013
「麗月、鬼退治だ」
「承知よ、我が主」
麗月の返答を聞いた泰明が逆手に構えた魔斬りを握り込み、柄の突端と手の平をばしっと合わせた。すると刃がぼんやりと青白く輝く。
それは泰明の生命の力──霊力が込められた証であり、魔を降す破魔の光だ。
「隠れてないで出てこい、蟒蛇。はあああッ!!」
泰明が破魔の光をまとった小刀を地面に突き立てた。
それと同時に雷が地を這う。バチバチと弾けながら青い稲妻が石塀へと激突した。
雷は瞬く間に壁の方々へと散る。
その瞬間、大きな唸り声が上がった。そして塀が苦しむようにぐねぐねと波打ち、ついにはその実体を露わにする。
それは、巨大な蛇だった。この日本家屋のある広い敷地をすっぽりと囲えるくらいの、まさに先ほどまで存在していた石塀のような長大さである。姿は半透明ながら、頭だけで熊くらいの大きさだった。
沙良はその化け物の小山ほどもある巨体の大迫力に圧倒された。物語の中だけでならいくらでも知っている。しかしこんな怪物が、本当に現代に存在するとは。自分が今目の当たりにしているのは、夢でも幻でもない。本物だ。本物の化け物だ。お化けか、妖怪か。一体なんなのだろう。
「……こ、これがッ!?」
「そう。これが蟒蛇」
泰明は声色を変えず平然として言った。友達でも紹介するみたいな態度だ。
「元々は井戸を守る神様として崇められるような、高位の妖魔なんだ」
妖魔。
泰明は蟒蛇をさしてそう呼んだ。やはり妖怪みたいなものか。神様と崇められるというのだから、神仏の類か。沙良はわけがわからず、ただただ目を大きくするばかりだった。
「こんなに大きくても毒蛇だから、少しでも牙で傷付けられればその猛毒にやられて絶命する。噛まれないように気を付けて」
気を付けろと言われてもどうすればいいのか。沙良は大きな牙から滴る毒液を見てブルリと震えた。仮に丸呑みを避けられたとしても、毒牙によって傷を負えばそれで終わり。息絶え、結局は蟒蛇の腹の中におさまることとなるのだ。
「この家の井戸を昔からずっと守ってきたんだろうけど、それが壊されたからこうして表に出てきたんだ。この家族の全員を食らうために、塀に擬態してね」
こんな化け物に、普通の人間は太刀打ちなどできない。それは一夏とて同じこと。こんなものの脅威に一夏を曝していたのかと実感した沙良は、自分で自分を呪いたくなった。大馬鹿者だと後悔した。
「ここでこいつを倒せば、この家の残された家族が助かる。もちろん獅童さんのお姉さんもね。だからぼけっとしないで。獅童さんなら自分の身は自分で守れるでしょ?」
この一言で沙良ははっとした。そうだ、あれこれ考えている場合ではない。たとえ一夏が助かったとしても、沙良が命を落とせば本末転倒だ。気をしっかりもって集中しなければ、と思ったところで、沙良はふと気が付く。泰明の今の言葉は、自分を元気づけてくれたのではないか、と。
「主、来るわよっ」
塀が伸びたように、大蛇が鎌首をもたげた。まるで龍のような咆哮を上げ、沙良の目では捉えきれない速度で襲いかかってくる。
「避けて」
泰明が沙良の手を引く。沙良はそれに逆らわずに引っ張られる方向へと自ら動いた。
沙良と泰明が今いたところを、巨大な毒蛇の牙がかすめていく。二人はギリギリで蟒蛇の突進をかわしていた。
が、しかし──
「尻尾かッ!? ぐあッ!?」
巨大なのに素早い、強力な鞭のようにしなった蟒蛇の尻尾が泰明に躍りかかっていた。
泰明は魔斬りを盾のように使い、尾の一撃を受け止める。だがその攻撃は凄まじく、彼の身体は易々と吹っ飛ばされていた。
「さすが。神様って言われるだけはある」
なんとか転ばずに着地した泰明はしかし、無表情ながらも声のトーンには余裕が感じられた。
でもその次には彼の余裕は消し飛んでいた。
「獅童さん!」
「えっ?」
吹っ飛ばされた泰明を心配して見ていた沙良が振り返る。そこには蟒蛇の大きな顎が肉薄していた。
沙良は声も上げることができず、持っていた鞄で顔を守るのが精一杯だった。
その途端、バチバチバチッと何かが弾ける音が聞こえ、大蛇の咆哮が響いた。
「……何?」
沙良が鞄を提げると、そこには刀型のキーホルダーが浮いていた。キーホルダーが沙良と蟒蛇の間に入り、青白い五芒星のシールドのようなものを形成して怪物の突進を防いでくれていたのだ。
蛇の化け物が再び龍の如く吠え、こじるようにして頭を五芒星にぶつけた。
「きゃうッ!?」
五芒星は蟒蛇の攻撃に耐えることができずに消滅し、その衝撃波で沙良は後ろに飛ばされた。
「獅童さん──っと!」
沙良は泰明に受け止められて難を逃れた。
「このペーパーナイフ、持っててくれたんだね」
沙良と一緒に吹っ飛ばされたキーホルダーを拾い上げた泰明が、沙良に手渡した。
「……ペーパーナイフ? これ、そういうものだったの?」
沙良は単に、大きくて変わったキーホルダーだとばかり思っていた。それがペーパーナイフだったとは、沙良は目にするのさえ初めてだった。
「じゃなくてこれ、東光寺君に返そうと思って」
「ちゃんと拾ってくれててよかったよ。早速役に立ったしね」
「……ちゃんと拾、う……? 役に立っ……え!?」
泰明の言葉を聞いた沙良は、ある可能性に気が付いた。
これは元々泰明の鞄についていたもの。それをここで沙良が拾い、あとで返してあげようと思っていた。それを鞄の中に入れたまま忘れていたのだ。
もしも初めから、そうなるようにし向けられていたとしたら……。
「考え事してる場合じゃない獅童さん、また来るよ!」
「させないっ」
声を上げたのは麗月だった。
「貴様。よくも我が主に汚らしい刃を向けてくれたわね。許さないんだから」
麗月が、低く、静かに、しかし心の内には業火の如き怒りを込めて言った。
自身の絶対の存在である泰明を傷付けようとした不届き者には誅伐を。
暗闇の中で目が妖しく爛々と輝く。その瞳の色は、赤い。
麗月の手にはいつの間にか、一振りの打刀が握られていた。
それらしいものも持っていなかったというのにどこから取り出したのだろう、と沙良は思った。
その刀は泰明の魔斬りと同じく暗闇の中でもぎらっと銀色に光る。
先ほど蟒蛇を引っぱたいたときに見えた銀光の正体はこの刃だったと、沙良は悟った。
「失せなさい下郎っ」
麗月も超人的な速度で大蛇に迫り、刀を振るう。銀の光が閃き、蟒蛇の胴体がまるで紙切れのように切断された。
毒蛇は苦しむように吠え、ずるずると巨体を引きずって元の塀へと擬態する。しかしすぐにまた、その巨躯を露わにした。
「ふん、やっぱりね」
麗月は小さく溜め息をついた。蟒蛇が何事もなかったように現れたからだ。先ほど麗月が斬った胴体が、驚くことにつながっている。傷一つ残っていない。塀に戻ったあの僅かな間に再生したのだ。
「さすがに神様級は伊達じゃないってことか」
「こんなのが……本当に、神様?」
「そうだよ」
声色にほとんど変化はなかったが、泰明が少しばかり呆れているように沙良には感じ取れた。
どうも、Mt.バードです。
いつも読んでくださり感謝です。




