終息
あれから七年の月日が流れたが日本は滅んでいない。
日本そして日本人は「滅亡」という山場を超えた。
今の日本はかつての無資源国家ではない。
エネルギー資源も鉱物資源も自国内で豊富に取れまだ埋蔵されている。
これらのエネルギー資源・鉱物資源をラインに乗せることにも成功した。
ガソリンは自国で取れるので税金は撤廃され、普通乗用車を満タンにして五〇〇円出せばおつりがくるほどに安価だ。 鉱物資源も石油より見劣りする量だが十分な埋蔵量があった。
沖ノ鳥島での農業開拓が成功し二年前から本土にトウモロコシを中心に供給を開始した。
これにより食糧方面の企業や生き残った農家は回復し始めた。
スーパーの棚には何も陳列されておらず、例えあったとしても一つだけがポツンとあることさえ珍しかった。
だが今はちゃんと物が陳列されている。
戦前のように牛肉はまだ高級品だが豚肉や鶏肉も昔よりは高いが十分庶民にも手の届く範囲まで下がった。
経済も完全にではないがうまく行っている。
人的資源ヒューマンリソース、少し前から予想されていた人手不足も当初はひどかった。
経営が良くても社員どころか日雇いですら雇用できない会社が沢山あった。
そのため日本全国で急速にあらゆる分野で無人化が進み、都市部の電車・バス・タクシーといった公共機関は全て無人化されている。
だが成功には犠牲が必ず付き物だ、最初の一年はまさに地獄だった。
経済システムの崩壊により大量の自殺者が溢れかえった。 判明しているだけでも十万人以上が自殺。
暴動は最初の一年は全国で発生したが自衛隊による弾圧により、全国規模での暴動は起こっていないものの余談ならなかった。
そして近代国家にあるまじき事態が発生した。
餓死者だ。
それも数十人や数百人なんて生易しいものではない。
少なく見積もっても一四〇〇万人以上が餓死。
国民の多くはこれを知り不安や不満が溜まりデモや通例のように暴動が起こった。
だが政府は無情にもこれを警察ときには自衛隊で解決した。
最初の一年間は混乱に次ぐ混乱――――混沌といってもいい、そんな年だった。
最初こそ大多数の国民は政府の暴挙を生き残るためだ、と許した。
だが時間が経つに連れ次第にそう思う人間は減り、三年経ったある日を境に反政府組織が現れるようになった。
反政府組織というのは名ばかりでとても小さなものだった。だが現れる度に政府は自衛隊を使い潰し続けたが、五年目についに全国規模の反政府組織が誕生した。
これはデモや言葉を上げる組織ではなく、武器をもって政府を打倒しようとする組織だ。
そして日本は内戦へ向かうのは秒読みだった。
五年近く恐怖政治を敷いていた政権が電撃解散をしたのだ。
政権は電撃解散してすぐに暫定内閣が国民に向けてある発表を行った。
これまで恐怖政治を敷いていた内閣およびそれに関係した全員を重い処分を下し、第二地球に来る以前より国民のための政治を行うことを確約する、そう発表をした。
どうせ辞任や数十年刑務所に入るだけつまりトカゲの尻尾切り、そう国民の多くが思っていたが一週間後にその期待は大きく裏切られた。
前総理大臣を含む内閣全員に対して死刑判決が下り、関係したとされる人間にも死刑や終身刑に近い判決が下された。 もっとも軽くても四十年の禁固刑だった、後のちに「日本の大粛清」と日本史に刻まれることになる。
まず官民合わせて二一四人に対して死刑判決が下った。
少なくとも戦後日本において一度にこれだけの人数に対して、死刑判決が下されたのは初である。
国民を驚愕させたのが、裁判長が罪状の最後に付け加えた言葉だった。
「死刑囚は三十日以内に確・実・に・執・行・す・る・こ・と・を・命・じ・る・」
これまでは死刑判決が下ったとしても、法務大臣が死刑執行書類にサインをしなければ死刑は執行されない。
再審といった法律の問題もあるが、近年では国内外の死刑制度廃止の声があるため死刑執行は減少傾向にある。
つまり死刑執行書類にサインをした場合、その政治歴に汚点が付くことを意味する。
そのため死刑制度反対以外の政治家は、法務大臣になっても誰もがサインをしたくないのが現状だ。
しかし裁判長の言ったことはサインすることを促すだけではなく、三十日以内に法務省が政府が二一四人も死刑するという意味を持っていた。三十日はもちろん一年の間でこれだけの死刑執行がなされたことは一度もない。
さらに国民を驚愕させたのが執行する法務省が発表した死刑執行の方・法・だった。
これまでは刑務所や拘置所の施設内にある密室で絞首刑だった。
しかし、この死刑囚二一四人全員は絞首刑は絞首刑だが、公開絞首刑つまり公・開・処・刑・という時代錯誤も甚だしいものだった。
場所は国会議事堂の正面。そしてこれらの公開処刑はラジオやテレビ、インターネットといったものでライブされるという徹底ぶりだ。
当然だがこれらの行為は全て法に抵触するものばかりだが、暫定政権は「超法規的措置」の一言でクリアした。
二一四人全員の死刑判決が下されちょうど三十日後、国会議事堂前に死刑台が作られた。五人一度に死刑執行できる死刑台も、時代錯誤な木材で作られたものだった。
最初の執行は前内閣の元大臣たちだった。
足枷と手錠をかけられた死・刑・囚・の五人は、両脇に顔を隠した刑務官二人に挟まれ死刑台に連行された。 死刑台中央に立たされた元総理の首に縄がかけられ、両側の元大臣らにも同じようにかけられた。
そして刑務官が準備ができたことを執行人である暫定政権の法・務・大・臣・に知らせた。
本来死刑執行をするのは実質的には一人だが、三~五人の刑務官が三~五つあるボタンの前に立つ。合図が出され一斉にボタンを押し、死刑が執行される仕組みだ。これは刑務官にかかるであろう心理的負担を分散する意味合いでの処置だ。
この時の死刑執行もその手順が踏まれるはずだった。
だが当時の法務大臣が「自分でやる」と決まってもいないのにメディアに対して公言したのだ。
決まる過程で問題が生じたが法務大臣が押し通した結果、法務大臣が死刑執行書類にサインをして自分で死刑執行するということが起こった。
そして死刑台の脇に設置されたレバーを法務大臣がにより引かれ、床がなくなり前内閣の元総理を含む大臣らは重力の法則に従い落下し、吊るされた。
その瞬間に五人の生者が死者となった。
しばらく死者は落下した反動で上下左右に揺れ、見ていた誰もがその光景を呆然と見ていた。
二〇分程してようやく死者は地面へ降ろされ、刑務官同様に顔を隠した医師が死亡を確認した。
五体はそのまま死体袋に入れられ車で火葬場へ運ばれた。それから一時間も経たない内に、次の死刑囚が死刑台の上へ上がった。これらの同じ動作が事務・機械的に行われた。
永遠と錯覚する程の公開処刑が終わったのは、陽が傾き空が不気味な赤に染まった頃だった。
足った、足った、一日で二一四人が死刑された。
そしてそれらを決定づけたのは一人の法務大臣だった途中、刑務官は何度も変わった。
だが法務大臣はずっと死刑執行をするレバーの前に立っていた。
最後の死刑執行して初めて死刑台から降りた。
この日、この法務大臣は自宅に帰り妻と一緒にガソリンを家に撒いた後、自分たちもガソリンを被り火をつけ焼身自殺を遂げた。秘書に預けていた遺書には短く一言だけ
「職務は果たした」そう書かれていた。
少し前までは考えられなかった光景に怒り狂っていた国民感情は一気に冷えた。
自分たちを抑圧していた人間たちが、人間として扱われずに死刑されたことに恐怖した。
それらを実行に移した暫定政権に対しても、なおかつ再び矛先が自分たちに向くのではと恐怖した。
これを以降これまで発生していた暴動はなくなる。そしていくつもの負の遺産を残したものの、怒りのエネルギーは開発に向かい日本は再生へと順調に歩んできた。
この七年間で日本の総人口は一億二〇〇〇万人から、一億を下回る九九〇〇万人へと激減した。
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