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博士

 首相官邸では第三次調査―――上陸調査の最終確認が行われていた。

 例に漏れず進行役は一清長官だ。

 「調査隊の出発は来年の一月三日。到着は十六日後の一九日、新大陸の上陸地点から五〇キロ手前に到着します。

 二日後の夜間に陸自の先発隊が上陸、橋頭堡を確保。

 翌朝遅くとも昼前までにピストン輸送で陸自本隊を上陸させ、調査キャンプを設営を開始。二二日、民間人である研究チームおよびメディアチームを上陸させます。

 なお上陸する研究チームの指揮は一緒に上陸する興子博士が執ります」

 一清長官は斜め向かいに座っている今いった研究者の指揮を執る人間を見る。

 外神興子こうがみきょうこは席に座ったまま軽く手を挙げる。全員がスーツ姿なのに興子だけは紺色のジーンズに黒いシャツ、白衣という場違いな服装をしている。

 この興子こそ政府が九年前の記者会見で紹介した博士なのだから。






 九年前。

 混乱を通り越し混沌した事態に、政府は何故こんなことが起こったかを調べようとしていた。そしてありとあらゆる分野の研究機関に事態の説明や調査を依頼した。

 だが依頼した機関の全てが今回の原因はこれだ!という回答が出されなかった。

 早い話がお手上げの状態だった。政府はもとより国民も原因を知りたかった。普段温厚な古賀総理ですら政府の研究機関から上がってきた、原因はわかりませんという報告に怒りの声を上げた。

 官邸内が混乱している時、情報庁がある物を発見した。

 「目を通しましたが、何ですか”これ”は」

 古賀はあからさまに苛立った声で前に座る一清長官に尋ねた、手元にはA4紙の束が置かれている。

 一清が持ってきたのは古賀や国民が知りたい情報、今起こっている異常事態の原因に関係するとみられる書類だ。しかし内容が問題だった。

 「パラレルワールド?もう一つの地球?ついにボケましたか長官」

 「今の状況ならボケた方が幸せでしょうね」

 普段の古賀なら言わないであろう暴言を一清は軽く流す。 A4紙の束はネット上で発表された論文をコピーしたもので頭には「パラレルワールドと神隠し」と書かれている。

 『パラレルワールド。アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが提唱した「多元宇宙」を発端に、SF小説において作られた考えがパラレルワールドである。

 一般的なパラレルワールドでは我々が存在し認識している宇宙とは別に、無数の宇宙が存在しているというものだ。さらにそれらは少しずつ違う点があるというのも定説である。我々の住む地球において人間は五本の指だが、六本ある地球もあるということだ。

 これまでパラレルワールドを仮定するならば、一種のホテルと想像すれば、我々の住む空間は部屋であり、当然ホテルには無数の部屋がある。

 しかしこれら部屋一つ一つ内装が僅かに違う、壁紙の色、照明の色、ベッドの位置や角度。そしてこれら部屋を区切るのが壁でありドアといった空間・異次元・次元の壁である。

 これがパラレルワールドのよくある説明だ。

 地球上には人種も文化も決定的に違うのにも関わらず、日本の神隠しに似た伝承や伝説が無数に存在する。

 同時に地球の至るところに他国・他民族より郡を抜いた高度な文明を持っていた国家・民族が多数ある。メソポタミア文明に出てくるシュメール人やマヤ文明、その他の国家や民族の中心には共通しているのが、段階を踏み文明を築いたのではなく突如としてそうなったことだ。

 ここで我々のいる部屋の隣が向かえでもいい、高度な文明を持った人間がいるとしよう。そしてその人間が我々部屋にやってきたら?

 その結果が古代の高度な文明を築いていた原因だとは考えられないだろうか。

 パラレルワールドは複数の定義があるが、その中には我々と限りなく同じ宇宙がいくつも存在しているが、ほんの少しだけ違うというものがある。

 具体的には私は夏、暑い日はいつもポニーテールにするが、もう一つの宇宙にいる私は一ポニーテールではなくツインテールにしている。

 そもそも髪自体が短い、ひょっとすれば角刈りや坊主の私もいるかもしれない。このように似ているが似ていないという宇宙が無数にあるというものだ。

 髪で例えたが、これを生物で考えられないだろうか?

 エジプト神話に出てくる体は人間だが頭が犬のアナビスが繁栄している地球。

 ローマ神話の翼が生えているペーガソスが普通の馬として走っている、飛んでいる地球。

 鬼や妖怪が繁栄する日本。 

 宇宙人に侵略される地球。

 神話や伝説に出てくる想像上の生物は別の地球には普通に存在しており、少数が我々のいる地球に迷い迷い込んだが繁殖できなかったために、死に絶えた故に伝説となったのではないか。

 他にも魔法や魔術、サイキックなどは人間の潜在能力であるが、科学文明の発達により人間自身が退化したため使えない、というのがある。

 だが潜在能力などではなく〈使える〉種と〈使えない〉種とは考えられないだろうか。

 どちらが最初の住人かはわからないが、どちらかが別の部屋からやって来て繁栄した結果が現状であり、魔法やサイキックが非論理的という烙印が押されているに過ぎない。

 極端な話、我々人類が古来より絶対的な力を持つ“神”も、別の地球ではただの生物の存在なのかもしれない』

 「で、この論文といって良いのか判断に困るものがどうしたというのですか?」

 「全てとは言いませんが、我が国が置かれている状況が説明できるのです。論文にもありましたが神隠しにより人が消えたり、やって来たりと書いています。

 これでは人ですが、国、と考えてはどうでしょう?我が国は」

 「別の地球へと神隠しにあってしまった、ですか」

 一清の言葉を古賀が歪めた顔で繋いだ。

 その表情は貴重な時間を馬鹿げた話で潰され、怒りを通り越して呆れている。だが一清は至って真剣な表情のまま話を続けた。

 「ええ、全く馬鹿げた話です。

 ですが現状最も信憑性がありなおかつ原因である可能性が高いと“情報庁”は判断します」

 一清は個人ではなく組織の長として古賀に報告した。

 古賀はその意味を汲み取り口を開いた。

 「・・・これを書いたのは何処の学者ですか」

 「外神興子 女性 二三歳 T大物理学の非常勤顧問。

 三重県の伊勢市生まれ、三歳の時に両親が交通事故で死亡。

 引き取りてがいなかったため一六歳まで養護施設で育ち、高校ではなく千葉大学に飛び級で入学し寮暮らしへ。

 専攻は物理と化学、成績は常にトップで在学中に十以上の博士号を取得。卒業後は最年少でT大の物理教師になりました」

 経歴に古賀は驚いた。

 聞いた限り天才といってもいい女性が都市伝説みたいな内容の論文を作ったのか?と疑問を持った。

 「本当に彼女がこの論文を?」

 「はい、外神興子は在学中に興味深い論文を発表する一方、趣味なのかは不明ですが、ネット上に都市伝説まがいの論文を発表しています。

 その数は分かるだけで四百以上、その中の一つがこれです。おかしな論文をいくつも発表することと、天才児ともいえる存在から各学界からは少し距離を置かれているようです」

 「そうなるでしょうね」

 そう言いながら古賀は論文の一ページ目に再び目を通した。

 『我々の住み認識している宇宙とはまた別に無数の宇宙が存在する』

 「仮定を前提に話しましょう。無数の似通ったもしくは違う宇宙があり、我々はその内の一つに神隠しに会ってしまった。こういうことですか」

 「現状では各研究機関から提出された報告書よりかは真実味がある話かと」

 「・・・この話は他の人には」

 「話していません」

 論文に目を通しながら古賀は考えた。あまりにも非現実的であり馬鹿げた話だ、子供でも分かるくらいに。だが今はどの研究機関が上げてきた報告書よりも信用できる、そう古賀は見ながら思った。

 本当なら十分を示していた時計の針はいつの間にか三十分を差した頃、論文を読み終えた古賀は一清に命令した。

 「この論文を書いた外神興子さんから直接話を聞きたい」



 一時間程で公安に連れられ外神興子が官邸へやって来た。

 「身勝手なお願いに応えていただきありがとうございます。そして非礼を許してほしい」

 「いえ、ちょうどお茶を飲みたかったのでタイミングがよかったです」

 そういうのは論文を書いた調本人である女性、外神興子だ。古賀は到着するまでの間に興子の経歴を見て驚いたが、直接本人を見てさらに驚いた。

 元モデルである佐紀(この時は法務相)の身長は女性の平均身長より高いが、興子は一九〇以上あるだろう。

 スラっとした体に何より目を引くのが、源氏物語絵巻に描かれている女性のような濡れ羽色の腰まである黒い髪だ。

 母性を感じれるその顔は微笑んでいる。

 大和撫子という言葉がピタッと当てはまる女性だ。古賀は興子の本気とも冗談とも聞こえる言葉を真面目に受け取り「何か飲みますか」問う。

 「では紅茶を」

 古賀は秘書に二人分の紅茶を頼む。

 「実は到着するまでの間にこれを読ませていただきました」

 「ああ、これですか。懐かしいですね」

 古賀は論文を差し出し興子は懐かしそうな声を出しながら手に取る。そしてページを捲りながら「最後まで読んだのですか」の問いに古賀は頷く。

 それに対して「ご感想は?」と興子は尋ねた。

 「・・・私には話が壮大過ぎて理解できない、というのが正直なところです」

 「まあ、パラレルワールドの概念は否定も肯定もできないので、古賀さん、あなたの意見は正しいです」

 「この論文は趣味で書いたのですか?」

 「ええ、気晴らしに書いた論文です」

 「それにしては素人の私が見ても分かるくらいにしっかりと筋は通っているようですが」

 「この論文は趣味で書いた中では一番作成時間が長かったのもありますけど、私はパラレルワールドを信じている人間ですから、それも関係しているかもしれませんね」

 ドアがノックされ、古賀が答えるとトレーを持った秘書が入って来た。二人の間にあるテーブルにティーセットとお菓子を置いて退出する。

 近年は予算と人手削減のため茶は全てが缶やペットボトルに入ったお茶が普通だった、もちろん要人などに出す際はちゃんとしたものを出すが。

 二人の前に置かれたのは真っ白な陶磁器製のティーポットとカップだ。素人目から見ても高いと分かる代物だ、「数少ない趣味の一つでね」と言いながら古賀は手慣れた手つきでカップへ注ぎ興子の前へ置く。

 興子はゆったりとティーカップを持ち口に運ぶ。

 「おいしい」

 「それは良かった」

 しばし沈黙。ちょうど古賀が口を開こうとしたらドアがノックされ、古賀が答えると席を外していた一清が入って来た。そして自己紹介をして古賀のように来てくれたことに感謝し、身勝手な要請に謝罪をしてから古賀の隣に座る。

 「それで、私をお茶に誘うために呼んだのですか」

 「・・・全国で異常事態が発生していることをご存じかな?」

 一清の言葉に興子は頷き一清は続ける。

 「我々政府は事態の収拾に勤めている一方、何が原因かも調べている。だが時間が経つ程事態は悪化する上に原因は不明のまま。

 そこで私のところ情報庁は既存の調査・研究機関とは別に独自調査をしていた所、あなたが書いたこの論文を発見した。そして我々は現時点で最も信憑性が高いとも判断した」

 「それは、まあ、何と言いましょうか」

 一清の言葉に興子は驚いたようすを見せずにただ不思議そうに首を傾げる。

 「確認だが、あなたはご自分で書かれた論文の内容をどう考えているのかな」

 「先程も古賀さんにいった通り確かめるすべがないので断言はできません・・・まあ、個人的には書いた内容は真実だと考えていますよ」

 「そうですか・・・我々はあなたに仕事の依頼をしたいと考えている」

 「仕事の依頼?何でしょう」

 「我々日本人が今いる宇宙あていうなら地球が“知っている宇宙と地球か”ということを確かめる調査をです」

 一清は淡々と話しているが、話している内容はとても政府が依頼するような、正気を疑う内容だ。

 「ふう、本当においしい紅茶ですね。お代わりをいただけますか」

 一清の話に興子は特に驚いたという様子もなく、残っていた紅茶を飲み切り古賀に尋ねる。

 古賀は無言で興子からティーカップを受け取り、紅茶を注ぎ返す。一口飲み興子は答える。

 「期限などはあるのですか?」

 「早ければ早い程いい・・・三日、いや四八時間以内には出してもらいたい」

 「数人の専門知識を持った人間と高い権限も」

 「必要なものは全て用意しよう。受けてもらえるのかな?」

 ティーカップをテーブルに置く。

 「ええ、お受けしましょう。面白そうですから」

 「ありがとうございます。

 申し訳ないが私は多忙でね、後のことは一清長官に一任します」

 「分かりました、総理」

 古賀はそういうと立ち上がり早々と執務室を出ていった。一清は興子に向き直り話を再開する。

 「早速取り掛かってほしい。

 あなたの役職は総理個人専属の科学顧問、ということで各部署に通達しておく。情報庁からランクの高い人間を二人つけたいのだが、よろしいかな?」

 「はい、構いません」

 「それと、どれほどで結果は出せる?」

 「そうですね」と興子は来た時同様に微笑しながら立ち上がる。そして壁にかけられた時計を見ながら答えた。

 「五~六時間後、二一時までは出せるとは思いますよ」

 「念のためにだが、今現在から護衛も連れて行ってもらいたい。おい、入れ」

 そう一清が扉の向こうに声をかけると執務室に黒いスーツを着た一人の男が入ってきた。

 一瞬見れば官邸内にいそうな職員かと思うが、スーツ越しにもよくわかる鍛えられた肉体と懐が膨らんでいた。恐らく銃を持っているのだろう。

 本人は無言で少し頭を下げただけで自己紹介どころか言葉を発しない、また一清も護衛といっただけで詳しくは説明しない。そして一枚の名刺を興子へ渡す。

 「これは私の携帯の番号です、何か困ったことがあればそこへかけてください。何か質問は?」

 「いえ、ありません」

 「私も失礼させてもらう、総理と同様に多忙でね。・・・それと調査の件は総理と私、そこの護衛しか知らない件です。

 ですので我々がいい、というまで口外しないでいただきたい」

 「分かっています」

 一清の口外しないでいただきたい、といった時これまでとは違う目、見た者が震え上がるような目つきで脅すようにいった。だが興子は直視したのにも変わらず淡々と返事を返しただけだった。

 一清は小さくうなずいて護衛に目で「頼んだぞ」と合図し執務室を出た。

 興子は少しカップに残った紅茶を飲み干し、立ち上がって護衛にいう。

 「じゃあ、行きましょうか」



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