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暴動

 欧州でデモでライオットシールドと警棒を装備し隊列を作った警官隊に投擲される石や火炎瓶、そして覆面姿のデモ隊。

 夜になれば火炎瓶の火で照らされた街並みを動く警察隊とデモ隊。

 そんなニュースが時折日本のテレビで流れる。

 だがそんな光景が日本全国で起こっている、と言われたら信じられるだろうか?

 当初はあまりにも非現実的な事実に戸惑っていた国民だ、が、しばらくして全国で混乱が起こった。

 全国各所で暴動や無意味なデモが発生する。

 中でもひどかったのは大阪を中心とした関西だ、暴動の名所(?)である西成区のあいりん地区で発生した市民と警察の小競り合いをきっかけに大阪中心部に広がった。

 のちに「大阪大暴動」と言われる。

 暴動は三週間も続き中には拳銃や刀(中には小銃や短機関銃)で機動隊に攻撃する者もいた。

 これに対して大阪府警は銃器対策部隊を当てたが、何も凶悪な暴動はあいりん地区だけではなかった。かと言って部隊を小出しにすれば被害が出るのは目に見えていた。

 故に暴動はダラダラと長引いた。

 余談だがあいりん地区では暴動がもはや通例となっており、最初の暴動とされるのは一九六一年をはじめに二〇〇八年まで二四回も暴動が発生している。

 そのためあいりん地区にある西成警察署は警察署というより映画に出てきそうな監獄か要塞のような作りだ。

 暴動発生から二週間目についに大阪府知事が決断し、内閣総理大臣に対して自衛隊の治安出動要請がなされる。政府は躊躇なく自衛隊の治安出動が許可した。

 結果、陸上自衛隊二個師団が投入される。

 自衛隊が投入された頃の大阪の惨状はとても法治国家とかけ離れていた。

 ビルのガラスは割られ街の至る所から炎と煙が立ち上り、少し前まで車が行き来していた道路はバリケードが気付かれている。

 そして昼夜問わずに機動隊と暴徒が衝突し怒号が響きアスファルトは血に染まる、そんな光景が毎日。

 皮肉も自衛隊初の実戦は自国民へ向けての治安出動だった。

 投入された陸自の殆どは警察のジュラルミンシールドや自前でかき集めたシールド(中には自作した隊員もいた)を装備し警察と一緒に暴徒を鎮圧した。

 だが武装した暴徒に対しては警察や陸自が無警告で射殺してしまうという事例がいくつも起こり、のちに問題となる。

 これまでの二週間は警察と暴徒の衝突だった、しかし最後の一週間は悲鳴と銃声が大阪を支配した。

 民間人と警察合わせ死者五〇〇人以上、負傷者二〇〇〇人以上も出た。

 暴動終息後に分かったことだが、暴動が拡大したのは俗にいう過激派が関係していた。

 大阪府警としては「やっはり」というのが本音だった。

 そして調べたところ過激派の殆どがこの大阪大暴動に参加しており、最終的には国家転覆を計画していたようだ。

 のちに日本の過激派が計画した中でもっと成功しかけたクーデターといわれる。

 そして大阪の暴動終息を期に政府は一か月と少しで全国で発生した暴動の終息宣言をした。

 政府は治安出動に出動した自衛隊を一部除いて撤退をさせた。

 一部とは日本の中枢である東京や終息したが油断ならない大阪と言った主要都市、それらには自衛隊が庁舎や重要施設といった施設や場所を警備するために残された。

 飛行機や船舶の残骸の処理や暴動鎮圧に加え今後のエネルギーや食糧の配分、日本列島や新島の開発計画などなど日本は未だかつてないほど忙しかった。

 少し前まで政策の一つや二つミスしても死活問題ではなかった。

 それこそよくて謝罪会見を開き『申し訳ございません』と平謝りの方がまだ敬意があるのをやるだけ。

 悪くて辞任するだけだった。

 だが今は違う、政策だけではなく指示の一つでも間違ったら暴動が再発するか餓死者が出るのだ。

 そして同時に公務員全ての動きを監視しており、少しでもそれこそ配給品の物資を一グラムでも汚職した次の日にはもうその部署にいないというのは()()だった。

 そのため汚職したからには裁判抜きに死刑台に送られる、と揶揄が生まれるくらいに取り締まりが厳しかった。

 今や日本は砂で出来た城であり、ちょっとした要素で一気に崩れ去るのを防ぐので精一杯だった。

 そして暴動ではなく内乱になる危険性を含んだ問題が全国各地に点在していた。

 外国人が消えて打撃を受けるのが大きくいって二つある。 外国人労働者と日本政府のいう抑止力そう在日米軍の存在だ。

 在日米軍の数は家族なども入れて一〇万人以上で、この中に含まれる第七艦隊だけでも二万人だ。

 在日米軍は陸軍・海軍・空軍・海兵隊と四軍で構成されているが、陸軍の場合は実働部隊を配備していないため三軍と言って差し支えないだろう。

 海軍を除いて海兵や空軍は沖縄に集中している、故に沖縄が基地の島と言われるゆえんだ。

 日本の防衛に在日米軍はなくてはならない存在だ。

 最も防衛どころか肝心の戦う相手が存在しないが。

 問題は在日米軍の兵器と武器の存在だった。

 外国人、米軍軍人が消えるということはそれを管理する者がいなくなることも意味する。

 暴徒や過激派が在日米軍基地に侵入し、戦闘機や軍艦などは専門の知識があっても動かせないので安心だ。

 だが政府の心配だったのは小型火器の方だった、つまり拳銃や小銃ならば誰でも扱える。

 もし沖縄で混乱に乗じて独立運動の気運が高まり無人と化した米軍基地に暴徒が侵入しその武器を強奪したら?

 火を見るより明らかというのはこの事だ。

 悪いことに米軍軍人の住宅には高確率で個人所有の銃が存在する。

 もちろんこれは違法だが日本政府は黙認している。

 軍の銃ではなく米本土から持ち込んだもので、中には銃を暴力団などに売りつける軍人もいるという。

 例え発覚したとしても日本の司法で裁かれず悪くて本国に転属されるだけだ。

 最も銃に限らず米軍人が犯罪行為をしても日本の司法で裁かれることはない。

 例え殺人だったとしてもだ、米軍人に限らずその家族でもこれは適用される。もちろんこれは異常ともいえる。

 昔から日本の政治家は日米同盟とまるで日本と米国は対等のようにいうが、日米安保のそれはとてもじゃあないが同盟関係とは言い難い。

 同盟国ではなく保護国の方が正解だろう。

 日米安保だけではなく米国と関係する全てにいえるだろうが。

 話がそれたので戻すが、沖縄にも陸海空自衛隊の基地があるが三自衛隊合わせても一万弱である。

 もし大阪のように過激派が暴徒を煽り米軍基地へと侵入しようというならばとても防ぎきれない。

 自分たちの基地も防衛しなければいけないからだ。

 沖縄県警察の数は二五〇〇人いるが街の暴動などに駆り出されあてにはできない。

 大阪の機動隊が百人程基地建設予定地などの警備のために配属されているが、いくら荒事に慣れている大阪の機動隊でも数には負ける。

 政府は大阪の場合は本土つまり陸伝いに増援を送れるが沖縄は島だ。

 それこそ暴徒に空港や港を占領されたら増援が送れない。 そのため政府は本土の暴動を鎮圧する際も沖縄でクーデターが起きないか気が気でなかった。

 政府の指示により沖縄では暴動発生前からクーデターや民衆を煽りそうな組織を()()という指示が沖縄県警や公安に出された。

 同時に沖縄にいる自衛隊に対しても米軍基地の制圧と武器確保が指示され、九州からも増援が送られる。

 警察や公安が以前から危険視していた組織や団体の事務所に突入すると、予想通りちょうどクーデターなどを計画していたところだった。

 警察や公安が踏み込む少し前に偶然にも沖縄本島全域で停電が起こり、なおかつ携帯電話も不通になってしまったのだ。

 携帯の基地局は非常時に備えて二四時間程度ならば発電機があるので大丈夫だ。

 もちろん元旦以降全てではないにしろ所要の基地局に限らず発電所は点検されていた。

 それなのにも関わらずダウンしたのだ。そのためクーデターを計画していた組織は他と連絡が取れなかったので簡単に抑えることができた。

 沖縄でも本土同様に暴動が起こったものの、死者は出ず軽傷者に止まり沖縄県警察と公安の動きによりクーデターや大暴動にならずに済んだ。

 暴動が終息してすぐに政府は初期に発表していた経済改造政策を実行に移す。

 日本経済は強制的にグローバル経済から地域経済へと変わり、大企業はその多くが倒産を逃れるため合併を繰り返した。

 失業者対策の一環として選択制の徴兵制を打ち出した。

 これは自衛隊を含めた公務員職に一八歳以上は国民の義務として、最低二年間公務員として働くことが義務付けられた。

 公務員というのは名ばかりで実際のところは派遣に近いものだ。

 一つ違うといえばクビにされることはなく別の仕事に回されるだけだ。これに最初に述べた開拓団が加わる。この二つ以外にも多くの対策が出されて辛うじて殆どの失業者を受け止められた。

 経済面においてはギリギリ何とかなった、というところだが食料においては暗雲が立ち込めていた。

 最初に問題なったのは重要穀物それこそ戦略物資ともいえるトウモロコシだった。

 トウモロコシは食用としてではなく畜産のエサとして輸入している。

 しかも国内で育てているトウモロコシは全て食用等で消費してしまい、トウモロコシは一〇〇パーセントが輸入に頼っているのが現実だ。

 小麦も北海道を中心に生産されているが八〇パーセント以上をトウモロコシ同様に輸入に頼っている。

 そして日本人の食卓には欠かせない醤油や味噌大豆の原材料たる大豆も今や輸入に頼っているのが現代日本だ。

 小麦同様に八〇パーセント近くが輸入品で用途は食用や加工品(サラダ油など)だ。

 以前は米(米の自給率はほぼ百パーセントに近い水準を維持している)と同様に自給率が高かったが、年を重ねるごとにトウモロコシと同じように需要が高まったため現在では輸入の方が多いのだ。

 そのため畜産農家に加え食肉関係の店や会社は半年を経たずとして外資系会社同様に軒並み潰れる。

 牛肉や豚肉はスーパーに並んでも価格がこれまでの四~五倍に跳ね上がった。

 とても庶民には手の出せない肉になり、鶏肉に卵も牛肉や豚肉とまでは行かないが価格が上昇した。

 長らく優秀な食品として食卓に並んでいた卵は姿を消さないでも並ぶのが少なくなった。

 戦後はゲージによる養鶏で生産ラインが確立されたため、一定で卵を生産できたからだ。

 鶏肉もブロイラーといい養鶏と同じように生産し供給してきた。

 しかし肝心のエサであるトウモロコシがないのだから。

 新島の一つである沖ノ鳥島を政府は大規模農業用地として開発する計画で、生産するのは主にトウモロコシだ。

 ようはアメリカのような地平線まで広がるトウモロコシ畑を作り、そこを何台もの大型トラクターが刈り取るものを計画していた。

 開発が成功した暁には自給率は一〇〇パーセントになり、輸出(相手がいなが)するまでの生産量に達する。

 だが最初に収穫できるのは早くて三~四年、軌道に乗るのは五~六年なのだ。

 経済はいくらでも対策できるが、畜産は生き物が相手だ。 畜産は仕事や金では育たないのだから。

 食料面においては海の方で嬉しいニュースが一つあった。

 政府が海洋生物の調査をした所、水産資源が最も古い資料より水産資源の量が多いのだ。

 そのため食料確保の関係でトロール漁業が頻繁に行われることになる。

 トロール漁業はその性質上、大小の魚を関係なく取ってしまうため生態系に大きくダメージを与えてしまうので近年のトロール漁業は厳しく制限され管理されていた。

 トロール漁業に加えてクジラ漁も再開された。

 戦後生まれの世代に良くも悪くも懐かしいクジラ肉が頻繁にスーパーや学校給食に出回るようになった。

 安価のため庶民の食卓に並ばない日はない。

 とにかく日本の食卓は半世紀かそれ以前のものに戻ってしまった。

 少なくとも日本は二年間の間、エネルギーに資源、食料を島の開発が軌道に乗るまで残された限りあるものでやり繰りしなければならない。

 政府は人々を暴力により押さえつけこれを可能にした。





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