007
この塀は元々、竹垣だったという。石塀になったのはつい最近になってからだそうだ。そしてこれは、祟りを避けるべく工事したものであると。
しかし皮肉にも功を奏さず、被害者が出てしまった。しかもここの主人がその塀に埋まって死ぬ、という形で。祟りを避けるどころか、むしろ逆効果だったという最悪の結果になってしまった。
それにこの塀には、沙良も襲われそうになっている。日が落ち始めていたとき、塀が這いより、目を光らせ、沙良を呑み込もうとでもするかのようだった。あれは見間違いなどではないと沙良は確信している。
「……人を襲う壁?」
呟いて、沙良はブルーシートの方を見る。
消えてしまったという変死体は、半身が壁に埋まって死んでいた。
沙良はこの壁に、食べられてしまうかのような襲われ方をした。
「まさかね」
声に出して自分の考えを疑うものの、やはり気になって仕方がない。
半身が壁に埋まっている、と思っていたが、この塀の厚みなら当然屋敷側に身体の一部が飛び出していないとおかしい。そこまで考えて、ふと思い出したことがある。
死体のことを一夏と話したとき、一夏は、正確には埋まっているのではない、と言っていた。
ここへやってきた川越警部補も、壁に埋まっている、とは言っていなかった。壁から死体が生えている、と言い、壁が人を食べたみたいだ、とまで言っていた。
二人の言葉をまとめると、おそらく、死体は塀に埋まっているのではなく、半身が壁に張り付いているのだ。
そうなってくると余計に殺し方が人間業ではない。この屋敷の主人を縦に一刀両断して殺害し、その半身だけを壁にぺったりとくっつけて置いておくのだ。なぜ壁にくっつけて置いておくか、という理由については、目立たせるためとか驚かせるためといったことが考えられる。でもまず人間を縦に真っ二つにするのが難しい上に、塀に張り付かせておくというのは不可能ではないだろうか。
そう、人間には。
しかしこれが、人間以外の仕業だとしたらどうだろう。
「馬鹿馬鹿しい」
自分で考えておきながら、信じられなくて笑ってしまった。先ほど東光寺家で話していたときの泰明の心境は、こんな感じだったかもしれない。
それならば、壁に人間そっくりな人形が埋め込まれて死体に見せかけられた悪戯でした、と言われた方がまだましだろう。もちろんこれなら警察はすぐに気付くわけだが。
けれど、と沙良は思う。
自分は実際に襲われかけた。
この、塀に。
どうしても信じられないが、あれは夢や幻ではない。
確かめるだけ。何もなければそれでいい。それに越したことはない。
沙良の足は屋敷の横手の路地へと向いていた。
塀が襲ってきた場所へ、再び足を踏み入れた。
路地には電灯があるものの、かなり暗かった。靄のような闇が照明を覆い、明かりを掻き消そうとしているかのように。夜闇が支配する隔絶された世界に迷い込んだかのように。
もう人の時間は終わっている。ここからは夜を往く者達の時間なのだと言わんばかりの暗闇だった。
肌にねっとりと粘り着くような夜の暗さを振り払うように、沙良は進む。塀に襲われそうになった現場に、立つ。
冷や汗が背筋を伝い、ぞくりとした。また襲われたらどうしよう、と思うと怯みそうになる。
そんな気持ちをなんとか抑え付けて、真っ暗な中に青白く浮かぶ屋敷の塀を観察した。
「特に何もない?」
怖いのでわざと声を出す沙良。だけど見た目は普通の壁だ。
やはり思い過ごしだろう。自分が体験したことも何かの間違いだったのだろう。そうであってほしいと思いながら、沙良は塀に触れてみた。
ドクンッ。
「うッ!?」
壁が脈動した。心臓の鼓動のようにドクッと。
壁が動いた。夕方見たときと同じようにぐにゃりと。
急に辺りの温度が下がった気がした。
「やっぱりおかしい……この壁っ」
恐怖に囚われて後ずさりする。でも塀との距離が変わらない。塀から離れられない。足は後ろに下がっているのに、壁はいつまでも沙良の前に立ちはだかっている。塀が沙良を追いかけてきているのだ。
逃げなきゃ。そう思うのに足が動かなくなってしまった。後退しても追いつかれる。全身がそんな絶望感に包まれてうまく行動できないのだ。声まで出なかった。
沙良を嘲笑うかのように、塀に二つの光が灯る。禍々しい赤。自然界の警戒色。ぎらりと光度を増した赤い光は……目だった。
壁に、赤々と輝く不吉な目ができていた。
赤い目はぎろりと沙良を睨み付けている。まるで猛獣が獲物を狙っているみたいに。これから飛びかかろうとするように。食い殺そうとするように。
目の壁が裂ける。ぐばっと大きく、ぽっかりと穴が開く。
今度は、口だ。
沙良など丸ごと呑み込めそうなほどに巨大な口。その上顎には大きな二本の牙が生えていた。牙からはだらだらとよだれのような粘液が滴っている。まさに毒蛇のそれと同じだった。
家の玄関の戸よりも大きいかもしれないその大口が迫ってくる。
身体の自由が利かない。これでは本当に蛇に睨まれた蛙だ。食べられれば死ぬだろう。諦めたくないのに。死にたくないのに。
あり得ないほど大きな蛇の口が目と鼻の先にやってくる。沙良にその毒の牙を突き立てんと肉薄する。
沙良は歯を食い縛る。顔を背ける。蛇の口から吐き出された生ぬるくもおぞましい呼気を横顔に感じながら。
「離れて!!」
そばで男の声がした。沙良の手がその声の方向に引っ張られた。
ばくりッ。沙良が今いた場所で大口が閉じられる音がした。
沙良は間一髪、毒の牙から逃げ延びていた。
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