政治家の苦悩
「自分はこの難局を乗り切るには力不足」
そう言い七年前古賀徹こがとうるは大暴動を終息させた後辞任してしまう。
そしてあとを継いだのが国民に圧政を敷き、少し前に処刑された前政権だ。
圧政を故意に敷いたのは前政権がそうしたのは、そういう状況だったからに過ぎない。
そして日本が生き残っているのも前政権の功績だが、今までにない政策やデモや暴動を力でねじ伏せるといのもあって独裁者のごとく見えた。
そして選挙の結果、総理大臣の席に就いたのが力不足と辞めたはずの古上徹だった。
古賀の家は明治から続く政治家の一家で、古賀家は政界や政財界に大きな影響力を持っている。
古賀徹本人は政界に興味がなかったが周りが「はいそうですか」と許してくれるはずがなく渋々この世界に入った。
本人は特にやりたいことがなかったため、政争を遠目で見ながら唯一の趣味であるガーデニングに没頭していた。
いやいやながら伯父が元総理大臣ということもあり、与党の総裁に担ぎ上げられてしまった。
そして就任一年目にして“あれ”にあってしまう。
古賀は何とか事態を収取したが、政治家としての古賀はあくまで日常で発揮されるもので、異常事態つまり柔軟性が求められる場合には弱いのだ。
まあ典型的な日本の政治家の一人だ。
決断ができるという点では他の政治家よりは優秀かもしれないが。
そのことを本人も自覚していたため、柔軟な発想と決断をできる―――内閣へ交代した。
が、国民が再び選んだのは古賀徹だった。
古賀政権の一年目は特に記憶に残るという政策を打ち出していない、だが国民が望んだのは平凡な政治家だ。
強くも弱くもない政治家、その条件に一致したのが古賀という訳だ。
議員すら辞め政界からも身を引こうと徹は考えていた、しかし親が再び徹が必要になるということを予想し何とか政界にとどめていた。
そして古賀徹は総理の座へ戻って来た。
総理の記者会見後、各報道機関が映像などを本物か偽物かを調べる番組がいくつも放送された。
映像の専門家や政府がこの嘘の報道をして何の得があるかまで。
もちろん政府もたった映像で国民やマスコミが理解しないことは予想済みだった、そのため次の日には昨日よりも鮮明かつ分かりやすい映像と衛星写真を公表した。
それらは十分に理解できるものだった。
以外にも混乱したのは二〇~三〇代といった若い世代ばかりで、四〇~五〇代といった世代はあまり混乱しなかった。 近年ネットを中心にファンタジー系の小説やアニメが売れ出し映画化までされる作品もある、当然見るのは二〇~三〇代だ。
故に理解や考えが柔らかいからすぐに受け入れるとは限らない。
七年前も同様に比較的に若い世代で混乱が多かった。
では中年層はどうかというと最初こそ戸惑ったが最後は理解した。
いい言い方をすれば「年の功」悪い言い方をすれば「何も考えずに受け入れた」だろう。
そしてそんな混乱は意外な方へ向かう。
開国するか否かという議論へ。
日本は否応なしに一七〇年以上も前、つまり鎖国していた時代へ引き戻されたのだ。
一七〇年前は一部の人間によって、開国すべきか鎖国するべきかが決められた。
しかしその議論が政府の中で具体化するはるか前に国民の間で議論が巻き起こったのである。
ネット上だけではなく至る場所で。
未だかつて国民がこれほど国政を熱心に他人と議論したことがあるだろうか?
一部野党や市民団体は準備出来次第、大陸と接触するべきだと主張した。
国民の大多数もそれに続き、年内には大陸と接触するとさえ言われていた。だが年内どころか一生接触しないという選択肢が出てきた。
政府は追加発表では新大陸でもっとも日本に近い沿岸部では、断続的に戦争が発生していることがわかったのだ。
そんな中に出ていくのか?というのが議論の分かれ目だった。
中には戦争で生じた難民を助けようなどという自分たちの置かれている立場を理解していない人間もいた、当然のことながらすぐに封殺されたが。古賀は
「政府の考えでは当面の間、新たに確認できた大陸に存在する知的生命体とその国家との接触は考えていない。
その理由としては新大陸の日本海に面している沿岸部では大規模な戦争状態にあることに加え、国内開発を最優先するためです」と発表した。さらに
「大陸に存在する国家の年代を例えるなら産業革命以前のレベルで、例え国交をしたとしても我が国には一切の利益がないという結論に至りました」と事実上の鎖国継続宣言をしたのである。
だが・・・古賀が就任してそう宣言して一年も経たないうちに今回の帆船がやって来たのだ。
「上空からの映像入ります」
その声と共に壁にあるスクリーンに帆船の上空を旋回している横田基地所属のP-1から送られてくる映像が流れる。 横には巡視船から送られて来ている映像もある。
他のモニターには巡視船や護衛艦がどの位置にいるかを示すスクリーンもある、不審船の横に巡視船が表示されている。
首相官邸地下にある指令室には、巡視船からの通報があってすぐに関係閣僚が密かに緊急招集され集まっていた。
「我が国のではないのですか?」
「該当する帆船は存在しません」
古賀総理の質問に情報庁長官は答える。
この第二地球に来る前に設置された全ての政府情報を管理する組織だ。
長年いや建国以前から日本の欠点であった危機管理がしっかりと出来る組織が出来上がった、それが「日本国総合情報管理庁(情報庁)」だ。
日本人は諜報インテリジェンスに対してなぜか悪い目でしか見ない傾向が強い。
諜報機関と聞いただけで国やマフィアを裏から操っているとすぐに考える。
それこそ昔は潔癖症といえる程に。
戦前はその潔癖症と軍上層部、政治家の危機管理能力に欠けていたため、諜報機関が手に入れた情報を役立てることをしなかった。
戦後も同様で、故にスパイ天国なんて言葉すら生まれる始末だ。
戦前から現在に至るまで無数の情報機関が現れてはすぐに消えていった。
最も戦後の情報機関は内外からの妨害によって設立されなかったともいえる。
だが情報庁だけは違った。
きちんと情報機関として機能している。
設立の理由には米国が大きく関係していた。
米国で共和党所属の企業家が当選したのを期に、世界はアメリカに大いに振り回された。
日本も例に漏れずに影響を受けた。
防衛費の増額や関税の値上げなど最も目立ったのは最後の冷戦ともいえた米国と北朝鮮の関係の見直しだった。
米国は日本や韓国抜きに北朝鮮と融和姿勢を取ったのである。
しかも数十年ぶりとなる米朝首脳会談を電撃的にする程だ。
表面所両国は一応穏やかに話し合いで解決しているように見えたが、裏で米国は日・韓に対してある注文を付けた。
注文とは攻撃オプションの用意だった、つまり米・朝は片手では握手しておきながらもう片方にはナイフや銃を握っているのだ。
当然日・韓は頭を抱えた米国のつけた注文は“米国を抜いた攻撃オプション”だった。
これまでは北朝鮮から攻撃を受けた場合、韓国軍と在韓米軍が共同戦線を張っている間に在日米軍や本国からの援軍を待つ、というものだった。
しかし今度の新大統領はまず米国を除いた自国軍で北朝鮮と戦い、米国が負けそうと感じた時に参戦する、というものだった。
まず自分たちで戦いムリだったら助けるということだ。
そのために米国は貿易赤字を埋めるついでに韓国と日本に高い兵器を買うように強く迫った。
日韓は米国の注文に渋々受ける形で戦争の準備をした。
その一つが国内の北朝鮮工作員の排除だった。
そして戦争の前後に重要になる諜報活動や分析、これらを運用するために各省庁に散らばっている諜報機関を統括し運用する部署が当然必要になる。
各省庁の諜報機関を再編したということはその省庁の内情をよくわかるということだ。
情報庁設置と権力集中を嫌った政治家や警察はこれを当然潰しにかかったが、情報庁がメディアに対して反対派の人間の汚職や不正をリークし消えた。
それでも頑固な反対派の多くが事故死や行方不明となって、情報庁を設置賛成派がやったと騒ぎ立てたが証拠がなかった。
そして時間が経つにつれ反対派は自然消滅した。
すでに情報戦は始まっていたのだ。さらに情報庁のもう一つの仕事は近年採決された「特定秘密の保護に関する法律(秘密保護法)」の運用も含まれていた。
そんな情報庁の初代長官として着任したのが九五歳になる躑躅森一清つつじもりいっせいだ。
一清は岩手で生まれ一四の時に年を誤魔化し陸軍に入隊後、沖縄戦線にも参加したという経歴を持つ。
その時に米兵を殺したかは定かではないが、本人と会った殆どの人間が絶対に殺していると思うほどの気迫がある。
九五歳なのでさすがに肉体は衰えているが、頭の方はボケておらずむしろ誰より頭が切れる。
若者とどうように柔らかい頭で、若い議員などと一緒に勉強会に出席する程だ。
そのため若い議員からは先生と呼ばれ、他の古参政治家からは昭和の化物と呼ばれている。普段は寡黙な老人、そんなイメージだが時折見せる目はとても現代人には作れない鋭いものだった。
政治家の生まれでもないのに才能と長年培った観察力で政界・政財界とはず影響力を持つため、一清に歯向かおうとする日本の政治家はおろか外国の政治家すら彼の前では恐縮する。
そんな一清だが一度も総理の座に就いたことのないことでも有名だ。
総理になれる頭と決断力そして力を持っているのにも関わらず。
誰もがその理由を聞いても答えず微小するだけで答えない。
「ではやはり、その大陸からの船なのでしょうか?」
古賀が長官に尋ねる、長官はそれに対して一瞥を投げたあと答えた。
「現時点で確証はできませんがほぼ大陸からの船と見て間違いないかと」
「ああ、どうして私が就任してすぐに厄介ごとが起こるんだ」
長官の答えに総理は頭を抱え込む、長官は古賀の頭に言葉をつづけた。
「総理、不審船はこのままだと尖閣島もしくは他の島に座礁する可能性もあります。
日本列島に到達する可能性も捨てきれません」
「あれがここに?」
「現在進行形で不審船は我が国の領海へ侵入しています。 新島や本土に近づく前に海上で“片付ける”べきです。
そして調べがついたのちに国民へ発表するのが一番かと」
「臨検は海上保安庁が?」
古賀はモニターに映る不審船と並走している巡視船を見ていう。
「いえ、海保のSSTを乗せたヘリがあと三〇分で目標上空に到着します。許可さえいただければそのままヘリで臨検させます」
特殊警備部隊(SST)とは日本で数少ない実戦経験が豊富な特殊部隊だ。所属は海上保安庁。
SSTの前身は関西国際空港警備隊(海警隊)という空港内のテロやシージャックに対応するため創設された特殊部隊だ。
九二年にフランスから日本へプルトニウム輸送の際の警備強化に伴いSSTに再編される。
その時に装備強化と特殊部隊としての能力向上のため外部つまり他国からの指導を受ける。
そして教官を務めたのが最強と名高い米海軍特殊部隊ネイビーシールズだ。
SSTになっていらい数々の実戦を経験してきた。
時には海上から上陸し邦人を保護するという軍隊がするような任務もこなした。
SSTは今や教官を務めたシールズも認める実力を持っている。
余談だがSST創設から五年たったある日、自衛隊初の特殊部隊が海上自衛隊内に「特別警備部隊」が創設された。
九九年に発生した北朝鮮の工作船による領海侵入を期に海保のように海自による不審船への臨検が求められるようになった、当時の海自は臨検という事態を想定すらしていなかった。
そのため乗員の射撃訓練は皆無、防弾チョッキすら積んでいなかった。
護衛艦が不審船などへの対処するために特別警備部隊が創設した、というのが建前だが明らかに海保しいてはSSTに対抗して作ったのは明らかだ。
長官の言葉に古賀は唇をかんだ、周りを見たが誰も案や妥協案をいわないところを見ると他に選択肢がないようだ。
総理は長官に目をやると長官は無表情でジッと古賀を見ている。
長官の前で決断を伸ばすことはできなかった、ましてや腹案があるわけでもない。
わざとらしくため息をしてから決断した。
「我が国の領海を航行している不審船に対して適切な処置を実行してください」
「ご決断、感謝します」