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鋼線の束が泰明の片腕に絡み付く。ギリリッと軋み音を立てて締め付けられる。細い針金のような毛髪が肌に食い込み、切り裂く。肉がばっくりと割れる。血がどろどろと流れ落ちる。幸いちぎれることはなかったものの、前腕部にはざっくりと裂けた傷が数本もできていた。
ビルに入る前の麗月の懸念が、悪い形で的中してしまった。
「あなたの血も吸い取ってあげる!」
泰明の血が刀髪を伝い、ヨロヅセナノによって吸引される。透けた肉体へと取り込まれていく。
「魔斬り……解放……っ」
五芒星が刻まれたホルダーのボタンが外れ、泰明は残ったもう片方の手で包丁の形に近い和式ナイフを抜いた。と同時に腕に巻き付いている鋼線を傷付いた手で束ねて握り込み、自分に向かって強引に引いていた。
「く!? 髪に触らないで!」
髪に触れられるのが穢らわしいとでも言いたげな口調のヨロヅセナノが、思い切り頭を振って抵抗する。その力はもう少女のものではなく、泰明の身体が軽々と引きずられてしまうほどに強力だった。
そのまま力負けしてしまうかに思えた泰明だったが、足が浮き上がってしまう直前、妖魔に引っ張られている力さえも利用して自ら飛び出していた。
「はああああッ!!」
裂帛の気合いとともに、人のみでは生み出すことのできない凄まじい速度でヨロヅセナノに肉薄する。すでに霊力を込めた青白い刃を振りかぶり、妖魔の頭上から振り下ろす。
泰明の力である雷が付与された魔斬りを見たヨロヅセナノが、これも自分を傷付けることのできる武器であると認識して目を剥く。だがそれを叩き付けようとする泰明の手のスピードを見て、うっすらと笑みを浮かべた。
「着物の子より遅いわっ」
女生徒の妖魔は余裕の動きで後ろへ飛び、泰明の攻撃を難なく回避した。
破魔の刃は空を斬り、そのまま屋上の床へと突き立てられた。
「這え雷! 雷神蛇光ッ!!」
バチバチッ! と轟音を立てて床の上で稲妻が弾ける。その瞬間、突き刺した魔斬りを起点に多量の雷が発生する。それはまさに蛇が蛇行するが如く水が敷かれた地を駆け、常人の目では終えないほどの速さでヨロヅセナノに襲いかかった。
「ぎゃああああッ!?」
霊体であるはずの妖魔が大電流に感電する。
「さすがは主、敵の避け方に癖があるのを見抜いてたのね」
麗月の言葉を聞いた沙良はふと思い出した。
これまで麗月が何度か切り込んでいるが、ヨロヅセナノはそのたびに必ず後ろに直線的に避けていた。これは元々が人間だったヨロヅセナノの動きの癖である。それを見切った泰明が、蟒蛇事件のとき、最初に使用した技を放った。加えて、床に溜まっている電気を通す水を利用し、比較的近距離で使うことが多い雷神蛇光の飛距離を伸ばしたのである。
「すごい……!」
沙良は言葉では言い表せないほどに感心していた。あんな短時間で敵の動きを把握し、かつ周りの状況までもうまく使いこなす。蟒蛇の牙での攻撃のときも思ったことだが、泰明の戦闘センスは、自分など比べるにも値せず、姉の一夏や父親でさえも次元が違うことを改めて思い知った。
「く……ッ!?」
泰明が腕をだらりと下げて呻く。沙良を庇った腕は血塗れで、ぽたぽたと床に落ちて雨水に溶けていた。
「主っ、無事なの!?」
「来るな麗月! まだ終わってないっ」
「あああああああああッ!!」
強力な電撃を浴びて動きを止めていたヨロヅセナノが狂ったように絶叫する。その途端、妖魔に取り付いていた稲妻が掻き消えた。さらに髪の鋼線が四方八方に伸びる。それは麗月にも泰明にも、沙良にまで、猛スピードで迫った。
「このッ!?」
主人の元へ駆け出そうとしていた麗月は体勢を崩しながらも刀ですべての攻撃を弾き返す。しかしこの対処で手一杯だった。
「まずい!」
泰明が沙良の前に飛び出す。そして飛び来る鋼線を魔斬りの刃で跳ね返した。
「ぐがッ!?」
だが手負いで、しかも無理に沙良を守ろうとした動作だったため、強靭な髪の毛に肩を貫かれてしまった。それでもなんとか鋼線を捌ききった。
「東光寺君!」
「動かないでっ、俺の後ろにいて。お代をもらってないのに雇い主に死なれたら困るからね……ッ!」
冗談なのか本気なのかわからないことを言いながら、泰明は肩に刺さったままの妖魔の毛髪をつかみ、血を吸われる前に斬り落とす。
「いだいッ!? あああッ!? 髪斬らないでって言ってるでしょ!? ああ、憎い! 私の髪ぃ! またなくなった……あぁぁぁッ!?」
狂気を吐き出すように妖魔が雨雲に向かって吠えている。
武器でもある頭髪を振り乱しながら怒り狂う女生徒をちらりと確認しつつ、泰明は呻きながら肩から鋼線を一気に引き抜いた。
「ぐ……ッ!? やっぱ水があると不利か……っ」
戦闘中でもほとんど表情を変えない泰明の顔が歪んでいた。
どうも、Mt.バードです。
できるだけ裸で眠りたい今日この頃です。