037
「おいしー!」
二つ目のケーキを食べている沙良は、機嫌もすっかり回復していた。口に運ぶたびに幸せそうに表情を崩して、おいしいを連呼している。
「それで、今日は何があったの?」
「あっ、そうだ!」
泰明の言葉に、沙良はここに来た目的を思い出した。
「今日って、最愛のイケメンなおじさまは来た?」
「……誰のこと?」
泰明はあからさまに顔をしかめて引いていた。
「また主で変なことを考えるなんてっ、どうやら首を飛ばされたいようね!」
麗月が殺気立った目で沙良を睨んだ。
「じょ、冗談だってば……」
麗月の前で禁断の妄想がつい漏れてしまい、沙良は焦った。気を付けないと、麗月なら本当に自分を殺しかねないからだ。
「叔父さんがどうかしたの?」
「うん、そうそう。川越さん、今日こっちに来た?」
「来てないけど、叔父さんに用があるの?」
「そうじゃなくって。事件の依頼とかさ、川越さんから受けてるんでしょ?」
この間の、ヨロヅセナノが絡んだ事件では、刑事である川越が泰明に依頼をしていた。警察では対応できない妖魔が起こした事件は、泰明に頼んで解決してもらうという仕組みがあるのだと、沙良は考えていた。そしてそれは間違いではなかった。
「確かに依頼のほとんどは叔父さんからだけど」
「じゃあ川越さん、今日中に来ると思う」
沙良は声色に真剣さを乗せてそう言った。
泰明の顔から笑みが一瞬だけ消える。
そのとき、店のドアが開く音がした。
「おーい、いるかい?」
川越の声だった。
「邪魔するぜ」
川越は勝手知ったるとばかりに上がり込む。相変わらずスーツでかっちりときめたイケメンオヤジは、片付け中の千鶴に向かって手を挙げた。
「おお、これはこれは。獅童署長の娘さんがまた来てるとはねぇ。泰明よぉ、なかなかやるじゃねぇか」
「いえいえ、お二人の関係に比べれば!」
川越が泰明の肩を叩いていることに興奮した沙良がしゃしゃり出る。すでにもうよだれを垂らしていた。
「俺達の関係だってよぉ、泰明」
川越が無理矢理、泰明の肩を抱き寄せるように組んだ。
「きゃー!?」
沙良がついに黄色い声を上げ、お祈りをするようなポーズで一人、悶え始める。その顔は、もういつ死んでもいいと言わんばかりの幸せそうなものだった。
「ま、親戚としても仕事のパートナーとしてもうまくやってるよ。この泰明は信頼できる奴だ」
「信頼から愛情に変わっていったんですね。でも二人は年の差もあるし、何より叔父と甥の関係。ほんとはだめだとお互いにわかってる。でもその障害が逆に二人の心を燃え上がらせるんですね、わかります! このまま泊まっていったりするんですか!?」
「仕事が忙しくてよぉ、そうそう泊まってもいけねぇんだ」
「多忙なのにわざわざ会いに来る。やっぱり深い愛情があるからなんですね! 一緒にいられない時間が積もりに積もって、高まった思いで次会ったときはお泊まりになるわけですね!」
「んあ? まあ泊まることはたまにあるなぁ」
「たまのお泊まりだからこそ! 積もった思いが欲望に変わって、お互いに激しく求め合う! キャー!! 笑顔だけが取り柄の冴えない男の子とイケメンなおじさまの睦言! ああーっ、大好物です!」
「平八郎っ、この腐れ女を調子づかせないで! こっちまで腐敗しちゃうじゃない!」
「はは、獅童署長の娘さんは二人ともおもしれぇからついな」
やりとりを見ていた泰明は深く溜め息を吐いた。
「獅童さん、叔父さんが来たってことは、そういう事件があったってことだね?」
「え、そう。燃え上がる二人は事件……て、はッ!?」
鼻息が荒かった沙良がやっと正気に返る。だらしなくこぼしていたよだれを慌てて拭った。
「そうそう、川越さんが東光寺君に依頼するような事件があったんだよ!」
「へぇ、さすがだねぇ。情報が早えぇ」
感心した川越がその事件の詳細を話し始めた。
隣町の路上で心臓をくり抜かれた死体が出た、と。
知っていた沙良は頷く。麗月は、ほうとその妖艶な唇を歪める。泰明は顔から笑みを消した。
「他に外傷らしいもんはなくてよぉ。刃物かなんかで腹の辺りからこう胸をばっさりと開かれててな。んで器用に心臓の上部の胸骨をぶち抜いて、中の心臓だけを切り取ってんだ。おそらくはまだ、被害者の息があるうちに、な」
惨いこったぜ、と川越は顔を歪めた。
生きている人間から心臓のみを取り出す。
これだけならば、猟奇殺人かあやしい儀式の類かもしれない。警察だけでも解決は不可能ではないはずだ。しかしやはり、普通では理解できない問題があった。
「胸骨ごとぶち抜く力も相当なもんだが、問題は抜かれた心臓だ。こいつもあり得ねぇくらいの力で圧迫されて潰れてやがった」
「潰れてるのがわかってるってことは、心臓も見つかってるんだね?」
「見つけるも何も死体のそばに捨てられてたのよ。それこそ心臓ってわからねぇくらいぐちゃっと潰されてなぁ」
もし儀式で使うのならば、取り出したものをわざわざ潰してその場に放置などしないだろう。猟奇殺人にしても同様のことが言えよう。たとえば持ち帰ってコレクションにしたり、どこか人目のつくところにわざと置かれている方が、まだ人間の心理が働いていてわかりやすい。
「潰された心臓な、どうやら握り潰された可能性が高いそうだぜ。指の型っぽいもんが残ってんだ。踏ん付けたわけでも道具を使ったわけでもねぇんだと」
凄まじい握力でもって、筋肉の塊の、血でぬるぬると滑る心臓を握り潰す。これだけでも人間業とは思えなかった。
「おかしなことはまだあるぜ」
心臓をくり抜いて潰したにしては、現場に残された血の量が少ない。
川越はそう言った。
「もっと真っ赤に撒き散らされててもおかしくねぇのによぉ」
しかし現場は、本当に人間の胸が捌かれるような殺人が行われたのかと思えるほどの綺麗さだった。
「どこかで殺されてそこに運ばれたわけでもないんだね?」
「目撃者は今んとこなしだが死体遺棄でもねぇ。仏さんはちょっと買い物に出た帰りに殺害されてる」
家族と買い物先の店員の証言があり、時間に矛盾がない。現場に散乱していた店で買ったと思われる品物も、店側のリストと一致していた。それに店と殺害された人物の自宅はほど近く、店から帰るなら現場を必ず通るのだと、川越は説明した。
被害者は買い物帰りに、路上で心臓をえぐり取られて殺された。心臓もその場で握り潰された。
「なのに血が少ねぇ。まるで誰かが血を持ち去ったみてぇにな」
川越は思わせぶりに言って泰明を見た。
泰明もその意味を理解して、なるほどと頷く。
ここで沙良も、そうか、と呟いた。川越の話を聞いて、自分が勘違いしていたことに気が付いたのだ。
路上で誰にも気付かれないくらい素早く人の胸を解体して殺し、心臓だけを取り出して握り潰す。人の仕業とは思えない殺害方法だ。だから沙良は妖魔がやったのだと思い込み、川越から泰明に依頼が来るだろうと思っていた。
しかし、妖魔絡みの事件において重要なのはそこではない。注目すべきは、現場に残されていた血の量が少ない、ということ。血を、誰かが意図的に持ち去ったか、あるいは……
「吸われたんだ」
沙良は無意識に声に出していた。
妖魔は被害者から心臓を抜き取り、大きな口を開け、レモンの果汁でも搾るみたいに心臓を握り潰して、そこから噴き出る血液を飲んだのだろう。
この間関わった事件でも、相手はヨロヅセナノという血を吸う怪物だった。現に沙良自身も吸血されかけたし、泰明に至っては本当に血を吸われていた。
「そうそう、泰明よぉ」
お前の耳に入れておきたいことがあると、川越はいつになく真剣な眼差しを泰明に向けた。
「祓魔局がすでに動いてやがる」
祓魔局という言葉に、泰明の眉がピクリと跳ねた。
「いつもはのろいくせして、どういうわけだか今回はやけに早えぇ。だから仕事頼む前に断っとこうと思ってよ」
この依頼、受けてくれるか。川越はいつもの軽い調子に戻って聞いた。
「祓魔局は面倒だけど、受けるよ。刃物を持った妖魔かもしれないなら、正体も知りたいしね」
「……そうか」
川越が一瞬だけ渋い顔をする。
背を向けて洗い物をしていた千鶴も、肩をピクッと震わせて手を止めていた。
川越と千鶴、二人が妙な反応をしたのは、泰明が発したとある言葉によるものだった。 そしてその泰明は、声色はいつも通りなのに顔はなぜか険しかった。沸々と腹の底から湧いてくる怒りを必死に抑え付け、それでも怒気が漏れ出しているような厳しい顔つきをしているのを、何も知らない沙良は声をかけることもできずに見ているしかなかった。
「んじゃあこの件、頼むわ。くれぐれも気を付けてくれ」
依頼がすむと川越はすぐに帰り支度を始める。
「あら兄さん、もうお帰り?」
片付けを終えた千鶴が兄に靴べらを手渡す。
「ちょっと前に起きた二件のバラバラ殺人で手一杯でよぉ。犯人の目星もつかねぇ、目撃証言もねぇから血眼になって街ん中駆けずり回ってんだ。迷宮入りさせてなるものかってなぁ」
川越の言うバラバラ殺人事件は沙良も一夏について現場に行ったのでよく覚えていた。今日一夏が家に帰ってこられないのもこの捜査で忙しいからだ。
川越が店を出ると、沙良はすぐに動くのかと泰明に尋ねた。
「またついてくる気?」
「聞いてみただけでしょっ」
取り繕うものの、沙良の好奇心が漏れ出ているのは泰明にもバレバレだった。泰明は呆れていた。
「今はやめとく。情報が少なくて動こうにも動けないし」
次の犠牲者が出てしまう可能性もあるが、現状では泰明にはどうすることもできなかった。
泰明の言葉を聞いた沙良も、今日はおとなしく帰ることにした。
「お家に一人じゃ寂しくない? 明日は学校もお休みだし、泊まっていってもいいのよ?」
「ありがとうございます。でも、朝早くに父が帰ってくるので、そのときに家にいないといけないんです」
沙良としても、父親にあまり心配をかけたくはなかった。
「じゃあ泰明、獅童さんを送っていってあげなさい。兄さんの話だと外は物騒みたいだし」
「いえいえそんな、悪いですよ。一人で帰れますから」
「そうよ千鶴、こんな小娘のために主の手を患わせることなんてないだから」
「でも麗月さん、主様はもう出かける準備をしてるわよ?」
千鶴の視線の先では、すでに泰明が靴を履いて待機していた。
「送るよ獅童さん」
「……あ、うん。じゃあ、お願い」
千鶴にすすめられたこともあり、沙良は素直に従うことにした。
「ちょっと、主!? またその小娘のために……!?」
「ほらほら麗月さん、主様が行ってしまうわよ?」
「わ、わかってるわよっ。我も行けばいいんでしょ!?」
千鶴に煽られた麗月は半ばやけくそに吐き捨て、結局沙良についていくことにしたようだ。いつもクールで毒舌家な麗月でも千鶴にはかなわないようである。
それを見ていた沙良は、あの強くて格好いい憧れの姉である一夏が父親にはたじたじな様子を思い出し、不思議な親近感を覚えるのだった。
どうも、Mt.バードです。
冷凍ハンバーグをあっためます。




