点なのだろう。
「打算で動く貴族たちには、ユリウスと繋がりを持ちたがる者も多いだろう。手っとり早いのは婚姻を結ぶことだ。ユリウスはこれまでに結婚の打診をいくつ受けた?」
ユリウスは言葉に詰まる。
正直、多すぎて数まで覚えていないからだ。
「数多あるそれを、君はすべて無視してきた」
これには反論の余地がない。
これまでに申し込まれた見合い話をすべて黙殺してきたのは事実だ。
だって顔も知らない娘を妻にどうかと言われたところで、興味の持ちようがないではないか。
それに、貴族社会の常道とはいえ、娘を政略の道具としか思わない輩に、いい印象は持てない。
男性優位の貴族社会。爵位にかかわらず、婚姻における基本的な選択権は男のほうにある。それをいいことに、ユリウスは徹底した無関心を決め込んでいた。
その先の結果にまでは考えが回らなかった。
「誰にもなびかないユリウスの姿は、打算で動く貴族たちにとって理解し難いものだ。君が実は恋愛感情に疎いだけの朴念仁なのだと知らない彼らは考える」
「父上、言い方。もっとオブラートに包んでください」
ステファンの言い草にジークベルトが突っ込みを入れる。フォローのつもりだったのだろうが、内容には一切言及せず、言い方に対してだけ物申す素直さが、微妙にユリウスの心を抉っていた。
ステファンは碧眼を細めて意地悪く笑っただけだった。
「縁談を頑なに断り続けるということは、一途に想う相手がいるに違いない。そしてベルツ卿が親しくしている年頃の令嬢で思い当たるのは、シルヴァーベルヒ子爵令嬢くらいのものだ。そうであれば却って都合がいい、ということになる」
「ああ、なるほど」
納得の声を上げたのはジークベルトだった。
「出世欲の強い有力貴族にとっては、手に入らない強力な手札が他の上級貴族のものになるのは困るってことだね。だからその想い人が姉上だったら都合がいい」
ジークベルトの理解が早いのは、考え方がステファンと似ているからだろう。それを言うと本人は嫌がるが、やはりステファンの息子だなと実感する瞬間である。
ともあれ、ユリウスにも子爵が言わんとしていることが分かった。
「つまり、俺との婚姻によって『自分以外の貴族が余計な力をつけるのは避けたい』と考える貴族が多数いる、と」
「ついでに言えば、有力貴族と繋がることで君の権力が必要以上に肥大化するのも防ぎたい」
「ユリウス兄さんが、姉上――つまり何の権力も持たない子爵家の令嬢としか婚姻を結ぶ気がないのだとしたら、まさに一石二鳥というわけですね」
なるほど。ここまでは理解できた。
しかし納得できない部分もまだ残っている。
「でも『姉上がユリウス兄さんの想い人だ』なんて、憶測にすぎないわけですよね。いくらそうであったほうが都合がいいんだとしても、現実問題として、事実を無視することはできませんよ」
同じ疑問を抱いたジークベルトが、そう代弁してくれた。
至極もっともな問いかけのはずだが、ステファンは「簡単なことだよ」と事もなげに答える。
「彼らにとって、事実であるかどうかは、大した問題じゃない。それが事実だと、信じ込める材料さえあればいいんだよ」