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033

 チャイムが鳴ると、泰明と沙良はお弁当を持って屋上へとやってきた。

 教室からここに来る道中、沙良は泰明の身体をずっと凝視していた。あれ? とか、どこだっけ? とか一人でぶつぶつ呟きながら。

「……さっきから何見てるの?」

「ねえ、昨日の傷はどこよ?」

 聞かれた泰明ははっとした。声こそ上げなかったものの、いつもの笑顔が消えて、しまった、という表情になっていた。

「ちょっと見せて」

 沙良は強引に泰明の腕を取って改める。

「あの女の子の妖魔の刀髪・鋼線、だっけ? あれにやられてすごい傷口になってたでしょ? でもどこにも見当たらないじゃない」

 沙良は教室で泰明の顔を見るなり驚いた。昨日はあれだけの傷を負ったのだから、今日はさすがに休んでいるだろうと思っていた。それでも念のために泰明の教室を覗くと、何食わぬ顔で刃物の雑誌に目を落としていたので、その場で、なんでいるのよ、と大きな声を上げてしまったのだった。

「あー、傷は……寝たら治っててさ」

「何馬鹿なこと言ってんのよ、ざっくり割れてたじゃない。縫ったってそんなに早く治るわけないのに!」

 沙良の言うとおり、昨夜の時点で泰明の傷は結構な重傷だった。普通なら医者にかかり縫合してもらわなければならないくらいの傷がいくつもあったのである。しかし、泰明の身体のどこを見ても、縫合跡どころか傷があったことさえ忘れそうなほど綺麗さっぱりなくなっていたのだ。まるで消しゴムで消してしまったかのように。

「まあ、気にしないで」

「気にするわよ! 私を庇って大怪我したんだから!」

 沙良がヨロヅセナノに何度も襲われ、そのたびに泰明が自分の身を犠牲にしながらも助けてくれたのだ。もし泰明が間に入っていなかったら、沙良は怪我だけではすまなかっただろう。

「まさか、ゲームみたいに超回復する秘薬を持ってたとか、麗月ちゃんみたいな美人に舐められたら治るとか、そんなとんでもないことを言い出さないわよね?」

 じとっとした目で沙良は泰明を睨んだ。

「いや、まあ、そうは言わないけど、そういうことにしといてくれると助かるよ」

 泰明は誤魔化すように苦笑いしながら答えた。

 沙良にはそれが、なんだかおかしく感じられた。泰明は自分の知らないことをなんでも知っていて、なんにでも答えを持っているイメージが強い。沙良はいつも教えてもらう立場にある。けど今のは違った。どこか友達と冗談を言い合っているような、身近な会話のような気がしたのだ。

 それに、泰明が答えを曖昧にしたのは、また何か、沙良には言えない秘密でもあるのだろう。でもそれは泰明なりの気遣いであることを、沙良はもう知っている。だから焦っている泰明の顔を見て満足することにする。くすくすと笑うだけでそれ以上突っ込むのをやめた。

「怪我、ほんとになんともないのね?」

「ああ、うん。心配ないよ」

「よかったぁ」

 沙良は心から安堵した。昨夜は家に帰ってしばらくしたあとに、庇ってもらったこと、そのために泰明が重傷を負ったことを思い出した。それからずっと、今の今まで気になって仕方がなかったのである。感謝したくて、謝りたくて、もやもやしていたのだ。

「昨日はごめんね。助けてもらったのにお礼も言わなくて」

「それこそ気にしなくていいよ。でさ、そろそろ放してくれない?」

「え? あっ、ご、ごめんっ」

 沙良は握ったままだった泰明の腕を慌てて解放した。

 手にはまだ泰明のぬくもりと、筋肉の感触が残っている。顔はいつもニコニコしているのに身体は父親かそれ以上にたくましいんだなと、沙良は何気なく思った。

 するとなぜだか顔が熱くなる。ありありと赤面しているのを感じる。

 なぜ自分が泰明のことを考えて顔を赤くしなければならないのかと、沙良は自分にツッコミを入れた。加えて、昨日泰明から言われた、好き、という言葉を思い出してさらに顔が熱くなる。でもあれは恋愛感情がない、好き、だから。と、必死に自らに言い聞かせて落ち着こうとする。

 その間も泰明は涼しい顔でいつも通りニコニコしている。

 沙良はそんな泰明をずるいと思った。自分だけが照れていることが、少し悔しかった。そして、こういうときの泰明はどういうことを考えているのだろう、とまた彼のことに思いを巡らせていることに気付いて、何をしているのかと一人で焦るのだった。

「そういえばさ、昨日俺がやられそうになったとき、なんでも言うことを聞いてあげるって言ってたよね?」

「う、うん……。言った、と思う……」

 泰明が殺されるかもしれないと思ってつい口に出してしまった言葉であるが、今考えればなんて恥ずかしいことを言ったんだろうと後悔する。沙良は再び顔に熱がぶり返すのを感じていた。

「今その約束、果たしてほしいんだけど」

「え!? 今……?」

 沙良は嫌な予感を覚えた。先ほどから泰明がチラチラと自分の胸元に目を向けている。女の子を前にして直視してはいけないけれどでも目が行ってしまう、という男独特のスケベな態度だ。沙良はあまり防御が硬い方ではないものの、泰明の視線はかなり露骨なので気が付いていた。

 胸を覗かれていると認識した沙良は、ひょっとするといやらしいお願いでもされるかもしれないと警戒した。

「目、つぶって」

「……目を? ど、どうして?」

「いいから早く」

 泰明が少し焦れた声で言う。彼の視線は胸元から少し上がっている気がした。沙良の唇を見ているような角度だ。

(も、も……もしかしてっ、キス……!?)

 沙良は頭に血が上るのを感じた。なぜ、と疑問に思うより先に頭の中がふわふわとする。鼓動はうるさいくらい鳴っているのに、それが聞こえないくらい思考が停止していた。

 沙良は、言われるまま、目を閉じていた。

 そのとき、泰明の手が沙良の制服の胸元をまさぐった。

「んひゃッ!?」

 沙良は悲鳴を上げて泰明の手を払い除ける。

「何するのよ!? き、キスじゃないの!?」

「キス? いや、俺はただこれを取ってあげただけなんだけど?」

 泰明が握り拳を突き出して開いてみせた。その中には、親指の先くらいの大きさの虫がいた。

「ほっといたら制服の中に潜り込みそうだったんだ」

「かっ……カナブン? て、うひゃあッ!?」

 沙良が覗き込んだとき、カナブンは羽を広げ、沙良を目がけて飛んだ。虫はそこまで苦手ではないものの、さすがに自分に向かってくるのは怖い。沙良は飛び上がって泰明に抱きついていた。

「おッ!?」

 泰明が思わず声を漏らしていた。抱きついてきた沙良の豊満な胸が腕にギュウゥッと押し付けられていたからだ。沙良のバストは制服の上からでもぐにっと潰れているのがわかり、男にはない柔らかな感触が泰明の腕に伝わっていることだろう。

「ふぅ……びっくりした。もう、虫がついてるならそう言ってよ! まぎらわしいこと言うからっ……色々と、誤解しちゃったじゃない……」

 真っ直ぐに怒りをぶつけたかったものの、勝手に誤解したのは沙良で、しかもその内容がキスされるかもしれないという恥ずかしいものだったため、言葉尻は呟きに変わってしまっていた。

「じゃあ、獅童さんのおっぱい触りたいって言えばよかった?」

「ちょッ!?」

「それとか、キスしたいとか?」

「ばっ、馬鹿! スケベ! エッチなのはダメに決まってるでしょ!!」

 沙良は慌てて泰明を突き放し、胸元を隠すように己の身を抱いた。

「なんでも言うこと聞くって言ったは獅童さんなのに?」

「う……!? い、言ったけど……でもっ」

 確かに沙良自身が言い出したことだ。それに泰明には何度も命を助けられている。だけど、それでも……

「ごめんごめん、冗談だよ。それにお代なら、これで支払ってもらってるからね」

 泰明が沙良の手作り弁当を嬉しそうに掲げる。そして、あーお腹空いた、と言いながら包みを広げて食べ始めた。

「も、もうっ、からかわないでよ!」

「だからごめんって。おおっ、やっぱ獅童さんの弁当はおいしいよ!」

「はぁ……」

 ニコニコ顔で誤魔化す泰明を見て、沙良は怒るよりも安堵の方が先だった。泰明の言うとおりに目を閉じたのは沙良の方だが、本当に口付けをされていたら、それよりもっといやらしいことをされていたらと思うと、羞恥心で頭が沸騰しそうになる。

 けれど、それを置いておいても、やはり泰明は命の恩人である。沙良が今こうして学校に来られているのも彼のおかげだ。一応、相手が望む報酬を支払いはした。でもまだ、泰明に伝えていないことがあった。

 沙良は気付かれないように吐息を漏らし、一度心を落ち着けて泰明の顔を覗き込んだ。

「ありがとう」

 その言葉だけでは足りないくらいの気持ちを込めて、満面に笑みを浮かべて、沙良は泰明に感謝の意を伝えた。

 泰明が頷く。その次には沙良から視線を逸らすように、おいしいと言いながら弁当をガツガツと頬張った。

「そういえば、なんか話があるって?」

「あっ、そうそう。昨日のこと、お姉ちゃんから聞いてきたの」

 沙良も弁当を広げ、一口食べて手を止めると、姉の一夏から聞いたことを話し始めた。

 プールで白骨化していた、つまりはヨロヅセナノになってしまった女生徒は、同じ学校の三人の女子グループに苛められていたそうだ。

 使いっ走りに始まり、遅くまで連れ回されることは当たり前。持ち物も勝手に使われ、盗まれ、体操服や制服を隠されることもしばしば。トイレに入れば水をかけられ、恥ずかしい写真を撮られ、脅され、お金を取られとやられ放題だった。

 そして1年前、苛めが度を超した。

 当時から廃墟となっていたあのビルのプールで、泳がされたのだ。

 女生徒に当然拒否権などなく、突き飛ばされて水に落ちた。

 汚い水を飲み、パニックを起こし、そのときから堆積していた汚泥に足を取られて、ついには溺れ死んでしまったのだ。

 死体が見つからなかった理由は、女生徒の死亡当日、あのビルに誰かが侵入したという目撃情報が出てこなかったこと。また、プールにはゴミが溜まりすぎて元々悪臭がきつく、死臭に気付かれなかったこと。さらにそのゴミにまぎれて死体がすぐに見つかる状況になかったことがあげられている。

 その上、苛めていたグループに連れ回され、帰りが遅くなるどころか帰ってこない日もたびたびあったため、娘が苛められている事実を知らない女生徒の両親は、またか、と警察に届けるのをしばらく躊躇っていたことが、死体を発見できなかったことにつながっていた。

 こういったいくつもの要因が重なり、女生徒は行方不明として放っておかれたのだ。

「そのせいでヨロヅセナノになったってことか」

「うん、そうだと思う……」

 話を続ける沙良の目は潤んでいた。

 女生徒も望んで妖魔になったわけではない。深い悲しみと強い怒りを抱く中で見殺しにされ、そのまま長らく放置されてしまったが故に、ほぼ自動的に妖魔へと堕ちてしまったのだ。

 そしてヨロヅセナノと化した女生徒は、何事もなかったようにビルの前を通り過ぎる三人の女子グループを見かけ、そこで初めて、復讐の鬼となった。自分を殺した相手が罪の意識など持ち合わせもせず、相も変わらず楽しそうに、下品に笑っているのを目撃してしまったから。それがとても、許せないほどに、悔しかったから。

 雨の日を待ち、刀髪・鋼線で女子を操り、屋上で恐怖を与えて吸血し、そのまま下に落とすことを二度繰り返した。

「さすがにグループの二人が死んじゃって怖くなったから、一人残った女子がお姉ちゃんに事情を話したんだって」

 沙良はポロポロと大粒の涙をこぼしていた。

「私、あの子の記憶、見ちゃったの」

 あの子とは、ヨロヅセナノになった女生徒のことだ。身体を乗っ取られると精神までつながってしまう。だからお互いの気持ちや記憶もリンクしてしまうこともあるのだ。沙良も女生徒と心が重なり、女生徒の最も強く焼き付いている記憶が見えてしまった。というより、体験した、のだ。

「あの子が溺れて、必死に助けを求めて藻掻いてるとき……苛めてた女の子達三人とも、笑ってたよ」

 女生徒の記憶を持つ沙良は、そこに至った経緯も知っていた。

 あの日、学校で女子からかなり人気のある男子が、女生徒の髪を綺麗だと褒めた。女生徒は一瞬だけは嬉しかったものの、でもすぐに怖くなって逃げた。女生徒を苛めていた女の子達三人がその男子に想いを寄せているのを知っていたからだ。だが女生徒は捕まった。いい気になるななどと罵られ、引っぱたかれ、あのビルに連れて行かれた。

 嫉妬に染まった女の子達三人は、自分達のよく知る者が溺れていようと誰も危機感などを覚えず、手を叩き、腹を抱え、指を差し、当然助けなどしなかった。

「そんな酷いことってある?」

 沙良の瞳からまた熱い雫が滴り落ちる。

 妖魔となってしまった女生徒をなんとか助けてあげたかった。精神を共有してしまった沙良の頭の中にも、女生徒が溺死する瞬間が自身の体験として深く刻み込まれている。その記憶が過ぎるたび、やるせない思いでいっぱいになる。だからヨロヅセナノとの戦闘中に、助けることはできないかと泰明に訴えたのである。

 沙良の涙はしばらく止まらなかった。泣き顔を見られたくなくてうつむき、泰明に背を向ける。

「髪に特別な想いがあったから、妖魔になっても髪だけ特別だったってことか」

 泰明が何かの感触を確かめるみたいに手を何度か握り締めていた。そのときの表情は、涙目の沙良には見えなかった。

「ま、これに懲りて、もう事件なんて追わないようにね」

「なっ、何よ……っ。少しくらい、慰めてくれたっていいでしょ……!?」

 顔を伏せながら沙良はむくれた。

「弁当おいしかった、ごちそうさま。ありがとね」

 泰明は沙良の顔を見ないままに屋上から出て行く。

「こんなときくらい、そばにいてよぉ……」

 冷血漢め、と立ち去る泰明の背中に文句を漏らす。

 妖魔となった女生徒の思いまで抱くのは、一人ではとても心細かった。

 何もしなくていい、ただ黙ってそこにいてほしかった。

 沙良は涙を流したまま心の中で訴えていた。

どうも、Mt.バードです。

肉穴から汁が垂れるのがましになりました。

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