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たかが子爵家  作者: 鈴原みこと
第一章 シルヴァーベルヒ
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Ⅳ.ステファンの思惑①


 役目を終えた少年と少女は子爵令嬢ウリカの部屋に戻ってきた。

 部屋の扉を閉めた瞬間、どちらからともなくため息がもれる。

「あれで良かったのでしょうか?」

 どこか複雑そうな表情を浮かべながら、少女が自分の頭髪を引っ張る。ずるりと金色の髪の毛が()がれ落ちて、その下から彼女本来の褐色の髪が現れた。

 子爵令嬢の代役をこなしたハイジは、ウリカの一つ年上で十六歳。知的で落ち着いた雰囲気を持っており、身長はウリカより三、四センチほど高い。

 ()()()()()()()()、クライルスハイム伯爵はウリカと会ったことがなく、容姿的特徴を噂で知っていただけらしい。だから(だま)せたようなものだ。

「お疲れさま、ハイジ。あの対応で間違ってなかったと思うよ」

 答えたのは子爵家の嫡男であるジークベルト・フォン・シルヴァーベルヒだ。幼い妹と同じく赤銅色の頭髪と緑の瞳を持っている。

 まだ十三歳で成人前だが、跡継ぎとしての自覚を持ったしっかり者である。

 年齢に似合わず理性的で頭も回るため、屋敷内での評判が良く、次期当主として大いに期待されている少年だ。

 しかし本人としては、父親に子供扱いされているうちは素直に喜んでもいられない、という心境のようだった。

「坊っちゃまに太鼓判(たいこばん)を押していただけるのなら安心ですね」

「ジークだよ、ハイジ」

 ジークベルトはすかさず呼び方を訂正する。

 名前で呼んでほしい相手に坊っちゃま呼ばわりされているのが、素直に喜べない一番の理由かもしれない。

「無能を(よそお)っていたところを見ると、父上はクライルスハイム伯の人柄を信用していないみたいだね。事前に伯爵のことを調べてもいたみたいだし」

「そうですね……」

 考えに(ふけ)るように口元に手を当てて、ハイジはゆっくりと歩く。ジークベルトは扉に背を預けたまま、その姿をなんとなく目で追った。

「ハイジから見て、伯爵はどんな印象だった?」

「打算的な人だと思いました」

 簡潔(シンプル)だが明瞭な回答を口にして、ハイジはぴたりと足を止める。そこにはベッドがあり、ベッドの上にはメイド服が置かれていた。

「ウソ臭い笑顔に、値踏みするような視線。見ていて気分が悪くなります」

 辛辣(しんらつ)だが、ジークベルトとしても同意見だ。

 彼女の人を見る目に狂いはない。ステファンがハイジを高く評価するところでもある。

 しかし、今回わざわざハイジを代役に立てた理由は、それだけではないはずだ。

 ジークベルトは視線を床に落として考え込む。

 ステファンが伯爵に対して最初から胡散臭(うさんくさ)いものを感じていたのは確かだろう。そうであれば、いくつか不自然に見えた部分にも説明がつく。

 だんだんと父の真意が分かってきた。

 ふと視線を上げると、ハイジがガウンと寝間着を脱ぎ捨てて肌着姿になっていた。白く滑らかな肌が()きだしになっている。

「何してるの、ハイジ!?」

「着替えようと思いまして」

 慌てて後ろを向くジークベルトとは真逆に、少女の口調は何気ない。

「着替えるなら僕は出てくよ」

「いえ、そこにいてください。すぐ済みますので」

 さらりと言われて、少年は身動きを封じられてしまった。

 振り向くことも出ていくこともできないなか、衣擦(きぬず)れの音だけが聞こえてくる。妄想が(はかど)るから早く終わってほしい。

 ハイジのこうした何気ない態度や行動は、いつもジークベルトを悩ませる。

 彼女は恥じらいを知らない女性ではない。人目のあるところで軽率に着替えを始めるなんて、通常なら考えられない行為だ。なのにジークベルトの前では驚くほどに無防備だった。

 その理由はただひとつ――

(相変わらず、弟扱いしかされてない……)

 悲しいため息が少年の口からこぼれ落ちる。

 ハイジはとある事情で、幼少からこの屋敷に暮らしていた。

 ジークベルトが一歳にもならない頃から一緒にいたのだ。姉弟(きょうだい)のような意識が芽生えるのは仕方がない。

 それでもこうまで顕著(けんちょ)に一方通行を思い知らされるのは、やはりきついものがある。

(せめて身長だけでも越えられればなぁ……)

 残念なことにそれも、ほんのわずかながら及んでいないのだ。しかも彼女はまだ伸びそうな勢いがあって、ちょっと不安になる。

 なんだか色々がっかりである。

「すみません。お待たせしました」

 ようやく金縛りから解放されて振り向くと、ハイジは見慣れたメイド姿になっていた。

「食事にしましょう。今、用意しますね」

 ハイジが部屋の隅に置いてあったワゴンをテーブルの隣に移動させる。

 クライルスハイム伯爵にお帰りいただくまでは、下手に部屋から出るわけにもいかない。

 不便な話である。早く帰って欲しいものだ。

 あらかじめ部屋に運んであった昼食の材料を手にとって、ハイジは手際よく作業を開始した。

 野菜、卵、ハム、チーズなど適当な大きさに切ってある材料をパンに挟んでいく。スープは温める必要のない冷製スープが用意されていた。

「お待たせしましたジーク様。お召し上がりください」

「ありがとう……けど、ハイジ」

「はい。なんでしょう?」

「ここにいるのは僕たち二人だけだよ」

「はい。そうですね」

 ジークベルトが指摘するも、ハイジはきょとんと首を傾げる。

 伝わらない。聡明なはずの彼女がすこぶる鈍い。つらい……。

「ハイジ、『様』はいらない。それと……敬語禁止」

 強めの語調で詰め寄ると、ハイジは二、三度目を瞬かせてから吹きだすように笑った。

「ごめんなさい。そういう事ね」

 砕けた口調になったのを見て、ほっとする。

(弟扱いすべきところと、そうじゃないところが逆だよ、ハイジ。逆なんだよ……)

 届かない叫びを自覚しながらジークベルトは自嘲気味に笑う。

「じゃあ、食べようか」

「ええ。そうね」

 ジークベルトの言葉を合図に、二人は席に着く。

 ふたり分の皿とスープが並べられた小さな丸テーブル。部屋の中央に置かれたそれは、ウリカが自室でティータイムを楽しむためのものだ。

 ウリカと姉妹のように育ったハイジは、その場に自然となじんで見える。

 逆に、ジークベルトが姉の部屋に立ち入ることは滅多にない。

 そのせいで少し落ち着かない心持ちではあるものの、想い人と二人きりの空間には、不思議な幸福感があった。

 ハイジから皿を受けとり、その上に乗せられたサンドイッチを手で持つと、ジークベルトはそのままかぶりついた。

 絶妙に効かせた塩コショウとランプの灯で(あぶ)ったバターが、野菜やパンの旨味を引きだして、見事な合奏(ハーモニー)を生みだしている。

 シンプルながらも後引く美味しさで、食事の手が止まらなくなる。

「お行儀の悪い」

 そう笑いながら、ハイジも同じようにかぶりついた。

 人目がない場は気楽でいい。

 肩肘張らず自由に振る舞えるのは、貴族にとって貴重な時間だった。

 もちろん堅苦しいマナーも、周囲に侮られないためには必要な武装であると理解している。

 時と場所を(わきま)えてさえいれば、好きなようにしなさい――シルヴァーベルヒ家の教えに従い、子どもたちの思考は柔軟だった。

 ひとまずの面倒事から解放された少年と少女は、リラックスした空気のなかで空腹を満たすためにもくもくと口を動かし始めた。

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