空
雲より高い所を鳥が翼を羽ばたかせ飛んでいる。
だが、鳥という言葉に当てはまらない位に大きい。その鳥は澄み切った群青の空を飛んでいる。
しかし大きな鳥の口にはあろうことか銜が嵌めている。
そこから伸びている手綱は背中に跨っている白い人の青年、ヒムが握っている。
時折青年が手綱を動かし飛ぶ方向を指示するが、鳥全く意に介さずそれに従う。気持ちよさそうに飛んでいると眼下の草原の中に小さな町が現れた。
「下に降りようか、レドラ」
キュー・・・・。
ヒムの言葉にレドラと呼ばれた鳥、虚空竜は「まだ飛んでいたい」と主張するかのように、その精悍な顔に似合わない雛鳥のような鳴き声を上げる。
ヒムは苦笑いしながら首を撫で下に降りるようにレドラに促す。
名残惜しそうに鳴くと緩やかに降下する。
上から見えた町は小さかったが、雲の下へ降りるとヒムの住んでいる村の何倍も大きい。
郊外に均され白くなった草地、空港に草たちを揺らがせレドラとヒムは着地する。
厩舎にレドラを連れて行き柱に繋ぎ、ヒムは厩舎の隣にある管理小屋へ小走りで向かう。
夏だというのにヒムの服装は真冬にでも着るような厚着なので、すぐに汗が噴き出る。
扉を開けるとぷーんっと酒の匂いが鼻についた。入り口から少し奥に椅子に座りがーがーと鼾を立て寝ている男がいて、足元に酒瓶が転がっている。
ため息を漏らしヒムは近づいて男の肩を揺らす。
「おじいさん起きてください!」
「――――あ? ああ・・・・」
「荷物を受け取りに来ましたよ。これ割符です」
ようやく起きた男は酷く億劫そうに返事をして割符を受け取り立ち上がる。
欠伸をかきながらは割符を見ながら部屋の奥へと消え、少しすると木箱を抱え戻ってきた。
「はいよ。ここのところ同じもんばっかり運んでいるな」
「最近の売れ筋ですからね、じゃ失礼します」
「おう気をつけて」
大きさの割に軽い木箱を持ち上げ小屋を出た。
厩舎に戻りレドラの胸にある袋に木箱を固定し、手綱を引っ張り外へ連れ出す。
背中へ跨り「さあ帰ろう」と呟き、手綱を強く握りとレドラは歩き出す。
歩きから駆け足になると翼を羽ばたかせ徐々に激しく動かす。フワッと浮かび上がった。
そのまま一定の間隔で翼を羽ばたかせ高度と速度を上げる。
あっという間に雲の中へと姿を消した。
「また明日な」
あの後、いくつかの町によってヒムが住む町に帰ってきたのは陽が大分傾いた頃だった。
厩舎のヒドラに別れを告げ、横にある事務所へと入る。薄暗い室内には顔に傷がある上司である親方がヒムの抱えているのと同じ配達用木箱の中身を取り出しているところだった。
「ただいま帰りました」
「おう、ご苦労」
「割符です」
ヒムは抱えていた木箱を置いて割符を渡す。
着ている服を脱いで自分の服に着替える。
地上と違い空の上では防寒着を着ていなければ十分もいられない。
親方はヒムの木箱を開け中身を手に取り、竹に似た物に問題がないかを確かめる。
全て同じような物が入っている。数年前から浜辺に無数の物が漂着するようになった。
透明な物もあれば鉄で作られた大きな箱や破れない銀の紙など、それこそ切りがないほどの不思議な素材で出来た物が東海岸の浜辺に流れ着いている。
その中でもヒムが運んできた手のひらサイズの透明な物、一見してガラスのコップのような形をしている。
落としても割れないし軽い、何よりもタダで手に入る。
「帰りますね」
「ああ・・・・ちょっとまて」
ヒムが出ていこうとすると呼び止められた。
「一応聞いておくが、低くは飛んではいないだろうな」
「いわれた通り往路共に(高度を)高く、風上を飛びましたよ」
東大陸北部では疫病が流行っているという噂がある。
そのため親方は部下であるヒムたちに低空に飛ぶのを禁止して海岸沿い、風上を飛ぶようにと伝えていた。
普通ならば虚空竜を失う危険を冒してまで配達などはしない。
だは噂によって北部へ向かう商人が減ったため“流れ物”の流通が激減した。
その分価値が高くなり、虚空竜を失うに見合う価値があった。先程親方が手にしていた物も、以前なら高くても銀数枚だったが今では金貨数枚まで高騰している。
「そうか、ならいい」
「じゃあまた明日」
空はまだ明るいが地上は暗闇に包まれ、家々から漏れる光が道に漏れている。
先ほどまでは子供が走り回りそれを母親たちが叱りつける声が徐々に減っていく。
しばらく歩くとヒム以外に歩く者は消え、下から伸びた闇が空を包み完全な夜になる。
自分の足音以外は何も聞こえず事にヒムを更に心細くする。
家まで走ろうかと考えていた時、ドンっと背中を叩かれた。「はうっ!?」変な声を出して立ち止まり、暑く感じた温度が一瞬して下がる。
ヒムは建付けの悪い扉のようにゆっくりと振り返ると―――――誰もいない。
只々、歩いてきた夜道があるだけ。
そのまま正面に目線を戻すと人が立っていた。
「うわッ」自身でも情けないと思うような声を上げながら後ずさる。
人影から笑い声が聞こえ、ヒムに近づいてきた。
「お疲れヒム」
「イロイデか・・・・脅かさないでよ」
安堵の息を漏らすヒムに驚かしてきた少女、幼馴染のイロイデが暗闇から姿を現した。
ヒムの驚きようがそんなにおかしかったのか、涙を浮かべて笑っている。
ヒムは恥ずかしくなりイロイデを置いて歩き出す。
「あはは、ごめんごめん」と笑いをかみ殺しながら謝る。
「今帰り?」
「うん」
「何処まで飛んだの」
「今日は、えー北、ジェミーの手前まで荷物を取りに行ってきたんだ。そしたら帰りに―――」
帰りに飛んでいる時に起こった事を嬉しそう話すヒムに、イロイデは「ふーん」と適当に相槌を打つ。
しばらくの間イロイデは黙って話を聞いていたが、一旦途切れたところで口を開いた。
「今日も最後?」
「え? 何が?」
「配達を終えて帰るのが」
「うん」
「やっぱりね! あの“軍人”ヒムばっかり扱き使われているじゃない」
イロイデは頬を膨らませる。
それにヒムは苦笑いした。あの軍人、というのは親方のことだ。
「確かに厳しいし扱き使われているけど、いろんな飛び方を教えてくれるよ。それに―――」
「はいはい、憧れの虚空使いだもんね」
イロイデは聞き飽きたよという風にいう。
虚空使いというのは文字通り虚空竜の乗り手のことだ。今でこそ馬のように活用されているが少し前までは全く違う、むしろ害をもたらす存在だった。
その大きさだけならば、ただ図体が大きい鳥だ。しかし虚空竜は人以外で唯一魔力を操る、つまり魔法を使える生き物だからだ。
しかも魔力の蓄積量が桁違いの量で、魔法を何十年単位で学んでようやく使える魔法を虚空竜はたった生まれて数年で使えてしまう。
そのため一度暴れる出すと手に負えない。
退治しようにも強力な魔法の前に人々は無力だった。
虚空竜が暴れるとその被害はまさに天災に並び、滅ぼされた村や町は千を超え、国家でさえも滅ぼす程の力を持っている。これまでも、これからも人々は虚空竜に襲われないのを祈りながら暮らしていくはずだった。
だがヒムがちょうど生まれる前に帝国はその常識を変えた。
ある年に行われた観兵式にて帝都の上空を三匹の虚空竜が飛来し人々は逃げ惑った。
しかし虚空竜たちは一向に襲ってくる気配も見せずにただ飛んでいるだけ。
多少落ち着きを取り戻したところで先帝が演説した。
最初の内容は当然のことながら頭上を飛んでいる虚空竜の事で、ここで先帝は声高々に虚空竜の繁殖と同時に家禽化に成功した事を発表した。
これまで退治しようとするのと同じくらいに捕獲や家禽にしようという試みはあった。
むろんどれも失敗に終わった。
この三匹の虚空竜は卵から孵化させた。
帝国も無傷で手に入れた訳ではない。
卵三つのために二個軍団もの犠牲を出したが、これからはもう虚空竜に襲われないですむ、と帝国のみならず東大陸中が歓喜した。
が、各国の指導者たちはこの帝国の動きに危機感を持った。虚空竜を武器にするのではないのかと。
その予測はすぐに的中する。
十年後、帝国は軍内部に虚空竜で構成した「竜騎士隊(竜隊)」を創設した。
そして十騎の虚空竜と五万の兵を連れ、隣国へと攻め込んだ。戦力は拮抗だったが、結果は類を見ない圧勝。
その理由はもちろん虚空竜にあり十騎で千近い敵を倒し、文字通り一騎当千の働きをした。
それも帝国以外には虚空竜を繁殖することが出来ないとなればなおさらだ。
この勝利に気分を良くした先帝は竜隊のさらなる増強を命じ、三十年後には二〇〇騎の虚空竜を揃え、次々と近隣諸国に攻め入り勝利を飾った。
最も繁殖させ過ぎて軍だけでは持て余した結果、今では(帝国民に限るが)馬のように利用されている。
レドラも元々第一線にいた虚空竜で、老齢になり訓練所へ回されるところ竜隊にいた親方が買い入れ配達屋を始めた。
竜隊を目指しているヒムからすれば、親方の下で働いているだけで技術が上がるので喜んでこき使われている。
イロイデから見れば幼馴染が高くない給与で夜遅くまで働かせていることが気に入らなかった。
「晩御飯はまだでしょ。家で一緒に食べるよね?」
「うん」
その肯定に対してイロイデは不機嫌な顔から一転、にっこりと笑った。




