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011

 100万円か自分自身。すぐに用意できるのは後者しかない。けれどまさか、同じ学校の男子にそんな要求をされるとは思いも寄らなかった。確かに沙良は一夏を危険に曝す原因を作ったけれど、こんなのはあんまりだろう。人の命はもちろんだが、自分の貞操だとしても、それは秤にかけられるものではない。かけてはいけない。

 だから、何か他に手はないのか。人命も貞操もかけることなく、二人を動かす方法はないかと沙良は考えた。

 ここでふと思い出す。自分でも言ったではないか。泰明と麗月は自分を助けるためにここへ来たのではなく……

「い、いいえ騙されないわよ! このうわばみってのを倒すとかすれば事件は解決するんでしょ? うわばみがいなくなれば、お姉ちゃんだって助かる!」

「鋭いね。銘刀虎徹並みの斬れ味だよ」

「……虎徹? 何よそれ?」

「虎徹っていうのは元々は刀を作る人、刀匠の名前でね、その人が打った刀も虎徹って呼ばれてるんだ。この刀はその昔、ものすごく人気があって、新撰組の局長だった近藤勇も好んで使ってたって言われてる。で、なんでそんなに人気だったかって言うと、斬れ味がそれはもう凄まじかったんだって。石灯籠を斬ったとか兜を割っただとか言われてるんだ。斬れ味もそうなんだけど耐久性も相当なものだったらしくてね、最上大業物って——」

「そ、そんな刀のことで茶化してもダメよ!」

 刀の話になると途端に雄弁になる泰明の説明を遮り、沙良は強く言った。

「東光寺君達は事件の解決に来たんだから。やっぱりお姉ちゃんを助けってお願い、取り消すわ!」

 この事件を解決することは蟒蛇を倒すことだと、泰明は認めた。ならば沙良がわざわざ依頼をしなくても放っておけば一夏が助かることになる。沙良は冷や汗を掻きながらもこれでどうだと泰明の横顔を見た。

「俺は別に構わないよ。ただ一応言っとくと、俺達が事件を解決するのと、お姉さんが助かるかどうかは別問題だ」

「……どういうことよ?」

「俺達が事件を解決するより先に、お姉さんが襲われる可能性も充分にあるってこと」

「うっ!? そっ、そんな!?」

 沙良はうなだれた。どこが優しいものか。泰明が普段見せているあの笑顔は嘘っぱちだ。あの顔の奥にこんなにも非道な一面が隠れていたなんて。泰明が自分に気を遣っている? あり得ない。あり得ない! 沙良は心の中で泣きながら叫んだ。

 自分自身を要求される。つまり、泰明の言うことすべてに従うということ。場合によっては身を捧げることにもなるだろう。それは一方的に沙良が弄ばれることを意味する。恋愛からお互いの好きという気持ちが成長して自然とそういう流れになって、という少女漫画の展開とはわけが違う。そんなこと、軽々しく返事ができるはずもない。

「封鎖を急いでください。万が一ですが、一般人に被害が出ないように細心の配慮を。それから敷地内の捜索と、ここの塀沿いを入念に調べます。外に出ている捜索班も呼び戻してください」

 一夏の叫ぶような指示が沙良の耳に入ってくる。沙良は唇を噛む。軽率な返答をしてはいけない。

 けど、それでも。

 一夏が襲われ、手遅れになってしまうよりは。

 沙良の脳裏を嫌な記憶がかすめる。それはまだ小学生だった頃の沙良が泣きじゃくっている光景。お母さん、お母さん、と呼び続けている。沙良が揺さぶっている母親の服は血塗れ。沙良も血塗れ。どんどん温もりがなくなっていくのが、触れている手から伝わってくる。母親は反応もしない。それはもう母親だったものになっていたから。人の身体にしてはやけに小さい、ただの肉の塊になっていたから。

 あれだけはもう、二度と繰り返したくはない。

 沙良は決意を固めた。

「……私、東光寺君に依頼する。お姉ちゃんを助けて!」

 沙良は涙がこぼれそうになるのを必死に堪えながら訴えた。

「そのために私、東光寺君の言うことならなんでも聞く。私自身を要求するなら……私の全部、あげる! だからお願い!」

 ようやく泰明が沙良の方に向き直った。

「どうしてそこまで?」

「もう家族を失いたくないから!」

 沙良の母親は、幼い沙良の目の前で死んでいる。その上一夏さえも失うなんて、それも自分が原因だなんて、今度こそ沙良には耐えられそうになかった。

「わかったよ」

 泰明の表情が、一瞬だけ、あのニコニコとした笑顔になった。

 それを見た沙良はなぜだか急に涙腺が緩む。でも絶対に泣くものかと、ギリッと音が鳴るくらい奥歯を噛み締めた。

 すでに無表情に戻っていた泰明が、命を下す。

「これ以上被害が出る前に片付ける。こちらに奴の注意を引き付けるぞ麗月」

「もう……主の優しさには毎回呆れるわ。こんな大物と正面からやり合うなんて、あり得ないんだからっ」

 蟒蛇は強力な怪物である。その注意を自分達に引き付けるということは、麗月の言うとおり正面対決をするということ。相手が強力であればあるほど、普通は真っ直ぐに対峙することを避けるものである。たとえば誰かを餌にしておびき寄せ、不意打ちを狙った方が仕留められる確率がぐんとアップする。しかし泰明がそうしないのは、沙良の依頼を承ったからだ。だから、一夏に危険が及ばないようにするため、自分達が傷付くリスクを負ってでも、怪物の気を惹けと言ったのである。

 けれど残念ながら、沙良がこのことに気付いたのは、もっとあとになってからのことだった。

どうも、Mt.バードです。

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