白玉か 何ぞと人の問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
昔、ある所に鬼と人が一緒に暮らしていた。
たった1人の鬼と、大勢の人間。鬼は人間を助け、人間も鬼を助けて仲良く暮らしている。
しかしある時、その町に生まれた子供や家畜が皆殺しにされてしまう事件が起きた。
誰かが、ぽつりと「鬼がやったんじゃないか?」と零した。
彼らは無責任にも「そうだ」「そうに違いない」と、確証も無いままに言い合った。
彼がそんなことをするはずがない、と言った人間はその町から追いやられ、今や彼の味方をする者はいなくなってしまった。
そして鬼は人々から迫害され、恐れられてしまう。
鬼は傷つき、そして彼らと離れて山の奥にひっそりと閉じこもってしまった。
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その出来事から数十年経った、ある日のことだった。
じめじめとした昼過ぎ。
12、13頃の少女が訪ねてきた。
なんでも道に迷ったらしく、目を腫らしながら泣き続けている。
可哀想に思った鬼は、人の目を盗んで彼女を山の入口まで送り届けた。
「また、貴方の所へ遊びに行ってもいいですか?」
「いいや、来ない方がいい。俺は鬼だから、お父さんやお母さんが心配してしまう。」
そう答えると彼女は鬼を黒い瞳に写して無邪気に笑う。
「じゃあ私たちのことは、2人だけの秘密にしましょう!」
「はぁ...君、俺が怖くないのかい?」
「ええ、もちろんっ!」
「変わった子だな。」
その2日後、また少女は鬼の元を訪れた。
その後も、何回何十回と会う回数を重ねていった2人。
1年後のある日。少女は雨上がりの夕方に訪ねてきた。
「ねぇ、鬼さん。これは、なんですか?もしかして、真珠?」
少女は目を輝かせて尋ねる。
しかしそれは鬼が彼女に見せようと取っておいた特別美しい雨の露だった。
彼は彼女がそれを見たこと無いのか?と疑問に思いながらも「次来る時までに考えておいで」と言った。
「うーん...わかりました。では答えの手がかりを下さい。」
「そうだな...それは、すぐに消えてしまうものだよ。」
帰りまで考え込む彼女の姿はとても愛おしかった。
それから長い月日が経った。しかし一向に少女は来ない。
どうしたのだろうと心配に思っていると、戸口を叩く者がいた。
「貴方が、ここに住む鬼ですか?」
「...あぁ、そうだが。道に迷ったのか?」
初めて会う男。
不審に思わないはずもなく、訝しげにしていると何やら急いでいるようだった。
聞くと、彼女の「従者」だと言う。
「従者...か。」
「はい。『姫』が...最期に貴方を一目見たい、と。」
「...最期?最期ってなんだよ...?」
彼の話によれば、少女は流行病にかかって床に伏しているらしい。
『自分の体のことは、自分がよくわかっています。もう少しで私は...』
それがどういう意味かは言うまでもないだろう。
鬼は、すぐに意を決して彼について行った。
道中、彼は鬼に彼女から聞いていた話をした。
「『あの方はとても優しくて、いつも面白い話を聞かせてくれるのよ』と仰られておりました。」
「そうか...他には何か言っていたか?」
従者は少し言いづらそうにしてから言った。
「えぇ、その...あの方と添い遂げたい、と。」
「...」
「そのために宮殿を抜け出すご準備までされておりました。」
「そこまでしてたのか...言ってくれればいつでも連れ出し...」
はっと口を噤む。今更自身の想いを自覚して顔が赤くなった。
人目を避けながらやっとのことで少女のいる場所へ辿り着く。
離れにいるため人はおらず、すぐに中へ入った。
敷布団で横になっている彼女は、2人を見ると嬉しそうに微笑んだ。
鬼は今にも折れてしまいそうな彼女の手をそっと、壊さぬように握る。
「...来てくれて、ありがとうございます。」
「他でもない、お前の頼みだから...。」
「ふふ、嬉しい...」
鬼は少女の姿に涙をこぼしそうになるが、抑えて笑う。
一言二言交わした後、少女は消え入りそうな声で
「...死した後でも...貴方をお慕いしています...」
と言った。
鬼もそれに答えようと「俺も、お前を愛し...」
そう口にした所で、彼女の瞳から光が消え、重く瞼が閉ざされた。
「...て、いる...っ」
重力に従おうとする手を彼は必死に取り、届かない言葉を続ける
鬼はぐっと唇を噛み締めて、しばらく少女の顔を見つめる。
「...俺の、言葉は...彼女に伝わった、だろうか。」
「えぇ...伝わったと思います。だって、ほら...」
こんなに、幸せそうな顔をしている。
そう伝えられた鬼は、彼女の小さな亡骸を腕に抱えた。
「...愛しているならば、また俺の元へ訪ねてこい。あの時の答えを...お前に言わせてくれ...」
あぁ、あの時...「これは、なんですか?」と聞かれた時。
「これは露だよ」と答えてそのまま消えてしまえば良かった。
まだお前の名前も知らないのに。
愛しているよ、お前を愛している...そう続けるうちに鬼の瞼に雨が溢れて、まだ温かい少女の頬を濡らした。




