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怖いもの

作者: もちもちさん

眠るときに大事なのは一定の呼吸、リズムだ。その日はまだ明けもしないうちから私の部屋近くの電柱からだろうか、鴉の鳴く声に不気味なほどにリズムを狂わされた。憎き鴉は止んだかと思ったらまた鳴き始め、また止んでということを私の体感ではあるが2時間ほど続けた。


前日に少し夜更かしをしたこと、またやけに高い湿気が睡眠を妨げていたのだろう。神経はどんどん過敏になり、嫌な予感、嫌な想像が頭の中を次々とよぎるようになる。


この鴉は何か不幸を報せるためにこんなにも鳴き続けるのか?もしかしたら遠くで暮らす両親に何かあったのか?それとも私?


こんな調子なものだから、なんだかベッドがぐらぐら揺れているように感じ、ここにいたら死んでしまう!死んでしまう!といった強迫観念に駆られて財布を持って家を飛び出した。


マンションから出るともう日が昇りはじめ若干の明るさを空は取り戻しつつあった。外の湿気は部屋の中よりか幾分マシで大きく深呼吸をした。曇り空とやはり私の部屋の近くの電柱にいた鴉を思いっきり睨みつけながらも、その視界を奪おうとぐんとせり出してくるマンションから近くの大きな公園へと撤退を急いだ。


途中コンビニでカフェオレを購入。公園のベンチかどこかで寝落ちしそうなのが嫌だったのもあるが、それよりもこのまま何か悪い夢を見そうなことの方が私にとってはよっぽどの危機だった。


そこそこ大きな公園では早起きな年配の方々が散歩を始めていた。各々スポーツウェアを着込み闊達に歩く中私一人がパーカー姿だったので少し恥ずかしかった。


そんなわけでしばらくうろうろした後に道から少し外れた池のほとり、木の枝に隠れて少し見えないような気のベンチを安住の地とした。


三分の二ほどになったカフェオレを横に置き、持ってきたイヤホンをつけて適当に曲をかける。そういえばこんなに近くに住んでいるのにこの池に来たのは初めてだ。


ちょっとしたビルの外周分くらいの広さの池は周りをぐるっと木製の歩道で囲まれており、いつだか行った湿原を思い出した。少し湿ったような、灰色に近い色に囲まれた池には花と葉っぱがぽつぽつと浮かび、ごみを捨てるなという看板が建っている。


この池の売りはその花の様であったが正直蓮と睡蓮の違いが判らないので調べていると、ぽつりぽつりとおばさまやおじさまたちがやってきて、後ろ手を組みながら鑑賞しては去っていく。


やっとこの池の主は睡蓮らしいとあたりをつけたころにはその来訪はそこそこの数になっておりなんだか情けなくなった。


そういうやこの間遊びに来た友達はコスモスを見て秋だねーなんて言っていたなとふと思い出した。


しばしぼーっとすると視界の端をツイーと飛ぶトンボを発見した。赤いやつと白いやつ。アキアカネとシオカラトンボ?さすがに地元にいたから知っている。でも生息域だなんだと、トンボの種類は意外と多いらしいことも知っていたのでもう調べなかった。


トンボを見たり、やってくる人々の様子を見たり、睡蓮を見たり。ぼーっとしていると目の前をツツーと飛んだ一匹のトンボがポタリと突然目の前に落ちた。黄色と黒の縞々に見えるトンボはどうして落ちたのかわからないといったようにバタバタ羽を動かしてみるも、飛び上がることはかなわず、わずかに20センチばかり這いずるのだった。


どこまでも手持無沙汰な私は、そのトンボに注目することにした。おそらく命わずかであろうそのトンボの結末を見届けようと思ったのである。そういえば昔飼っていたたくさんの昆虫たちも、亀も、実際にその体が動かなくなり、徐々にか、苦しんでかは分からないが、命絶えるその瞬間を看取ったことがなかったなと思いだしたのだ。


そのころにはもう完全に日が昇り、木陰が伸び、歩道の上にはまだらに光が降り注いでいた。池に供給されている水の流れる音、時折落ちる木の葉、イヤホンから流れる音楽に時折注意をひかれながらしかし、ジーッとそのトンボを観察し続けた。


まず初めにやってきたのは体色の違うトンボだった。ツイーと寄ってきて池のほとりの少し背の高い雑草にとまる。頭は完全に地に伏すトンボの方を向き、目がくるくると動いていた。


私は息を殺してその様子を見守った。絶対にこの状況に何か影響を与えないために、だ。何か試案するように見えたトンボはしかし、私の期待もむなしく、何をするでもなくスッとどこへとやら飛んで行ってしまった。あまりにも冷たく見え、裏切られた気持ちと少しの軽蔑を込めて見送った。


次第にであるが出勤前のサラリーマンだろうか、スーツやシャツを着た人々が空いているベンチに座り菓子パンなどを頬張るようになった。当然私の前を幾人もの人が通り過ぎる。


私から反対側へと歩いていく人は安心なのだが怖いのはこちらにやってくる人々だ。その軌道がいつトンボにぶつかるのか冷や冷やしながらも観察を続けた。私はできれば私の想定しうる自然な方法、自然の中で結末を迎えてほしかったが、人間に踏まれて絶命するのもこうして歩道に力尽きたトンボの結末としては自然であるのかもしれなかった。


加えて言えばトンボがいるので気を付けてくださいなどということを見知らぬ人に言う度胸もさらさらになかったのである。


ただ少しの抵抗として、私は明らかに一点に集中しているとわかる姿勢をとることにした。ちょうど、ダリの考える人のような姿勢である。


果たしてそれが実際に効果があったのかわからないがトンボは生きていた。ニアピンは2度ほどあったのだが、生きていた。


カフェオレももう4分の1をとうに切っていたが、そこからなかなか減らなかった。このときにはもうトンボはほとんど動かなくなっていた。もがいては止まって。またもがいてを頻繁に繰り返した後、しばらく、というよりは長めに動かなくなり、またもがいては止まるを繰り返した。


また何人か人をやり過ごしたところでついに私の想定していた自然の方法の一つがやってきた。蟻である。一匹の少々大きめの蟻が気づけばトンボにあと10センチと迫っていた。私は今日一番息をひそめその成り行きを見守った。


私にとってはかなり長い時間となったが、蟻は丹念に周囲の探索を行った。やきもきする私をしり目に彼女は非常に冷静なようだった。


私の目にはトンボもその優秀な眼をもって敵の接近に気づいているように見えた。


索敵だろうか。それを終えた蟻はおもむろにトンボに近づくとグイッとトンボの足に噛みついた!心拍数が上がったのを感じたが、トンボが渾身の力で抵抗すると蟻は驚くほどあっさりとその顎を引っ込め退散していった。


拍子抜けした私だったが、よくよく考えてみれば蟻とトンボである。体格差は歴然で、蟻もたった一匹となれば戦わないのは至極全うで冷静な判断に思えた。退散していく蟻を見て、落胆し、なんて臆病な奴だと思った自分は愚かであった。


しかし一向にトンボの結末に対する興味は失われなかった。蟻が仲間を引き連れてくるかもしれない。それ以外の可能性もある。より一層観察に力が入った。


それからまた何人もの人をやり過ごし、気づけばもうカフェオレも残りわずか。木陰もだいぶ移動し、トンボは日を浴びたり浴びなかったりを繰り返していたが、実際に動いた距離はどう見積もっても30㎝もなかった。


最初は尻尾の部分を激しく曲げ伸ばししたり羽を動かしたりしていたが、いよいよそういったこともなく、静と動の間隔もかなり空いてきていた。


もう残り幾ばくも無いだろうと、いつまで見続けなければいけないのかという不安にもとり憑かれて始めていた私は評価していた。


蟻が戻ってくることもなく、鳥に見つかることもなく時間はただただ過ぎていた。


ふと左から足音が近づいてきた。先ほどまで隣のベンチで何か飲んでいた紺のスーツを着たふとった男だった。


あれよあれよという間に目の前を通り過ぎようとする男の靴がよく磨かれているのが分かった瞬間


クシャ


という音が私の耳にはしっかりと、周りのなんの音より、その男の話声より大きく響いた。紙を握りつぶす音に似ているが、確実に何か固いものが押しつぶされたとわかる音であった。


陽気に照らされていたからだろうか、先程と寸分たがわぬ位置に横たわるそれは遠めに見れば何ら変わりようのないものに見えた。


近づくのがかなりためらわれたが、ゆっくり近づいて、もう動きようがないのを確認した。


どこまでも振り切れない、不完全燃焼のようで、しかし充足された気持と、空のカフェオレを持ってすぐに池を離れた。


帰り道は様々な年代の人であふれ、少し暑いぐらいだった。


早く寝たい。ああでも、写真でも撮っておくんだったな。


そう思った。


決して交わってはないのです。

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