021
昼休みのチャイムが鳴ると同時に自身のクラスを飛び出した沙良は、同じ階の、とある教室の戸を開け放つ。
そこは、いつもニコニコとしているものの、厳しいのか優しいのかよくわからない、おまけに変な力まで持っている得体のしれない男子がいる教室。つまり、東光寺泰明のいるクラスだ。
「いた。今日こそは逃がさない!」
泰明を見つけた沙良はずかずかと遠慮もなく違うクラスの教室に入り込んだ。
この間の蟒蛇事件のあと、沙良は泰明を執拗に追い回していた。
沙良からの依頼を受ける代わりに多額のお金か沙良自身をもらう、などと言われていた。だから最初は、近付かなくてすむなら、このまま何もなくてすむなら、その方がいいと思っていた。
でも沙良は、それだと自分らしくないとも思った。わからないことがわかるかもしれないのに、そのままにしておくことがどうしても、沙良の探究心という名の好奇心が許さなかった。もし法外な報酬を要求されたなら、どうにかできるならする、なるようにしかならない、そう思って泰明のクラスを調べ、恐る恐る話しかけたのが初め。
しかし泰明は依頼料を、お金や沙良自身を差し出せと言うどころか、彼女を避けるのだ。それも一度だけではない。これまで何度も逃げられたりチャイムに阻まれたりと、闘牛士のように見事なまでにかわされる始末。
沙良はよくよく考えた結果、あの依頼料というのは自分に対する脅しだったのではないか、という結論に至っていた。そんな風に脅迫めいたことをしておけば近付いてこないだろうと。実際に蟒蛇事件に深入りしようとしたとき泰明から、関わらない方がいいと忠告を受けている。
泰明は沙良を、拒絶している。足手まといで、邪魔だと思っているのだろう。
この辺り、沙良にとっては少々複雑だった。なにせ泰明は、沙良と顔を合わせながらはっきりと「可愛い」と言ったのだ。
男子に目の前でそんなことを言われたのは初めてのことで、ほんの少し、ちょっぴりとだけドキッとしたことを、沙良はまだ覚えている。なのに、その可愛いと言った沙良を、泰明は拒絶するのである。
普通に考えればおかしい。沙良もおかしいと思った。同時に腹が立った。なぜ腹が立つのか、なぜ自分が腹を立てなければいけないのかと思って、また腹が立った。
泰明と一緒にいる和装美少女の麗月があのとき言った言葉──主は優しい、沙良に気を遣っている──と漏らした意味も、沙良にはいまだに理解できていない。
だから事件のことも含めすべてを聞き出すまで、もう徹底的に泰明を追い回すことにしたのである。
沙良は今日、絶対に説明してもらうつもりで必勝アイテムまで用意してきた。そのアイテムは、もっと大事な最優先すべき事柄を相談するのに役立ちそうだった。
「おー、また獅童さんが来た! 最近毎日来てるよな?」
「いいよなぁ獅童さん。可愛いしナイスバディだし俺達みたいな下々の男ともちゃんと話してくれるし」
「でもさ、なんであの獅童さんがあんなやつ目当てに毎日やってくるわけ?」
あんなやつというのはもちろん、東光寺泰明のことである。
教室内の男子達の目が嫉妬で吊り上がっているのに目もくれず、沙良は泰明の真似をしてニコニコとしながら彼の机の前に陣取った。
「どうも、東光寺君」
沙良が声をかけると、泰明の笑顔は苦笑いに変わった。
「ねえ、今日もお弁当持ってきてるの?」
「いや、今日は学食に行く予定だったんだ」
泰明はいつも母親が作ってくれる弁当を持参するのだが、今朝はたまたま母親が忙しかったので昼は学食ですませることにしていた。
そういうわけなのでと、泰明がそそくさと食堂へ向かおうとする。そこへ沙良が必勝アイテムを差し出した。今日のために用意した秘策──餌付け作戦開始だ。
「丁度よかった。はい、お弁当」
沙良はニッコリと笑みまで投げつけた。泰明は弁当を持ってきているはずなので二つとも食べさせる気でいたが、今日はかなり運がいい。
「これ、手作りだから。東光寺君のために作ったの」
「え!?」
さすがに泰明は足を止めざるを得なかった。いつもの微笑みが崩れ、目を丸くして弁当と沙良を見比べている。
泰明がここまで表情を変えるのはあまりないので、沙良はしめしめと心の中で思っていた。堕ちろ、堕ちろ、と呪いをかけるように呟きながら。
「獅童さん、今日は気合い入ってる。会いに来るだけじゃなくて手作り弁当だって!」
「愛妻弁当!? 獅童さんと東光寺君てもうそんな仲なの!?」
二人のやりとりを見ていた女子までもがきゃいきゃい騒ぎ始めた。
しかしどうして、校内でもアイドル的に人気があり華やかな印象の沙良が、このクラスでも存在感がほとんどない泰明などを選んだのか。という視線が泰明にぐさぐさと突き刺さる。
「東光寺君のあの笑顔の裏にすっごい強引なオレサマが潜んでたとか?」
「それに迫られて獅童さんがヤられちゃったんだ?」
「獅童さんて強引に迫られるのに耐性なさそうだもんねぇ」
「くそっ、東光寺め! あいつ刃物にしか興味ないんじゃなかったのかよ!?」
「そうだ! 刀の本ばっか読んでる刀オタのくせに我らが天使の獅童さんとあそこまで仲良くっ、絶対許せん!」
男子達の嫉妬が炎となって舞い上がり、教室内の温度が一挙に上がる。
「周りのことは気にせず食べてね。東光寺君のために作ったお弁当を、まさかいらないなんて言わないわよね?」
沙良は周りまでもうまく味方につけていた。もしここでいらないなどと言えば、泰明は男子からも女子からも非難されること間違いなしである。沙良のような人気者が、クラスでもほとんど存在感のない泰明のために手間暇かけて作った弁当を受け取らないとはどういう了見かと、沙良の乙女心を踏みにじるつもりなのかと。
「あ、ありがとう」
泰明は苦笑いのまま沙良から弁当を受け取った。
よしよしと、沙良は得意げに頷く。さらに泰明の机で自分の分のお昼を広げようとしながら話を切り出した。
「今日は相談したいことがあるの。今朝の事件のことなんだけど」
「事件?」
「学校の近くでミイラみたいな死体が──」
「ちょっと待った」
泰明は少しだけ真剣な表情で話を遮るように沙良の手を握る。
「えっ、ちょ!? 何!?」
急なことに沙良は驚いて頬を染めた。泰明の手のぬくもりが伝わってくる。そういえば蟒蛇に襲われたときもこんな風だったことを思い出す。そして僅かに鼓動が速くなるのを感じていた。
「こっち」
「え!? 何っ、なんなのよ!?」
泰明が二人分の弁当を持って沙良の手を引き教室を出る。
女子達が、二人きりでお昼食べに行くんだ、などときゃーきゃー喜んでいた。
どうも、Mt.バードです。
今はだいぶましですが、鼻の穴が妊娠させられそうです。
勘弁してほしいです。