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指揮官

 静かな空間に小さなノイズが響く。

 音の出どころは天井近くに設置された色あせセピア色のスピーカーからだった。ノイズが流れてすぐ、軽快なラッパの音が流れ出す。

 ラッパの音が聞こえた瞬間、ベッドに寝ていた光成は意識を覚醒し勢いよくベッドから起き上がる。

 光成だけではなく同室で寝ていた隊員も同じように起き上がる。

 冷えた床に躊躇なく足をつけロッカーを開け、中にかけてあった迷彩服を着た。ここまで三十秒も経過していない。

 ドアの近くに寝ていた隊員はいち早く着替えドアを開け廊下へと出る、光成や他の人間も着替えが終わりそれに続く。

 いつもなら廊下に並んで点呼をするが昨日の夕方集まったグラウンドへ向かおうとするが、廊下はまるで早朝の通勤ラッシュのように人で混雑していた。光成は二メートルある体格を利用して無理やり人込みに割り込む。

 「痛い・・・」と廊下を歩く足音や服が擦れる音に混じって、小さい抗議の声が光成の耳に入った。

 歩きながら探すと隣・・・の下にいた。

 「痛いです」

 「ああ、すまない」

 抗議の声をあげたのは同じ部隊になった愛花だった。

 どうやら割り込む時に足を踏んでしまったようだ。

 栗田はむくれ顔で眠たげに目をこすりながら歩いている。 ピンク色のパジャマならどこから見ても子供だろう。考えが分かったのか愛花は「何です」と光成を睨むが「いや、別に」と光成はしらを切った。

 そうしている間に宿舎の外へ出た。

 地平線からの太陽の光が混ざり合い空は夜よりも深い漆黒色になっている。至るところから白い息が上がるのが見える、光成と愛花も白い息を吐きながらグラウンドの土を踏みしめる。

 光成と愛花がグランドに入って少し経ったころ「全員整列」と号令がかけられる。

 話し声が一斉に止まり土を踏む音と衣服がすれる音だけになり、一分も経たないうちに綺麗な列を作り上げる。そして続けて「気をつけ!」との号令に足をそろえる音がグラウンドに響く。

 「山下陸将補からお話がある」そういうと迷彩服を着た白髪の五〇代の山下陸将補が壇上へ上がる。

 襟元の階級を示す場所には桜星が二つだけ付いている、陸将補の階級章だ。ちなみに陸将補とは軍隊でいうと少将クラスではあるが、クラスが上下することもある。

 「おはよう諸君」

 「おはようございます陸将補!」山下の挨拶にグランドに集まった全隊員が大声で一斉に返す。

 満足そうに頷き「楽にしてくれ」という。その言葉に隊員たちは足を少し広げ、腕を後ろに回す。

 「私は今回の調査隊に参加する陸海空自衛隊の総指揮を任された山下豹土陸将補だ。

 諸君らは来年の一月には新大陸の土を最初に踏む人間だろう。

 国民にも公表されている通り新大陸には我々の知っている世界ではない。架空だと思われてきた魔法を使う生命体やドラゴンといった生物が陸や空を飛び周り、そして海中を泳いでいるかもしれない。

 我々に課せられた任務はそれらの非知的生命体への対処である、まあ害獣駆除任務と同じと考えて問題ないだろう」

 これまで陸自は治安出動もそうだが未開地での資源開発のために、狂暴化した熊や猪を駆除するため数えきれない程出動してきた。

 特に千歳列島などでは最盛期には三日に一回の割合で出動した程に。現実でも過去に自衛隊が害獣駆除の要請を受け出動したケースがいくつかある。

 一九六〇年代に北海道で大量発生したトドに対して、害獣駆除のため出動したことがある。

 その際に自衛隊は陸から小銃や重機関銃でトドを攻撃した、そして今では考え付かないが戦闘機が出撃し海上を泳ぐトドに対し機銃掃射を行った。

 当時の自衛隊は国民から印象が悪かった。

 そのためのイメージアップのためにインパクトの強い戦闘機を使ったのだろう。最も予算獲得の意味合いもあっただろうが。

 訓示中だというのに整列した中の一人の隊員が手を上げた、山下は指を差し促すと隊員はちょっと笑い声で質問した。

 「害獣駆除とおっしゃいましたが、殺したドラゴンは食べてもいいのですか?」

 「私もそれを上に聞いたが結果はダメ、だそうだ。

 殺傷した生物は搬送可能ならば全てが後方の研究所へ運ばれるそうだ。

 少なくとも解析して半年から一年後には食用にできるか、できないかが分かるそうだ」

 隊員たちの間から少し笑い声が漏れる。

 山下は笑いながら続けてこうも付け加えた。「それと研究者に聞いた話だと、ドラゴンの味は鶏肉に近いそうだ」山下の本当かウソかわからない言葉に隊員全員が笑う。

 「私が思うに魔法やドラゴンがあるなら我々には、巨大人型ロボット兵器かピンチの時に助けてくれる未来のロボットが在ってもいいと思うがね」

 最後のジョークに隊員たちに加え壇上横にいた幹部隊員も笑う。

 「・・・だがそんな物は我々には存在しない。

 例えあったとしても向こうに持っていけないだろう」

 これまでの優しい声音と表情を変え真剣な表情でそういう。隊員たちも笑いを引っ込め真剣になり次の言葉に耳を傾ける。

 「我々は最悪の場合、対話可能だと思われている生命体も相手にしなければいけない。

 対話は可能であり、友好関係も築けた、国交も結べた。

 それなら万々歳、めでたし、めでたしハッピーエンドだ。・・・だが対話が不可能だったら?対話が可能だったとしても仲が悪くなったら?戦闘、戦争になったら、その時に我々の持つ武器や兵器は通用するのか?危険性はどれくらいあるのか?それすら不明な場所へ我々は向かうのだ」

 山下は言葉を切って隊員たち全員を見渡してから続ける。

 「今我々日本人が住む土地は汚れ切っている。

 治安も昔と比べれば悪いし少し前よりかはいいが万年物不足。これから先、君たちの世代では自然環境は決して改善されないだろう・・・死ぬ間際に緑豊かな日本を見ることはできるかもしれないが。

 物価の急変動、強盗や暴動、死亡レベルの空気汚染警報に怯えながらこれから生きていくことだろう。だが生きていけるこのクソみたいな空間、慣れた日本でな。

 それをもう一度よく考えて調査隊への参加するか、しないか、決めてくれ。期限は訓練へ出発する飛行機に搭乗するまでだ」

 真剣な表情から最初と同じ笑顔に戻り訓示を締めくくった。

 「さて諸君らは今後、新大陸に見立てた上陸訓練を行ってもらう。

 訓練終了後はそのまま新大陸へ向かう予定だ。詳細は岬一佐から説明してもらう。

 私は本場の用意で忙しい、なので訓練には残念ながら参加が無理なので訓練の指揮は岬一佐に一任する。諸君、訓練を頑張ってくれ。私からは以上だ」

 山下陸将補は軽く敬礼をする、全隊員も一斉に敬礼をする。山下陸将補が演壇から降りると今度は昨日姿を見せた岬一佐が演壇へ上がり、紙を見ながら今後の予定を話し出す。

 「十月二日〇九〇〇時に陸路で入間いるま基地へ移動、輸送機で択捉島天寧てんねい空港に向かう。

 到着後ヘリで海上に待機している輸送艦「しもきた」に乗艦。三日後の六日から訓練を開始する。

 択捉島での訓練期間は十月六日から一二月月二〇日まで、訓練終了後はしもきたに乗船して一二月三〇日に横須賀港へ帰港。延べ八五日間を予定している」

 今後の予定を発表し「今日からの日程を発表する」と続ける。

 「朝食後、〇八三〇時から全隊員体育館へ集合せよ。

 新装備の支給と説明を行うこれから訓練が始まる一週間、新装備に慣れてもらう。質問がある者」

 「新装備とは何でか?」

 「新たな戦闘服および武装面だ。他には・・・いないようだな、解散」

 山下陸将補と同様に岬一佐が整列した全員へ敬礼する。

 光成と隊員たちも敬礼すると岬一佐が演壇から降りそのまま建物へ向かって歩き出した、光成らは姿が見えなくなってから隊列を崩し集合時のようにバラバラとグラウンドに広がる。


 光成は訓示が終わってから朝食を取り、指定された時間の十分前に体育館へ噛みタバコを噛みながら向かった。

 体育館の入り口横にある植木にタバコを吐き捨て、開いている入口から体育館へ入る。奥の方にあるステージ上には、数人の隊員がテーブルや会議などで使用されるディスプレイの設置作業をしている。

 ステージ横には恐らく新装備が入っているであろうダンボールが山積みになっている。下にはズラッとパイプ椅子が設置されており、垂れ幕があれば入学式か卒業式に見えるだろう。

 席に二十人以上の隊員がすでに椅子に座り、することもないのかタバコを吹かしている。

 九年前までは喫煙者は減少傾向にあった。

 タバコに対しての重税に加えて、ナチズム的な禁煙社会が形成されていたからだ。喫煙者は文字通りに煙たがられ、「悪」の存在になっていた。しかし治安の悪化と経済秩序崩壊、この二つは国民を絶望のふちへ追いやった。

 毎日のように殺人が至る所で起こり、失業といったことに不安と恐怖を抱いて人々は過ごすことになった。そうすると自ずと不安や恐怖を忘れよう、和らげようとするのは当然だ。

 その結果、ナチズム的社会で「健康体・運動・自然食品」が人生の幸せと植え付けられてきた三つは人々の頭から抹消され、代わりに古くからある「酒・タバコ・ギャンブル」とまるで半世紀以上も前の嗜好品が復活した。

 人々は健康よりもニコチンで簡単に得られる「安心感」を選んだのだ。

 日に日にたばこの消費量と生産量は止まるところを知らずに増えている。

 重税はというと七年前に三分の一にまで減額されていた、理由は簡単でタバコが高すぎて入手できない国民が暴動を起こし政府の庁舎を襲った。さらには大規模なストライキが全国で巻き起こったからだ。

 街を歩けば喫煙場を見つけるのに苦労したのが、今では禁煙場を探す方が苦労になっている。さすがにバスや電車、飛行機といった公共機関で喫煙はできないが(昔は可燃場所以外ではどこでも吸えた)、それ以外の場所では人が存在すれば必ず吸っている。

 屋外もそうだが屋内でも禁煙な場所など存在しない。

 この日本ではたばこを吸っていない健康思考の禁煙者は煙たがられる存在になった。

 当然だがタバコもそうだが酒やギャンブルの中毒患者が多くなり大きな社会問題になっている、もちろん男女平等だ。

 五分前になると人がどしどしと体育館へ入ってきて、ほどなく殆どの隊員が胸ポケットからソフトパックを取り出し吸い始めると、体育館内は煙の霧が作られた。

 光成は子供の頃から父親や店にやってくる米兵の噛んでいた「噛みタバコ」を見て育ったのと、体質的にも自然と噛みたばこを好んで噛んでいる。

 この噛みタバコというのは文字通りに、たばこの葉を直接口に入れて噛んでニコチンを摂取する方法の一つだ。

 一見すると火を使わず煙もヤニも出さないので合理的に見えるが、紙たばこと同じかそれ以上のデメリットがる。

 まず噛んでいる内に唾液がどうしても発生するため、これを定期的に吐き出さなければならない。

 呑み込まないのは唾液にニコチンが溶けているので重いニコチン中毒になりやすいからだ。さらに喫煙同様に口内や喉がんが発生しやすい。

 この唾を吐くという行為は世界共通で非常に悪いイメージがある、そのため米国ではこの噛みタバコで唾を吐くことが議会に取り上げられるまでに発展した。

 アメリカ野球のメジャーリーグを見たことある人ならば、一回は選手が何かを噛み唾を吐く映像を見たことあるだろう。それは高確率で噛みたばこだ。当然日本人は公衆の面前を気にするのでこの噛みタバコは普及していない。

 光成も噛むのは野外にいる時だけに限っている。

 椅子が埋まる頃には霧は雲へとなり、一番後ろからではステージが見えないのでは?と思うくらいに煙が充満していた。さすがに吸い過ぎだろう、と光成は消える訳でもないのに煙を振り払うように手を動かした。

 そんなことをしていると「扉を閉めろ」と今朝も聞いた岬一佐が指示する声が聞こえた。入口横にいた隊員が扉を閉じ、窓もカーテンが引かれ体育館内は一瞬暗くなったがすぐに天井からぶら下がっているライトが点灯する。

 ステージに岬一佐と上下白色で統一された民間の作業着男が上がる。

 「これから新装備である「迷彩服五型」の開発元から来た士郎氏から五型について説明を受けてもらう」

 「ありがとうございます一佐」と岬一佐からマイクを受け取った男が話し出す。

 「日本創意グループの創意高科学光学工業、電子光学部門から来ました士郎一彦と申します。

 今から我が社で開発した迷彩服五型の説明を行います」

 大恐慌で一番ダメージを受けたのは誰であろう、海外に生産拠点や資本を半部以上置いていた大企業である。

 倒産するのを回避するため、日本を代表する全ての企業が合併するという出来事が発生した。統合された、といった方が正しいかもしれない。統合された超複合体企業こそが日本創意グループだ。

 自己紹介している間にステージ中央にマネキンが設置される、マネキンは冬季迷彩のような白一色を着ている。顔も白いバラクラバを被っている。冬季迷彩は文字通り冬季に使用されるもので、主に北海道を守る北部方面隊に配備されている。その場合もちろん鉄帽ヘルメットから始まり靴や小物、銃も白い布で包まれる。

 だがマネキンが来ているのは冬季迷彩と違う点が一つある、肩から裾まで薄い赤、神社の鳥居のような朱色のラインが両側に一本ずつ入っている。

 そして肩と胸中央には日の丸ワッペンが縫い付けられている。

 「論より証拠、最初から見てもらった方が早いのでどうぞご覧ください」

 彦一がそういいテーブルに置いてあったタブレット端末を操作すると、マネキンが一瞬で隊員らも着ているのと同じ迷彩になる。

 顔もドーランでメイクしたようになっている。見ていた隊員たちはマネキンの迷彩が変わったことに驚き、どよめきが体育館に広がる。一彦が再びタブレットを操作すると、今度は砂漠などで使用されるベージュ色の砂漠迷彩になる。

 砂漠迷彩に変わったと思ったら今度は海自の警備部隊が使用するネイビーブルー迷彩になった。

 「注意しておきますがこれは魔法ではありません。

 これは正真正銘科学技術によるものです。

 あなた方が着用するこの迷彩服五型は軍事上、もっともハイテクな迷彩服です」

 一彦は自慢げに驚いている隊員たちに向かって戦闘服五型、電子迷彩についての説明を始める。

 一彦が真っ白な状態に戻っているマネキンの左腕に触れると、手のひら程の画面が現れた。それに触れると先程と同じように迷彩五型の色が今度は、空自が採用しているグレー色のデジタル迷彩になる。

 「ご覧の通りにタブレット端末などに迷彩データを予めダウンロードしておいて、一つの動作であらゆる迷彩に早変わりします。今は外部操作で行いましたが本来は両腕部で行います。

 有機ELディスプレイの発展型であり、次世代の一三世代ディスプレイを全身に採用しています。この一三世代ディスプレイ、社内ではナノディスプレイと呼んでいます。

 ナノディスプレイは有機ELの問題点であったコストが安価な上、強度も格段と向上しています。バッテリーはナノワイヤーバッテリーを使用しており、外部給電ではなく最初から組み込まれています。

 なお充電はワイヤレスで行います。迷彩五型の重量は上下で三キロと少し重い程度です。カモフラージュの使用時間は最大十二時間です」

 この迷彩五型は光学迷彩のカメレオン・タイプの派生型であるのが電子迷彩だ。

 余談だが光学迷彩というのは俗にいう透明人間のことをいう技術だ。昔から軍事においてその研究は進められてきていたが、半透明になるのがやっとだった。さらにいえば軍隊が欲したのは研究所で使うものではなく、戦場で使うものだった。

 だが近年では米軍が実戦でも使える、光学迷彩の開発に成功したという報道が流れている。この電子迷彩導入には調査隊の「第四目標」が大きく関係していた。



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