Referendum -レファレンダム-
新大陸からやってきたと思われる帆船のことは一清長官のいう通り、三時間後にはテレビ番組で例の画像が放送された。
最初こそ与太話程度で放送されたが時間が経つにつれ現実味が増していった。
一清長官の提案で一度に情報を出すのではなく、小出しにして混乱を防ぐことになった。
古賀総理は前回(七年前)よろしく自身のブログやツイッター、そしてマスコミに対してある発表を行うと予告した。そして政府は事件発生から一日経ってから記者会見を開き、これまでの時系列だけを発表し十二時間後に初めて接触した巡視船から送られてきた映像と画像を公開。
肝心のSSTが船へ突入する映像は、公開するか非公開とするかで大いに政府と海保(SST)が揉めた。SSTとしては関係者、自衛隊や警察の特殊部隊に見せるのはいいが国民に公開するのは反対の姿勢を取った。
発表は何回も見送られ、最後は政府が公開を押し切った。
だが妥協点として公開するのは巡視船やヘリから撮れた映像だけ、ということでSST側が折れた。
そしてSSTが撮った緊迫感がある映像が公開された、国民からの反響は様々だ。ちなみに船内部は突入後に撮影した画像を公表した。
最初の発表で船にSSTが突入したところ、生存者はすでに餓死もしくは病死していたと発表したが、野党や過激派(暴動以来殆ど市民団体が過激派と同じように見られている)の一部から政府(SST)が殺したと政府を非難した。 野党や市民団体が力を持っていた昔ならいざ知らず、今では見る影もない位に力がない。
そのため政府としては聞き流してもよかったが、国民に危機感を持たせる理由で殺していないという証拠も含めて突入映像を公開した。映像は瞬く間に日本全国を駆け巡った。
国民は外部(外国)からの刺激に飢えていたのである。 ファッションや映画、文化、食べ物、電化製品、ありとあらゆるものが外国製だった七年前。
物流が途絶えたことで経済と食糧に加え文化(娯楽)も戦前に戻ったのだ。そこで突入映像は刺激が強すぎたのだ、若者だけではなく中年層も熱狂する。
政府の懸念通りに開国議論はすぐに燃え上がった。
この時点ではまだ伝染病についはまだ公表していない。
事件発生から三日、帆船がいる海上に簡易の検査設備を積んだ船が到着した。
帆船の周りには距離を置いて三隻の護衛艦が警備をしている。最初に急行した巡視船の乗員は検査後ヘリで本土の隔離病院に入院している。SSTはその巡視船に乗っている。
そして情報庁の予想通り帆船の乗員は全て感染病に感染して死亡したと判明した。
それは未知でも何でもなかった、いやむしろ人類が忘れかけていた感染病だったそれは―――
「ぺスト?」
「はい。死因はペストによるものと断定しました」
前回のように緊急閣議が開かれ、その場で一清長官がそういう。
「ペスト菌を持ったダニも発見されています。
もし防護服なしに突入していなかった場合、かなりの確率で感染していたでしょう」
ペスト、それは皮膚が黒くなることから黒死病とも言われる。全人類を襲った伝染病の一つだ。ペストが最初に見つかった時期は不明だが、記録にある限り最初のパンデミックは西暦五四二年の東ローマ帝国で発生している。
そして数回の地球規模のパンデミックにより累計一億六〇〇〇万人以上がペストに感染して死亡している。
主にペストが生息しているのは森奥深くで、宿主(ホスト)は森などにいる齧歯目げっしもくつまりネズミなどだ。そしてネズミの血を吸ったダニなどが他の生物に寄生し、動物や人間の血を吸う際に感染する。
「それは・・・治療法はあるのですか?」
「抗生物質が登場してペストは治療不可能から可能となり、適切な処置を受ければ死亡しません」
抗生物質による治療が確立されペストは治療可能な病気へと変わり、現在までに一部地域を除いた世界規模のパンデミックは発生していない。
だがあくまでパンデミックが発生してないだけで、撲滅には至っていない。ペストのワクチンも未だに存在せず、あくまで気休め程度のワクチンしかない。
もしペストに感染した場合、症状にもよるが七日以内に適切な処置を受けなければ死に至る。
ペストに関して説明を受けた古賀総理含めた主席者はホッと少し安心した表情になった。治療法があるならば安心だと思っているのだろう。
「水を差すようで申し訳ありませんが、事態はまだ解決していません」
「どういうことです」
「今回の船はわかりませんが、どうやら感染を恐れてか船で移動する住民が多いようです」
一清長官の言葉に先程まで安心顔だった出席者たちの表情が曇る。
「まさかまたやってくると」
「現在衛星で分かっているだけでも六隻が我が国まで流れ着く可能性が高い。
さらに悪いことにどうやら感染地域では漁業を生業にしているらしく、船を多数確認しました」
「・・・はっきり言って下さい」
「では言わせて頂きます。
治療法があるとはいえ、相手は自然です。いつ突然変異し治療不可能になるかも知れません。
そうなる前に新大陸へ介入し、ペストを封じ込めるべきです。我が国に一番近い東沿岸に部分だけでも介入するべきです」
これまで一清長官は新大陸について質問されない限り口にしなかった。
だがここに来て新大陸に行くべきだ、と初めて主張した。まさか報告会議から新大陸に介入する話へと飛んで全員が困惑した。
「長官の仰る通り危険を排除するために新大陸へ介入するのは理解できます。
それならばわざわざ我々から行くのではなく、今回同様に海上で処理すればいいのでは?」
佐紀防衛相が誰よりも早く一清長官に噛みついた。
佐紀はどちらかと言えばモンロー主義つまり鎖国継続派だ。
「それに我が国が新大陸に介入するメリットはペスト以外に存在しません。それも戦争状態の場所に」
「・・・」
佐紀防衛相の言葉に一清長官は何も言い返さない。
佐紀はそれを反論する余地がないのだ、と思ったのか少し勝ち誇った顔になっている。一清長官が言い返さないということは何か裏があるのでは、と古賀総理は思った。事件発生から五日、ペストのことは国民に発表された。
帆船の乗組員の死因はかつて全人類を襲ったペストである、さらに新大陸東沿岸の広範囲でペストが猛威を振るっており大量の死者が出ている。
包み隠さずに政府は国民へ発表した。
事件発生から一か月。
政府の予想では新大陸に干渉する・しないの議論が冷めるだろうと考えていた。だが予想は大きく裏切られ、冷めるどころか火に油を注ぐどころかガソリンを注ぐ結果となる。
ネットでは二四時間絶え間なく議論がなされ、テレビでも同じように議論等の番組が連日連夜流されている。
毎日ではないが干渉派や不干渉派のデモが各地で起き、時には両者が衝突し流血沙汰になる事態も何件も発生している。
「・・・本当にどうして私が総理の時に」
古賀総理は執務机の上に置かれている書類を前に頭を抱える。七年前までは国会議事堂や官邸前でのデモなどは許可さえ取れば可能だったが、大暴動以降は全面的に禁止となっている。そのため怒号などは聞こえない。
「これが民主主義というものですよ総理」
ソファーに座っている一清長官が静かにいう。三〇分程前に一清長官が直接訪れ、百ページに満たない薄いある報告書を古賀総理に渡した。
題名は「国民の現感情と新大陸に対する感情分析報告書」と書かれている。内容は
『国民の八〇パーセント以上が政治を“認識”している。
現在の国民は前政権による政治を独裁・恐怖政治と記憶・体感しており、現政権の政策全てを自分に直結する出来事として認識している。
そのため七年前以前に行っていたような一部官民の利益政策を実施した場合、国民は現政権に対してその政策による国民利益と国家利益の回答を求める運動が起こる可能性が極めて高い。
現在国民の中で新大陸に干渉するか不干渉するかが急速にディベート(議論)されつつある。
これはテレビや新聞、ネット、口コミといった誰かに先導されて生み出された主義主張ではなく、国民個人の中から自然発生したものである。
これは戦後に民主主義として再建国した我が国初めての国民による国家方針の議論であり、国民が議論の末に出した結論を現政権は強く受け止めなければいけない。
最悪の場合、国民はフランス革命のように現政権並びに現国家形態を打倒するため、大規模な武力蜂起を引き起こす可能性が四九パーセントある。
なおこの数値は日に日に、数時間ごとに高まっている。
一週間後には六〇~七〇パーセントに高まると予想される。
これらの予想を分析局は強く指示するものである。
情報庁分析局心理分析部』
「・・・つまり国民は民主主義に目覚めたそういうことですか」
「別段不思議ではないことでしょう?
前政権は国民からすれば独裁政治に見えたでしょう。
ですがあの時は圧倒的な暴力が必要不可欠だったのです、反論をいう者がいれば徹底的に叩き潰す力と実行力が。そして民衆は暴力から解放され、国を形成するのは自分たちだと気づいた。ただそれだけのことです」
「この報告書に書かれていることは理解しました。
それで私に何をしろと」
「何もしないで結構です」
「どういう意味ですか?」
「大陸に干渉、不干渉は国民自ら決めてもらいましょう。 我が国初の国民投票で」
長官の言葉に古賀はしばらく無言で見つめてから吐き捨てるように口を開いた。
「小国ならばともかく我が国は減ったとはいえ九〇〇〇万人もいるのですよ?確かに現在国民は今まで以上に議論をしています、だが成熟しきっていない未成熟な議論だ。
そんな中で出された答えは必ず不幸な結果になります」
エニックスジョーク(ブラックジョーク)という民族や国民性を表す笑い話がある。
その中で有名なのが豪華客船の話だろう。
いくつもの民族が乗った船が沈没することになった、そこで船員が乗客に飛び込むようにと声をかけるのだが、ここでその民族性を表している。
アメリカ人には「ここで飛び込めばあなたは英雄だ」
ロシア人には「海に浮かんでいるウォッカは全てあなたのものだ」
イタリア人には「美女たちが一杯泳いでいますよ」
ドイツ人には「規則ですから」
そして日本人には「みんな飛び降りますよ」
これで分かる通り日本人は昔から自分の行きたい方へ動くのではなく、大勢が行く方向へ向かう傾向にある。
報告書にはこれまでのように大勢に流されているのではなく、民主主義に目覚め他者と議論をした上で答えを出そうとしていると書かれている。
だが古賀はそうは思わなかった。
確かに報告書通りに国民が民主主義に目覚めているだろう、だが今はまだ起きたばかりで頭が本当に回っているか怪しい。
まだ寝ぼけまなこではないのか?その状態で日本の将来が決める選択をしていいのか、というのが古賀の本当の気持ちだった。
長官はここに来て最初に出された冷めきったコーヒーに口をつける。
現在の日本でコーヒーは数年前まではビンテージ物のワインより高かった。今現在では沖ノ鳥島よりさらに下にある島などで栽培が成功し、少しずつ国内へ入ってきているものの高級品には変わりない。
「例え不幸な結末にしろ、それは国民自ら選んだ結果です。それに我々政治家が国民投票をしなくても国民の方から国民投票をするべきだ、という声が上がります」
長官の予想はものの見事に的中することになる。




